| 私の養殖日記2007/10-12 | |||
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| ●12/29 面白いのは電話だ。日本に電話をするのに簡単なのはホテルからなのだが、法外な手数料を取られて気分が悪いので、私は町の電話局や電話屋からする。今まで行った国々では、この電話屋がたくさんあったので不自由はしなかったのだが、マリではほとんど見かけなかった。団体旅行なので自由時間も少なく、ジェンネで現地ガイドに「日本に電話したいけど電話局は何処?」と尋ねたら「そんなのオレのケータイを貸してやるぜ」と言う。私はケータイに疎いので、ケータイで・・・しかもアフリカ人が持ってる「おもちゃみたいなケータイ」で国際電話が出来るとは知らなかった・・・というか「あんた、日本って知ってる? エジプトより遠いんだぞ」って感じだ。 彼は「日本人は遅れてるぜ・・・」と思ったかどうか、近くの露店でプリペイドカードを買って(カード自体、私は初めて見た)「ほれ、これで電話しな」という。プリペード携帯の存在は知っていたが、テレホンカードを本体に差し込むと思っていた私には、その紙切れの使い方が理解出来ずに、アフリカ人の彼に手取り足取り?教わることになってしまった。「へ~ カードケータイってこういうのだったんだ・・・」アフリカで勉強してしまった。 で、0081から始まる番号を入力すると、あら不思議?日本に繋がっちゃうじゃん・・・どいう経路で繋がっているのかタイムラグもないし雑音も入らない。ロバ車や牛車が行きかう埃だらけのジェンネのマルシェから、伊豆の国市の妻と普通に話が出来るのだ。これって絶対変だ。本来、秘境ってところから電話すると、なかなか?がらないし、タイムラグと盛大なノイズで「おーい、聞こえる??」って、電話が繋がったことに感動しなければならないのだ。まったく情緒が無くなったものだ・・・安いし。 ●12/29 マリの旅では、1回もKFSのHPに書き込みが出来なかった。理由はインターネットカフェを利用するチャンスが無かったからだが、99年にネパールから書き込んで以来、初めてのことだ。2週間の旅といっても旅程はもの凄くタイトで、しかも絶対にネットカフェが在り得ない(電気が来てない)ところに5泊したし、町に泊まった時も、ホテルは郊外の外人専用?みたいなところで、夜な夜な繁華街に出かける雰囲気でもなかったので、まったくネットカフェを見ることはなかった。 新しくなったパリのドゴール空港でネットカフェを見つけた。パソコンが10台ほどあったが無人だ。発展途上国では店員がいて使用料金を徴収する。多かったのがプリペイドカード制だ。ドゴール空港のは、ちょっと変わっていた・・・っていうか先進国はこうなのか? 自販機があったからカードを買うのかとコインを入れた。プリンターからレシートが出てきたがカードは無い?? 誰も利用してなかったので要領が判らない。とりあえずパソコンの前に座ってみるとIDとパスワードを入力するように表示されている。何のパスワード?? すると後から来たヤツがレシートを見ながらキーボードを打ってる。そうか、レシートにIDとパスワードが書いてあるわけだ。 でKFSのHPに繋がったのだが、これがどいう理由か2ページ目の下の掲示板、集会所なんかの目次?が並んでいる部分が表示されない・・・つまりページの真ん中だけが拡大表示されている状態。なんだこりゃ?と困っているうちに15分の時間切れとなってしまった。先進国は難しい・・・と思った。 ●12/25 最近、TVショッピングなんかでお馴染みのケルヒャーの洗浄機を買った。養魚場には本格的な高圧洗浄機があって、それで養殖池を洗浄している。3,7kwのモーターが駆動力、図体が100kg以上で、その威力はクルマを洗ったらボコボコになってしまいそうだ。ところが家の外壁や、ちょっとした洗浄には威力が有り過ぎるし、なんてったって図体が大きいので普通の掃除に活躍することはなかった。 