私の養殖日記2009/10-12
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●12/28 トレッキングのスタート地点になるドゥンチェは標高1900m。初日はそこから1500m登ったシンゴンパに宿泊、翌日には4400mのゴサインクンドまで登ってしまうのが一般的、っていうか、ほとんどのガイドブックにはそうある。これを真に受けたら・・・死ぬ・・・ことはないにしろ高山病に弱い方は二日酔いより苦しい思いをするはずだ。ヒマラヤトレッキングで一番問題になるのが高山病なのだが、それを予防するためには、初日の歩行は半日、しかも標高は3000mを超えないようにする。その後は1日500m以上登らない。3500m前後で2連泊して高所順応する。となっているし、経験的にも正しいと思う。

大体において、初日の登りが1500m、って5合目から登る富士登山と同じだ。つまり初日に富士登山をやって、翌日からもビシビシ歩きなさいよ・・・ってことだ。これって、どういうこと?って疑問に思いながらも朝8時にドゥンチェを出発、長い一日が始まった。「このコースは楽らしいよ・・・」っていうウワサを真に受けていたので、何時終わるともない連続する上り坂に「こんなバカな・・?」と呟きながら登った。トレッカーは全くいない。午後3時過ぎに3400mのシンゴンパに着くまでに見掛けたトレッカーは数人。確かに静かなトレッキングだ。

ここに1泊して、翌日は更に1000m登って4400mのゴサインクンド?? そりゃ何かの間違いだろ。途中には展望が開けたラウレビナヤクという場所に山小屋がある。「明日はラウレビナヤク泊りだから」とガイドに告げて寝る。それはたった3時間の歩行だが、それでも標高は4000m。2日間で登るには十分に高山病キケン高度だ。



●12/27  ネパールには山小屋泊りでお気楽にトレッキング出来るエリアが大きく分けて3ヶ所ある。一番人気、エベレスト周辺の「クンブーエリア」、リゾート?のポカラから近い「アンナプルナエリア」、それと今いちマイナーな「ランタンエリア」だ。それぞれのエリアにはバリエーションルートがあって、1泊2日2000mなんていうのから、3週間以上掛かるアンナプルナサーキットや、5000m以上の峠を3つ越えるグランドサークルコースなど奥が深い。

今回はその「ランタンエリア」の中でも「静かなトレッキングが出来る」と評判の(他に褒め言葉が見つからないらしい)ゴサインクンドからラウレビナヤクパス越えヘランブーへ・・・というコースを選んだ。理由は「他のコースは歩いちゃって、ここだけが残っていたから」だ。ガイドブックを見ても詳しくは書かれてないし、ネットで見ても「そんなに凄い写真」はない。ヒマラヤを見る・・・という点では「まったく問題外」という噂。なぜこのルートが整備されていて山小屋があるかというと、ヒンドゥー教徒にとっては重要な聖地であるゴサインクンドがあるからだ。夏には大規模なお祭りがあって、標高4400mのゴサインクンドの湖にはインドからのたくさんのシャーマンで賑わう・・・のだそうだ。

インド人に来られるくらいなんだから「楽ちんじゃん」と、ずっと思っていた。トレッキングで楽なのはつまらない。景色も大したことないというし・・・それで最後まで残ってしまっていたのだ。ところがガイドブックと地図を見てみると「??」ってことが多い。



●12/21 何かと忙しい年末なので、暫くは頭を使わないネパール日記でゴマかす。

今回歩いたゴサインクンドからヘランブーへのトレッキングは、カトマンズ市内からバスで直接アプローチ出来るので一般的には一番お手軽とされている。なぜなら他のポピュラーなトレッキングコースであるエベレストやアンナプルナ方面は遠いので、通常はカトマンズから飛行機で飛ぶことになるからだ。ところがこれが大きな間違いであることを知ったのも今回のトレッキングであった。アンナプルナやエベレストに対して「ランタン」山群のトレッキングと呼ばれている。

トレッキングのスタート地点となるドゥンチェの村まではバスがある。ところが最近、この道路沿いにニジマスの養魚場がたくさん出来ている・・・という未確認情報があった。4年前にもカトマンズ近くの養魚場を見学に行き、ここにアップしたと思う。それが更に増殖中ということなのだ。ネパールまで行っても仕事熱心な私としては視察せざるを得ないだろう。しかも中間辺りにあるトリスリバザールには日本人の指導で造られた水産試験場もあることは以前から知っていた。これも見学しなければならない。

で、その水産試験場見学までは自由が効くタクシーで行くことにした。ネパールのタクシーは意外なことにインドの倍近い価格だ。半日借りると6000-8000円にもなる・・・って安いか。水産試験場を見学した後はローカルバスに乗り換えてドゥンチェを目指す。恐らくカトマンズから200kmにも満たない距離だが、バスだと8時間以上かかる。なぜ目的地のドゥンチェまでタクシーを借りなかったのか分かるかな??

いずれにしても、最近ではネパールの国内空路が整備されたので、今や8時間バスに乗らなければならない・・・というランタントレッキングは何もお手軽ではなくなったのだ・・・帰りもあるからね。



●12/17 今回のトレッキングで楽しみにしていた村があった。それはヘランブーと呼ばれる地域の中心地タルケギャンに2泊して、そこからヤングリピークという信仰の対象になっている山に登ることだった。実は昔から、これらの地名が妙に気になっていただけのことなのだが。ところが実際には前日がハード過ぎて、とってもそんな山に登る気は失せてしまった。

で、ガイドとポーターに1日休みをやって、私はひとりで村内を散歩することにした。ネパールの山村は耕作可能地が少ない上に、環境も厳しく超貧乏だ。若者は仕事がないので、みんなカトマンズや海外に仕事を求めて出て行ってしまう。だから村は年寄りと赤ん坊ばかりで静まり返っている。このタルケギャンも本来なら500人以上の人口があっても良さそうなものだが、散歩してもほとんどヒトには会わない。

ところが、こんなところで妙に明るい少女が「家に来ない?」って言ってくれたのだ。他の国だったら非常警戒態勢・・・っていうか「分かり易い罠」なのだが、ネパールだから大丈夫。ついていくとお母さんを紹介され、一緒に食事など。家といっても超貧素?例によって日本だったら納屋としかいえない土間に囲炉裏。薄暗くて寒い。行儀も良く、とっても明るい娘さんが浮いている。聞けば、まだ17歳。

帰国後考えてみれば、あれは猫のホイミが17歳で死んだ日。天国に行くホイミが、ちょっとだけ私に会いにネパールに来たんじゃないのかな? 猫はさぁ、10何年か飼うと人間の女の子に化けるんだって・・・。手塚治虫みたいな話も聞いたことあるし。

ちょうど村内を動画でだらだら撮りしていた時だったので、偶然にも動画が残っています。これもホイミの行きなはからいか? 柿田郎の写真館にアップしときます。



●12/16 さて、今回のネパールの旅は先々月インドから帰った時点では、全然そんなつもりはなかったのだ。インドやネパールの一人旅となると、最低でも2-3週間はないと面白くない。分かり切っているのに最初の数日はカルチャーショックというか、日本ボケというか調子が出ないのだ。つまり旅が面白く感じられるのに数日は掛かるし、決して衛生的とは言えない環境に体が慣れるのも簡単ではない。

だから、今年もう一回出掛けて来るか・・・という不謹慎な考えを持った時には、お気軽なパック旅行にしようかとも考えた。最近、興味があるのが旅行会社各社が売りだしている「激安パック」だ。ヨーロッパ10日間10万円台、トルコ2週間15万円、中国に至っては10日間で98000円とか。もちろん韓国や上海なら3泊4日29800円何ていうのも見掛ける。それらの国へ行ってみたい訳ではないが、何でそんなに安く出来るのか、更に激安パックの真実は!! みたいなことに興味があった。

が、やっぱり、せっかく貴重な休みを取るならば「自分が好きな場所へ・・・」ということになってしまった。そんな理由で今回はヒコーキのチケットを買ったのが1週間前だったので割高になってしまい、カトマンズ往復が空港使用料金や税金込みで12万円。早めに手当すれば10万円位であったんじゃないかな。殿様トレッキング代とカトマンズ滞在費出で11万円という結果になった。23万円で15日間、気ままな旅が出来たんだから格安感はあった。もちろん、殿様トレッキングを足軽トレッキングにすれば、11万円は3-4万円になるし、3か月も前に格安切符を買えば8万円位からあったはずだ。安く旅をするには若さ(体力)と計画性ということか。



●12/13 ↓に、そんなホイミの様子をアップした後ネパールに出たのだが、私がヒーヒーと山を登っている頃、ホイミが死んでしまった・・・ということを昨日知った。12月4日の夜中が死亡推定時刻だ。これまで「外猫」として生きて来たホイミだが、今年はヤバそうなので本人が望む限り「暖かい家の中」に居させた。その晩は家族が寝付く前に外に出たい・・・と玄関に向かったそうだ。そのまま外に出て駐車場のクルマの下で死んだ。

ネパールとの時差は不思議な数字ではあるが3時間15分だ。ホイミが夜中の1時に死んだとすれば、ネパールは夜の9時45分。この日は今回のトレッキング中で、もっとも厳しい一日だった。前日4600mの峠を越えた後、約1000mを下って宿泊。当日は足が痛かったのに、更に1700mもの下りが待っていた。最近の運動不足が祟って、足がガクガクの状態で1900mのメラムチ川に掛かる吊り橋に着いた。宿泊地はそこから700mを登ったタルケギャンという古い村。この登りが本当に辛く、登り切った時には夕方で気温は5℃位しかないのに汗だく。体が冷え切ってしまった。

囲炉裏がある民家に泊ったので暖かかったはずが、夜中に異様に体が冷えてしまって、緊急用?の使い捨てカイロを腰と背中に張った。そんな頃、ホイミは死んだことになる。やっぱ、天国に行く途中に、ちょっと寄って行ったのかもしれない。翌日はあまりに足が痛かったので、ポーターとガイドに「休みをやる」と言って休養日とした。実はその日、余りにも不思議な出会いがあったのだ。そんな話はいつか。



●11/24 我が家にはホイミという猫がいる。推定17歳。お母さんは由緒あるペルシア、お父さんは不明だが相当な野生の持ち主だったと思われる。ホイミは体重は僅か3kg。顔はまんまペルシャでぺっちゃんこ。茶トラ風で毛並みはお母さん似という、ハーフの良いとこ取りみたいな容貌で、近所でもなかなかの評判である。しかし、その容姿とは裏腹にスーパーハンターでもある・・・あった。最近は足腰が弱くなってしまい、目も悪くなってしまったが、数年前まではネズミはもちろん、スズメ、セキレイ、トカゲやセミ、養殖アユ・・・何でも獲って来た。一番驚いたのはハトを捕まえて食べ始めたが食べ切れずに、胸のところ食い散らかして血だらけになったハトを持って来た時だ。

実は最後に獲った鳥は綺麗なセキセイインコだったのだが、これは内緒だ。

そんなホイミも寄る歳波には勝てずに、今年の夏はすっかり衰えてしまい、エサも少しか食べないし「もうだめかなぁ・・」と思わせた。そこで最後くらい高いエサを上げようと、1缶100円の猫缶(私が好きなサバ缶は2倍以上の大きさで100円だ)や、250gで500円もするドライフーズを買って与えた。もちろん今までだって松竹梅なら竹の上を与えていたのだが。そしたら食べる食べる。うみゃ~うみゃ~と言いながら一気に食ってしまう。最近では何だか毛艶も良くなり太って来た。久しぶりにネズミも獲った。



●11/20 全国版かどうかは知らないが、今朝のユニクロの折り込み広告を見ただろうか? 新製品が・・・とかじゃなくて「朝6時前に並んだ方には牛乳とアンパンをプレゼント」。前代未聞っていうか・・・要するに6時前から並べってことなのか?? 6時に開店するってことらしいが。まぁ、何かと並ぶのが好きな現代人だから、暗いうちから行列が出来るんだろうけど。それにしても、日本にユニクロ文化あり・・・だ! 自宅からKFSに向かう途中にユニクロがあるから寄ってみようか? って思ってしまうところが既に洗脳されてしまっている証拠。知らない間にパンツ、ズボン、シャツ、靴下、フリース・・・あれ?全部ユニクロじゃん。

そうだ、ボジョレーヌーボーを解禁日の昨日頂いたんで、さっそく飲んだ。ガラス瓶に入ってたから高い? ワインのことは良く分からないが、なるほど50年で最高の出来・・・と言われるだけあって美味い!・・・ような気がする。例年の「気が抜けたファンタ」みたいなことはなく、普通のワインの様に濃くてコクがある(幼い表現だ)。確かに美味いのだが、これってヌーボーらしくないんじゃない?? 爽やかな軽さとは全然違う様な。

インド日記は飽きたので暫く中止です。ちょっと後ろめたいこともあるし。



●11/17 そんなことで皆さん田舎へのお土産も買ったし、いよいよタージマハルか・・・まだまだ・・・「高級ホテルでランチ」っていうのがありました。って、全然高級そうじゃないホテルなんだけど、それでもツアーメイト達はここで記念写真を撮っていました。ところが「さぁ中に入ろう」としたら、君達は裏に回って・・・って感じでホテルの裏から庭を通ってレストランへ。

入口でスタッフがメニューを見せるのだが、なぜか「これこれ」って感じでひとつを指さす。他にもメニューはたくさんあったのだが・・・「じゃぁ、これ」。そしたら全員が同じ「南インド定食」。なんのためのメニューだったんだろ・・・160円。皆素早く、食べて外に出ていく。集合時間にはまだ30分もあるので、チャイを注文した。うやうやしく出されたチャイは美味かった・・・高級茶葉だぞ、って素人にも分かる。ポットやカップもオシャレだし。「へ~・・高級?ホテルってチャイも高級な味がするぜ」・・・140円!! さすがに「ちょっと待て、メニュー見せて・・・」。ありゃ本当だ。スモールポットで70ルピー(140円)って書いあった。高級って怖い・・・へ、勢いで100ルピー置いてきたぜ! 日本人!!

それで誰もチャイを飲まなかったわけね。

で、ついにタージマハルにご対面。タージマハルやアグラ城に関しては、ただの観光なので詳しくは書かない・・・っていうか切りがなくなってしまう。早くインド日記を終わらせないと「ば~か」って言われそうだし。



●11/16 アグラ城を見学した我々は「やっぱし~」って感じで土産物屋に軟禁される。買い物をほとんどしない私は土産物屋には用がないのだが、実はけっこう楽しみにしていた。20何年か前に参加した同じツアーで「インド人がボラれている」のを見たのだ。インド人用「はとバス」なので、軟禁される土産物屋も高級じゃない。売っているモノのは、主にタージマハルの置物。職人がひとつづつ大理石を彫って作った・・・と説明されるソレは「練り物じゃ~ん。型で作ってるし・・・中国製」。

ところが大方の麗しきツアーメイト達は手に取っては「素晴らしい・・」を連発。目が欲しい・・・ってなっちゃてる。間髪を入れずに「実は今日、1000ドルもするタージマハルの置物が幾つもアメリカに売れた。おめでたいから特別ディスカウントだ!」。ひとりが買うと催眠商法状態に。置物の中に仕組まれた赤や青の電球が点くと「おお~!!」・・・だめだこりゃ。店の片隅には「to japan」とかUSAと書かれた小包が積み上げられている。芸は細かいのだ。もちろんこれらは1年先も積み上げられたままだろう。

ガイドに「日本人、こっち、こっち」と呼ばれて付いて行くと、別室に軟禁。いきなりコーラが出た。コーラは嫌いだというとチャイ。「ビールは・・・」無いそうだ。甘いケーキも出してくれたぞ。本物の大理石の工芸品が一杯あるし。ありゃ、カシミール絨毯まで出してくる。「あのガイド、オレを売ったな・・・」。コーラだけ持って無理やり部屋から出る。早期発見早期退散が基本だ。もたもたしていると「こんなのはどうだ・・・」と次々に高額なものを持って来ては出口に積まれてしまう。ガイドに「10ドルだ」と言ってコーラをプレゼントした。もちろん、チップの先払いだ。本当は良いガイドだったので「ケーキも持って来てやれば良かった」と後悔している。

インドではガイドに売られてしまうのは当たり前なので、お互いに何て事はない。




●11/12 そんなことで、朝4時半に旅行会社の前に集合。バスはボルボ社製のデラックス。インド製のバスはエンジンが前にある。如何にもトラックを改造しただけのバスなのだが、これは当たり前だが「見慣れたリアエンジン」。最近、日本でも観光バスに乗ったことがないので「おお!」って、インド人の前で感動しそうになる。

予定通り?客は私以外はインド人のみ! やった~!! 指定席なので、とりあえずはさほどの混乱はない。早朝の空いたデリー市内を抜けると高速道路だ。インドでは最近、高速道路網の建設が始まり、デリー市内では至る所で大工事が行われ、高架化が進んでいる。かつてのインドに行ったことがある方なら「あんなボロクルマが高速を走れるのか?」って思うかもしれない。10年前まではインドで自家用車っていえばTATAかスズキのマルチ(ちょっと大きい?アルト)しかなかった。インド映画ではいいヤツも悪いヤツも、みんなクラッシクなTATAなのだ。それが今や最新型のシビックや安い?ベンツだって走っている。もちろんトヨタやニッサンも。

2時間ほど走って朝食のためにドライブインに停まる。皆と同じものを食べるのだが、そうも私だけ請求書が違うような気がする。実際に高い。予想通り「あんたのは特別製だ」というが、食器が違うだけである。こんなことで頭に来てはいけない。インドには外国人税があるのだ・・・と思うしかない。ましてや出されて食べた後に「違うじゃんか、ボルなよ!」って言うのは最高にカッコ悪いのがインドなのだ。何事につけ、全ては「ことの前」がルール。

大体においてタージマハルやアグラ城、デリーの観光名所では外国人観光客の入場料はインド人のそれの10-15倍なのだ。政府が「外人からは、ボッってもいいんじゃないの」っていう態度だから、そりゃ一般ピープルだってボルわな。伊豆高原のつまらない博物館に800円払って入っている日本人の横で1万円払っている外国人がいるのと同じ。その横でソフトクリーム売ってたらボリたくなる。よくバックパッカー向けのガイドブックに「あなたが余分に払うと、後から来る旅行者がボラれるから迷惑」なんて書かれているが「それが楽しいインド」じゃんね。じゃんじゃんボラれて、後から来る連中に楽しみを作るのも「オヤジバックパッカー」の務めだ。皆が50円しか払わないところを100円取られたぞ。日本人は食器を変えるだけで簡単に2倍払うぞ~! みんな続け~!!



●11/10 今回、おまけとして楽しみにしていたことがある。それは時間があったら、デリーからタージマハルの日帰りツアーに参加することだ。首都のデリーからタージマハルのあるアグラまでは片道250km。インド国鉄が誇る「タージエクスプレス」なんていう高級列車もある。初めてタージマハルを訪ねたのは1977年なのだが、1982年には1日だけ時間があったので、デリーからの1dayツアーに参加した。当時は貧乏旅行だったので、その中でも一番安いツアーだ。そしたら「田舎から出て来たインド人ばっかり」で笑えたし楽しかった。

そこで、今回は最初か「インドのお上りさんツアー」の「はとバス」に紛れ込む作戦だ。旅行会社に外国人が「ツアーに参加したい」っていうと、高いツアーを勧められる。そうすると欧米人ばっかりで面白くないのだ。途中の食事休憩も外人向けの「面白くもない」レストランに連れて行かれる。そこで、まずは田舎から出てきたインド人が利用しそうな旅行会社を捜す。これは駅前にたくさんあるから、その中でも一番安いツアー料金を掲げているところがいい。外国人が利用する旅行会社で「インド人用の安いツアー・・・」なんて聞くと、「この貧乏外国人が・・・」なんて露骨にバカにされる。

さて、予約したの朝5時に出発、22時にデリーに戻るという超ハードスケジュール。3000円で基本的には往復のバス代だけ。スルーガイド付き。タージマハル3時間、マトゥーラ1時間。入場料、食事別・・・さあ、この顛末は??



●11/8  ムースリーで高級避暑地気分を堪能?したので、酷暑のデリーに戻ることにした。インド人で大混雑のボロバスはワインディングロードを一気に1500m下る。平らな道しかしらない都会のインド人はゲロゲロだ。私の前に座っていた5-6人のグループも小さな窓から交代で顔を出してはゲロゲロやってる。その飛沫で窓は開けられない。1時間半足らずで麓のデラドーンに着いた。ここからは列車もあるので列車でデリーに向かう予定だったのだが、ゲロゲロインド人達が「俺っちもデリーに行くから、バスで一緒に行こうぜ」という。あれだけゲロゲロやったのに懲りないヤツらだ。私のバックパックは既に彼らのと一緒にデリー行きのバスの前に置いてある。

まぁいいか・・・旅は道連れ。と思ったところにデリー行きの「デラックスバス」を発見。金額は2倍だが座席はゆったり、エアコン完備だ。「あ、オレこっちのバスで行くから・・・」とあっさり裏切る。バス代は150円に対して300円だからね、そりゃ裏切るだろ普通。一般的なインド人には、この150円の差はデカい・・・らしい。といってもデラックスバスに乗ってるのは私以外はインド人なのだが。デラックスバスは途中で客集めをしないので、順調に走って15時にはデリーに着いた。ところがデリーのバスターミナル周辺が再開発工事で、全然知らないところで下ろされた。待ってましたとばかりに外国人の私をタクシー、人力車、客引き、乞食、物売り、ガキが取り巻く。

ここは脱出あるのみ。奴らを振り切りながら200mほど歩き、そこまでしつこく着いてきた3輪タクシーの運ちゃんとん交渉。3倍くらいボラれて何時もの?バザールに辿り着いた。デリーには予定よりも早く戻ってしまった。さて明日から4日間、どうやって過ごすか。



●11/5 ムースリーは高級避暑地だ。リゾートでも安宿に泊まるほど野暮ではない。眼下にインド平原を見下ろす高級・・でもないか・・・ホテルに泊った。でっかい部屋にバルコニーが付いていて3000円だ。日本人の感覚だと安いが、チャンプなら3日間荷物を担がなければ得られない金額だ。チャンプには気の毒な感じもするが、ヤツも長年外国人のガイドをやってるのだから、この現実は受け入れているはずだ。10時に銀行が開いた。両替に20分以上も掛かってしまった。

チャンプに金を払って食事。高級なレストランもあるので「何処ででも奢ってやるぞ」って言ったものの、やっぱりというか。予想通り何時もの場末の食堂で、何時もの北インド定食。なんだか悲しくなってしまう。なくなったとはいっても、まだまだ根深いカースト制度。チャンプ自身もお金だけで、いいレストランに入れない、もしくは入ったら居たたまれないことを知っている。バス停まで送って今度こそお別れだ。いい加減なガイドではあったが、最後まで「何かくれ・・」とは言わなかった。長い間、インドでガイド生活を送っていたのが本当なら、奇跡的な人間だ。チャンプの歩み?が鈍かったので、せっかちな私もゆったりとした時間が過ごせた。

そんな理由で、今回の旅行の成果の?半分はチャンプとの出会いであったと思っている。いいヤツだったけど、今度会っても絶対に雇う訳にはいかないぞ。

インドは禁酒ではないが、飲もうという努力をしないと、なかなか酒を飲むチャンスはない。肉も同じことで、普通にインド人と同じような店に入ってると、肉料理にもあり付けない。ベジタリアンとノンベジタリアンのレストランは、しっかりと分かれていて、もちろんベジタリアンの食堂の方が多い。ベジタリアンレストランでは確実に酒はない。面倒臭いので今回は、ベジタリアンで通した。当然禁酒だ。

街中でも稀に酒屋を見掛けるが、正々堂々と酒を買えない雰囲気はなんだろう。面白い写真が撮れたのでアップしときます。



●11/1 インドの大都市では両替商がたくさんある。個人でもドルは大歓迎だしレートも銀行よりもいいのが当たり前だ。ところが、ちょっと田舎になると銀行での両替もままならない。しかも夜だし。さぁ困ったぞ。ホテルで聞いたら、デリーへ行く途中のムースリーなら両替できる・・・とか信じられない話。ムースリーってバスで5時間は掛るぞ。やばいことに、チャンプが知り合いのネパール人を連れて来て、ドアの外で何やら話している。おそらく「この日本人がドルで払うって言うけど信用していいのか・・・」なんてことか。それとも山に連れてって・・・・!!

実はこの時、ヤツの家族のために2000~3000円を上乗せして上げようと考えていた。だからドル換算して80ドルを提示したが、チャンプは換算レートも知らなければ、計算も出来ないので納得しない。ガンゴートリーまでの帰りの費用を入れても5000円で十分過ぎる金額だ。さて困ったぞ。手持ちのインドルピーを全部払ってしまうと、途中で何かあった時に面倒だ。で、思い付いたのが、チャンプをムースリーまで連れて行って銀行で両替、インドルピーで支払ってチャンプだけをバスで再びバルコートへ送り返す。私はそのままデリーに向かう・・・これしかないか。

この計画をチャンプに納得させるのが、また大変だった。ムースリーはインドの高級避暑地だ。チャンプはそんなところに行ったことがないから、ひとりで帰れるかが心配だと言う。分かった「オレが責任を持って帰りのバスに乗せるから、ガイド料も1日分、余計に出すし。それにムースリーに行ったなんてことになれば仲間に自慢出来るぞ!」。やっと了解を得た。ムースリー行き朝イチのシェアタクシーは5時に出発だ。

ムースリーは植民地時代にイギリス人が「おお、ここは涼しくて景色もいいぞ。ここに町を造ろう」って感じで栄えた高原の避暑地だ。デリーから一日で来られる高級リゾートとして、インドでは人気の町だ。インドに来て避暑地もないだろう・・・ってことで一度も訪ねたことはなかったが、そんな理由でムースリーに行くことになった。せっかくだから1泊するつもりだ。



●10/28 頂上で雨が降り始めた。ザーザーと本格的に降ることも。道は馬のうんこだらけだ。雨が降ったら想像を絶する汚さ、しかも滑るし。インの人達は「使い捨てカッパ」を着始めた。こんな山の上でカッパを買うとボラれるんだろうなぁ・・・富士山じゃ1000円とかしたぞ。それが意外、30円だという。で、チャンプに買ってやったら喜んでいた。聖地じゃボラないのか? やはり富士山は聖地ではないらしい。うんこ道を下りる。尻もちをついたら悲惨なので慎重だ。

降りたところのジャンキチャッティで泊まろうとチャンプが言う。「ばーか、お前がちんたらしてるから、こんなに遅くなった上に雨に降られたんだろ」「ジープをチャーターしてもバルコートまで行くぜ」。ジャンキチャッティは馬やロバの「うんこ町」だ。ウッタルカンドはどこまでも山が続き、信州を何倍にもしたようなところで、そのどん詰りがヒマラヤだ。その中にいくつかのジャンクション的な町があり、バルコートもそのひとつ。バルコートまで降りておけば、翌日、どこに行くにしても簡単にバスが捕まる。

ここでチャンプが30kgものジャガイモの運び屋を受けたものだから、暗くなって着いたバルコートでは、またひと騒動起きてしまった。まぁ、ここで今度こそチャンプと別れて、明日は一人でデリーに向かうので、がまんがまん。500円のホテルに入ってチャンプーに3日間のガイド?代と帰りのガンゴートリーまでの交通費やチップを払おうとしたが、インドルピーの持ち合わせが6000円ほどしかない。5000円をチャンプに払ってしまったら1000円しか残らないので、さすがに心細いじゃん。

インド人やネパール人はアメリカドルが好きなんでドルで払いでいいかと聞いたら「ヤダ、絶対インドルピー」だと言う。チャンプーは計算が出来ないので分かり易いインドルピーで欲しいのだ。しかも私はガンジスの聖地で飯代を踏み倒そうとした悪人だから、こと金に関しては信用されていないらしい。紙にレートや迷惑代として上乗せをするという様な数字を書いて説明したが、全く信用しない。ネパール人はインドで日本人以上に騙されるので、私を信用しないのも理解できる・・・前科者だし。



●10/27 無事にヤムノートリーへの新登り口「ジャンキチャッティ」に着いたのは9時半過ぎになってしまった。出来れば、今日中に降りて来て夕べ泊まったハヌマンチャッティまでは戻っておきたいところだ。ヤムノートリーに関しての資料は皆無で、来ることになるとは思ってもみなかったのでネットでも検索してなかった。って、帰国後調べたら、ほとんど記事がなかったんだけど。ゴームクとは違って登山道はしっかり整備されていて、要所は階段や手すりが設置されている。意外?なことにゴームクの何倍ものインド人が来ている。外国人は私だけの様だ。しかも4人で1人を担ぐ人力タクシーや馬も用意されていて、それぞれ4000円、8000円で乗れる。こりゃ面白くないトレッキング?だ。

ヤムノートリーまで5kmと書かれた地点からスタート。ヤムノトリーの標高は3000m。なんだ簡単じゃん・・・と油断したら、これが急登の連続。高度計を持っていなかったから分からないが、800mくらいの高度差を登ったんじゃないだろうか。チャンプにリュックは麓の茶屋に預けろ・・・と言ったのだが、インド人を信用しないチャンプは担いで行くと言う。案の定、歩き始めて10分もしないうちに休息タイム。その後も全然ペースが上がらないので、私だけ先に行くことにした。2時間でヤムノートリー着。天気が崩れ始めて寒くなって来たが、フリースはチャンプのリュックの中だ。頂上の茶屋に入ってランチを食べる。チャンプは1時間以上遅れて死にそうな顔をして到着した。やっぱ、ヤツは病気なんじゃないかと、このとき確信した。

ヤムノートリーは寺院や温泉施設、お土産物屋、食堂もある人気聖地でインド人で混雑している。ここの温泉で米を茹でて食べると、どんな病気も治るということで、ポーターに背負われた老人もやってくる。インド人には人気だが外国人にはマイナーらしく、日本人はおろか欧米人にも会うことはなかった。一回り見学をしているうちに雨が降り出した。本格的な雨になったら、あの馬のウンコだらけの急坂を下りるのは困難だ。チャンプをせかすが動こうとしない。



●10/21 田舎のボロホテルだったが静かで快適な睡眠が取れた。何年か前までは、このハヌマンチャッティから歩き始めたらしいが、今ではこの先10kmのジャンキチャッティまでクルマが入れるとのこと。たった5km歩けばヤムノートリーに行けるらしい。何だかすごく得した感じと「簡単過ぎない?」と、つまらなくも思った。

このハヌマンチャッティは幹線道路から50mくらい引っ込んだところにクルマ溜まりがあって、始発のバスはそこから出る。チャンプの指示でそこで待ったが、なかなかバスは出発しない。何時動くのか誰も知らないというインド的な状況だ。で、幹線道路に出て他からジャンキチャッティに向かうクルマを拾おうということになった。20-30分後に乗合ジープが止まってくれた。観音開きの後のドアを開けると既に満員状態。その隙間にリュックとショルダーバックを押し込み、チャンプを先に乗せた。超満員の時はドアの近くの方が少しは楽だからだ。ところが、どうにも隙間が出来ない。インド人達が「ノー・・フル、フル」と叫ぶ。が、ここで置いて行かれるわけにはいかない。ドライバーもそう思ったのか?空を指差す。「了解、ルーフキャリアね」。

20年振りくらいで屋根に乗ったよ。幸い荷物は1個しか乗ってなかったので広々している。そうは行ってもインド製のルーフキャリアだから頼りない。30分間、絶景を楽しんだ。ガードレールもない絶壁に付けられた狭い道を行くのだから楽しくない訳がない。2度と乗りたくはないけどね。それより大問題はリュックはともかく、現金やパスポートが入ったショルダーバックがインド人の中に放り込まれたままになっていることだ。



●10/20 その晩は疲れていたせいか良く眠れた・・・っていうか、目を覚めさせたのはチャンプの「旦那~出発の時間ですぜ」って声と、ドンドンとドアを叩く音だった。やば、6時50分だ。バスは7時・・・間に合うわけない。まあ平均しても30分は遅れるので大丈夫・・・かな。とにかく散らかっているモノを片っ端からリュックに詰め、それをチャンプに持たせて先にバス停に行かせる。「バス、待たせとけよ」。残ったモノをビニール袋に突っ込んで私も出発だ。チェックアウトは夕べのうちに済ませてある。7時10分にバス停に着くとチャンプが「旦那、ホテル代払ってきた?」だと。

案の定、バスは出発の気配すらない。近くの食堂で朝飯を食べる。ヤムノートリーに行くにはとりあえずウッタルカーシーで乗り換えて、バルコートという分岐点の町まで行かなくてはならない。この接続が悪く、今日はウッタルカーシーで1泊だろうと、チャンプもホテルのスタッフも言っていた。ところが、このバスが非常に快調に走り、往路はシェアタクシーで6時間掛ったところを4時間足らずで走破。途中で飯食ったりの休憩時間がなかっただけのことだが・・・下りだし。ウッタルカーシーに12時前に着き、降りたら目の前にまさに発車直前のバルコート行きのバスが、クラクションと空ぶかしも高らかにファイナルコールだ! そのまま乗り込む。し、しまった水も食料も買い損ねたぞ。

果てしなく続くと思われるような山道を走り続けて、16時バルコートに着いた。朝から、ずっとインドのボロバスに揺られっぱなしだ。茶屋のイスに座ったら景色がまだ揺れている。チャイを飲みながら「今日はこの町に泊まるのか・・・やだなぁ埃っぽくて」なんて思ってたら、目の前を「ハヌマンチャッティ! ハヌマンチャッティ!」とクラクションを鳴らしながらミニバスが。あれ?ハヌマンチャッティってヤムノートリーへの登り口の村じゃないか?? 「チャンプ、乗るぞ。バスを止めろ!」。もう完全にランナーズハイならぬ「インドバスハイ」状態だ。ぎゅうぎゅう詰めのバスで1時間40分。山あいの戸数40-50軒の小さな村に着いた。もう真っ暗・・・腹減った。熱が出そうな過激な一日だったが、翌日はそれさえ平穏な日に思える「インドな一日」が待っていたのだ。



●10/19 インドの北部の山岳地帯には、このガンゴートリー以外にも三つの聖地があり、それら全てを訪れることはヒンドゥー教徒にとっては至福の喜びだという。じゃぁ野次馬根性で、もう一か所行って来るか。ここから一番近いのはヤムナー川源流の聖地「ヤムノートリー」である。ヤムノートリーはここから一度町に降りて隣の谷を上っていく。やはり最後の村から10数kmを歩くらしいが何の資料もない。ここと同じく巡礼路なので、行ってみればエスカレーター式に行けるはずだ。

飯を食いながらそんなことを考えていたら、チャンプが「おらぁさぁ、もっと金が欲しいだよ。もう2-3日雇ってくんないか」と来た。しかも「ヤムノートリーなんかどう?」。見透かされたか? その気はないが話だけは聞いてやる・・・という態度で臨む。登り口まではガンゴートリーからバスで片道2日は掛るということだがアテにはならない。それよりも「こんなヤツでも居ないよりは楽が出来るぜ・・・」っていう怠け心が再び湧いて来た。ヤムノートリーはインド人には人気だが外国人にはマイナーだ。なんてったってガンジス川vsヤムナー川では勝負にならない。だから外国人ツーリストはほとんど居ないし、そのための設備もないという。つまり「俺と一緒の方が楽だぜ」ってアピールだ。

この頃になると、チャンプを雇うかどうかということよりも、この「惨めで一生懸命な老人」っていうか、その家族のために何とか金を落として上げたいという「仏の柿田郎」になっていた。で、本来なら明日の朝バス停まで送らせて、別れ際に「子供のために使ってくれ」と2000円位渡して上げようと考えていたのだ。なんてったって入国時に銀行で300ドルをインドルピーに換えたのだが、まだ半分ちょっとしか使ってないのだ。思っていたより安く旅行出来た分のいくらかは、インドの大地で必死に生きている人間に落して上げたい。

じゃぁ、もう2~3日一緒に旅するか・・・ということになった。ガンゴートリーを出るバスは朝7時。チャンプに6時45にはホテルに迎えに来るように伝えて別れた。



●10/17 翌日はガンゴートリーに帰るだけだから簡単だ。しか~し、ここで事件の真相が明らかに。「ご主人様、一昨日泊まった時の夕食代は払ったのですか?」 そんな食事代なんて「お前がオレから金を受け取って払うのが常識だろ・・・ガイドのつもりなら」あ、しまった、払ってない!! そうだったのだ。ここポジサーバでは「食い逃げした日本人」で話題になっていたらしいのだ。それが昨日の宿泊拒否の真相だったのだ。昨晩、ガイド仲間と台所に泊まったチャンプは、そのことでガイド仲間にずいぶん責められたらしい。「お前の主人はろくでもない、せめてガイド料を踏み倒されない様にするんだな」って。

それだったらチェックアウトの時に教えてくれりゃいいじゃんね。たった400円だぞ、食い逃げするわけないじゃん。それに今までのトレッキングでは雇ったガイドが、たいてい「ご主人様、宿の者が食事代として○○円払ってくれと言ってますが・・・」というように、宿代も食事代もガイドを通じて払うことが多かった、ボラれないし。で、500円払って「釣りはいらないぞ!」って日本人の金持ち振りをアピールしてきた。今後ポジサーバで日本人だけが先払いになっていたら、それは私の責任です。これで済んだかと思われた事件であったが、この後も意外な形で後を引くことになった。

とりあえず昼過ぎには無事ガンゴートリーに着き一休み。夕飯にチャンプを誘ってガイド料3000円とチップ300円を手渡した。へなちょこガイドではあったが全て無事に終わり、伝説の?「Sky Ganga」にも行けた。さぁ、明日からは再び気ままな一人旅だ。ここまでは思ったより順調で時間が余ってしまったぞ。



●10/17 で、「まぁ、これがSkiGangaであったとしとこう・・・」ということで下りに掛った。今回はそんな急斜面を登り降りするつもりはなかったので、愛用のスティックや登山靴は持って来なかった。帰りに捨ててしまおうと思っていたヨレヨレのトレッキングシューズと、ガンゴートリーで20円で買った竹の杖だ。ゴームクまでの下りは大変というよりは、すっげ~怖かった。17時、暗くなり始める頃にポジサーバに戻った。ここには政府直営のロッジと2軒のアシュラム(修行者のための寺院で寝泊まり出来る)があるのだが、そのいずれもが満員で泊めることは出来ない…と冷たく言われてしまったのだ。

これが一人旅だと、けっこうヤバい事態なのだが、なんてったって今回は優秀なガイドがついているので、私は「チャンプ、どこか捜せよ」って言うだけでティータイムだ。ところがチャンプがそれぞれの宿のスタッフにお願いしても、なかなかラチがあかない。最終的には「3倍額出すから、どこか空けてくれ」って頼めば、不幸なインド人か現地ガイドが追い出されて私が泊まれるのだが、それは最後の手段だ。それにしてもおかしいのは、まだ遅れた巡礼者がやってくる時間帯なのに、なんで満員何だ? 後から来る連中はどうするんだ? この理由は後から分かることになる。

やっと確保した寝床は、修行者用の3畳間?で4人用という極悪環境。しかし先客はふたりしかいない。しかも白人の若いカップル。想像するに彼らは二人でひと部屋を借りたのだ。スタッフが彼らがOKなら、ここに寝ろ言う。で、「日本のオヤジだけど、ご一緒できますか?」と聞いたら、笑顔でOK。まぁ、断れなかったんだろうけど。小汚い3畳間に3人で寝ることになった。ベッドも無く土間にゴザを敷いただけの部屋は、夜中にネズミが走り回り、3人で交替で追い払うという状況で朝になった。彼らの名前はピエールとシモーナ。若い夫婦でメキシコのアカプルコ近くのホテルのマネージャーをやっているとのことだった。記念写真を・・・と思ったのだが、翌日は私と同じくガンゴートリーに下るというので、また道中に会うだろうと思ったら、その後会うことが無かったのは残念だった。



●10/16 最後の急坂を登り切ると、いきなり反対側が見える訳だが、そこは予想に反して「草原」であったのだ。草原と呼ぶには情けないような植物達だが、ここまでの荒涼と した大地から、更に登ったところに生命感があるというだけで驚きである。正確な標高は分からないが4500mに近いことは確かだろう。その生命帯の向こうには荒々しい怪 峰シブリンがそびえる。なんと小川まで流れているではないか。

時間は11時を過ぎていたので、帰りの行程を考えると長居は出来ない。14時半には帰路に着かなくてはならないだろう。逆にいえば、ここから1時間半は前進可能という ことだ。で、小川に沿って歩き始めた。誰も歩いていないが優秀なガイドがいるから不安はない。この小川はシブリンの方から流れて来ているのだが、意外にも緩やかな草原で 、どこまでも歩けそうな雰囲気だったが、その分景色も変わり映えしない。予定通り12時半まで歩いたところで、チャンプに帰ろうと言った。同じく小川沿いを帰ったのだが 、突然「あれ?これが天空のガンジス??」って閃いた。

SkyGanga・・・天空のガンジス。何時だったか、そんな言葉を聞いたことがあった。何かの雑誌で読んだのだとは思うが「実は地上のガンジスに対して、もっと高い楽園にもう ひとつのガンジス川がある」という様な事が書かれ、しかし、そこはあまりに険しく遠い・・・とかあった。元々、ゴームクに行こうなんてことは2か月前まで思ってもいなか った私だったので、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。チャンプに「これがスカイガンガか?」と聞いても当然知らない。確かに、この小川は聖なるシブリンから流れ 出して、ゴームクの遥か上でガンジスの水源とされているガンゴートリー氷河に流れ落ちている。




●10/15 で、ポジサーバで宿泊し、翌朝6時半に出発・・・しかし、この時点で事件の種は撒かれていたのだ。ここからゴームクまでは緩やかな上り坂を2時間ほど。あと300mってところでチャンプが「ゴームクは午後のほうがいい。午前中は喧しいインド人や欧米人が多いし、写真を撮るにも逆光になる」・・・へぇ~ガイドみたいなこと言うじゃん。ガンゴートリーからゴームクだけを見て帰るなら、午前中にゴームクを出れば途中に泊まらずにガンゴートリーに帰れる。ポジサーバには電気も水道も無いし、食事もあり合わせ、テントに雑魚寝・・・と一般的には留まりたくない環境らしい。だから80%の人間は1泊で帰ってしまう。

チャンプが2泊しようと勧めたのは、ゴームクから更に氷河を遡れるというからだった。つまり今日は荷物をポジサーバに置いて、より高いところを目指すわけだ。この辺りの情報は全くなく、全ては「なんちゃってガイド」のチャンプに掛っている・・・ので全然期待してなかった。1日分余分に給料を欲しいんじゃないの。

ゴームクから氷河のモレーンを登り、巨大なガンゴートリー氷河の横断に掛る。氷河といっても氷が表面に出ているわけではなく、大小の岩石で覆われていて、一見すると賽の河原を歩いているようだ。しかし、アップダウンの連続だし、クレバスや落石の危険は常にある。40分程掛って氷河を横断。反対側には100m近いモレーンの壁が。これを登り切れば景色がいいことは想像できる。こんなところを登る予定はなかったので、帰りには捨ててしまおうと履いてきたボロボロのトレッキングシューズが恨めしい。しかしチャンプはサンダルだ。

標高は4500m近い。あとちょっとが苦しいぞ。やっとモレーンの上に出て見えた景色に驚いた。



●10/14 で、10月30日、予定通りガンジス源流「ゴームク」に向かってトレッキングが始まった。トレッキングといっても2泊3日、宿泊高度は3800mだから「お遊び」だ。おまけに自分で担ぐつもりだったので、徹底的に軽量化して来た荷物も担いでくれるというし。ルンルン気分で朝6時半にガンゴートリーを出発。朝早く出発するのは、早く宿泊施設のあるポジサーバーに着いて「良い寝床」を確保するためだ・・・という。私は歩くのが早い?ので欧米人、ましてや山素人のインド人に負けるはずがないので、そんなに早く出発しなくてもいいのでは・・・と思った。ところが出発して15分くらいでガイドが「あ、忘れ物」とガンゴートリーに戻ってしまい30分以上のロス。

本格的に歩き始めたものの「ゆっくり歩け、ビスタリ、ビスタリ」(ネパール語でゆっくり)を繰り返す。おいおい、こんな低くて平らなところで「ゆっくりはないだろう」。急な登り坂が続くところで「驚愕の事実」が判明!! 「おまえ歩けないんだろう!!」。つまり、ガイドやポーターとしてご主人さまの荷物を担いで、それなりのスピードで歩き続ける体力がないのだ・・・ヤツは。「私はゆっくり行きますから、ご主人様も写真でも撮りながらビスタリで行きましょう」だと。かなりペースダウンしても、ヤツは着いて来れない。ヒマラヤトレッキングでは、けっこうこういうトラブルが多く、逃げ帰ってしまうポーターや主人よりも先に高山病で倒れてしまうことも珍しくはない。

欧米人どころかインド人にも抜かれてしまうペースだ。今日の歩行距離は15km、標高差は800m。5-6時間コースだろう。結果的には15時、8時間で宿泊地に着いた。ヤツの名前は「チャンプ」笑える!、3人の子持ちのネパール人。まだまだ働かなくちゃならないんだ、使ってくれよ・・・・・・と時々悲しい顔をする57歳。確かにポーターを奴隷扱いするインド人や、人種差別する欧米人のポーターは出来ないな。ここはしょうがない、付き合ってやるか。



●10/13 今回の旅はインドの巡礼者に混じって「ガンジス源流を訪ねる」だったので、荷物は自分で全部担ぐつもりだった。リュックも10kg以下だ。が、ガンゴートリーに着くなり現れた「自称ネパール人ガイド」の登場で、今回の旅は何だか変な方向に行き始めた。

「おれネパール人。ガンゴートリーでガイドの仕事を始めて22年。ガンゴートリーじゃ唯一のネパール人ガイドさ。1日1000円で荷物を担ぐから、ご主人はカメラだけ持って歩けばいいのさ」。インド人ガイドやポーターは途中で何かとチップを要求しそうなんでヤダな・・・それなら一人で歩いた方が・・・って思っていた私の心の隙間にインディアンマジックな誘い。危ないかも。飯でも食いながら考えよう・・・と夕飯を奢った。

奴の年は57歳、山で働ける年齢をとっくに過ぎている。聞けば故郷のポカラには3人の子供がいて、家族を養うためにネパールがシーズンオフの5~9月はガンゴートリーに出稼ぎに来てるということだ。なんでも先妻が病で亡くなって再婚、だから子供は15,13,8歳とかで、まだまだ金が掛るから死ぬまで働かなければならない。そんな話に同情したわけではないが「荷物を担がなくてもいいのかぁ・・」という誘惑にあっさりOKしてしまった。

で、翌日からヤツとのトレッキングが始まったのだが、ここで分かったことがあった。昨日の英語は過去に何回も話していたので「丸暗記状態」だったのだらしいのだ。そこから外れるとまったく、喋れない通じないのだ。まぁ私としては英語で寺院の云われや神様の話をされるのはイヤなので、かえって都合は良かったのだが。ところが、更に驚いたことにヤツは「字が読めない」のだ、地元のヒンディー語の。だってネパール文字とほとんど同じような感じだぞ・・・あ、もしかしてネパール語も読めない?? この後、驚愕の現実にブチ当たることになる。



●10/12 さて、今回のインドの旅だが、主にウッタラカンド州と呼ばれるところに行って来た。首都のデリーから北に数百km走ると、ぐんぐん高度が上がり、やがてガンジス川の源流とされる「ガンゴートリ」という村に着く。通常はこのガンゴートリーの寺院にお参りすることで「聖なるガンガー」を極めた?ことになる。標高3000mのガンゴートリーまでは道路も整備されていて、通常は3日間のバスの旅で行くこといが出来る。道路が整備されてからは、インド中から巡礼者が訪れるようになり、秘境ガンゴートリーもホテルやレストランが立ち並ぶ「山の町」になっている。もちろん私はヒンドゥー教徒ではないので、あくまも野次馬としてガンゴートリー行ってみたかっただけのことなのだが。

かの「地球を歩く」にもこの辺りの情報はなくインターネットで調べることになるのだが、どうもインターネットの悪いところで、現地に行く前にあらゆることが分かってしまって詰らない。で、私の場合は秘境専門の旅行会社の日程表を参考に「パックツアーで往復12日なら、ひとり旅なら4日間も余裕を持ってれば大丈夫だろう」と考え、特に日程も決めずに、もちろんホテルも予約せずに出かけた。デリーには26日の夜に着いたが、翌日早朝の列車でハリドワールに向かい、直に3輪タクシーに乗り換えて、日本を出て翌日には、ガンガーの聖地にひとつであるリシケシに着いてしまった。

ガンゴートリーのお寺巡りが本当の目的でないことは分るだろう。そう、ガンゴートリーからヒマラヤに向かって歩き、ゴームクと呼ばれる「まさしく、ここからガンガーが始まる」という氷河の末端まで行って来るのが本当の野次馬なのだ。通常はガンゴートリーからゴームク往復は1泊2日で歩ける。私がここを2泊3日にしたのは、当然他の考えがあってのことだ。乗合ジープでガンゴートリーに着いたときに「おれネパール人、ガイドに使ってくれよ」というヤツの出現で、この後、不思議な旅となった。

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