昔から洗浄機といえば、そのイメージがあったので、ホームセンターに売っているオモチャみたいなヤツは実用的ではないだろうと、ずっと思っていた。で、19800円也のちっちゃなヤツを使ってみて驚いた。すっげー威力なのだ。水圧自体は大型のものに見劣りしない。もちろん噴出する水の絶対量が少ないのでクルマが凹む程の威力はない。家の外壁や駐車場、通路、クルマを洗うには誠に調子がいい。もちろんこの時期、大掃除に大活躍なのだが、やはり水を使うとなると寒い。夏が来るのが楽しみだ。 ●12/24 たった14日間、実質12日間の旅だったのに、アフリカのことを書き始めたら切りがなくなってきた。ヒマラヤトレッキングのように素晴らしい景色を見たわけでもなければ、有名な歴史的建造物や遺跡を見たのでもないのに。ひとつひとつの場面は大したこと無いのだが、全体を通してみると非常に充実していたというか・・・今までに経験したことがない感覚で旅を振り返っている。 人類の祖先は数百万年前にアフリカで誕生し、ヨーロッパやアジアに移動したことは定説になっている。なのに彼らはエジプト文明(あれは宇宙人が関与しているのだが??)や地中海沿岸のローマ文化以外には人類の歴史上に大した痕跡を残していない。しかも50数カ国あるアフリカ諸国は、そのほとんどが超貧困だ。 アフリカには何故大型の野生動物が多いのか。アフリカにしかない恐ろしい病気も多い。今まで疑問にも思っていなかったことだが急に興味が出てしまった。そんなわけでアフリカの日記はまだ続いてしまいそうだし、今後も上記の疑問の答えを発見したときには報告もしたい。 ●12/18 柿田郎のアフリカは楽しい・・・!?(仮題)11 砂漠ではクルマがエンコすると死につながるので、ドライバー同士が助け合うと聞く。故障を直せなければ食料や水を置いていく・・・。昨年のチベット横断では、そんな光景を何度も目にした。我々の4台のランクルと1台のトラックは常にお互いの状況を見守りながら走っていた。だから途中で1台がトラぶって立ち往生しても、すぐに仲間のランクルが駆けつけた。 ボートからランクルに乗り換えて初日、砂漠を走行中に私が乗ったランクルがエンコ。まったく走れなくなった。本格的に砂漠を走り始めて2時間も経っていないし、最初から他の2台のペースに追い付けない様子だった。問題なのはエンコしてしまった時点で置いていかれてしまっていることだ。トランシーバーも無いから連絡もとれない。どうすんだ?狼煙でも上げるのか?? さらに不思議なのが止まってしまってから1時間余りの間に、何台かの車が通り過ぎたのだが、まったく止まってくれないことだ。幸い曇っていたから良かったが、太陽が出ていたら地獄だぞ。 結果的には、その日の昼食の予定地に着いた先行の2台が「3号車が来ないぞ・・・どうしたんだ」と延々50kmを引き返して来て、人員だけを乗せて仲間のところ戻った。そこで新たにランクルをチャーターして宿泊予定地に向かったが、暗くなってしまい景色は見えないし、腹は減るしで流石に不満だった。また暗くなってから走った道が、今までになかった極悪路で、運ちゃんも道(らしきもの)が判らなくなり何度もターンをするしで、体調を崩してしまった参加者もいた。途中で売っていた4個20円のマンゴーだけが救いだった。 砂漠でエンコしたら死んでしまう・・・というのは有り得る「人災」であった。 ●12/17 柿田郎のアフリカは楽しい・・・!?(仮題)10 マリでの移動手段は・・・といっても旅行会社で用意してあるのだが・・・最初の3日間がマイクロバス、3泊4日のボート、最後の4日間がランドクルーザー・・・と変化に富んでいた。が、どれもボロである。マリの大地は赤茶けていて超埃っぽい。道路は妙に赤く、クルマが走り抜けると鮮やかな砂煙が舞い立つ。なのに私が乗ったランクルの窓は壊れていた。容赦なく砂ほこりが入って来る、サハラの砂だと思うと、ちょっとは許せるが、こんな時に限って3日間シャワーが無い。髪の毛も皮膚もパサパサだ。ホテルでシャツを洗うと洗剤を入れる前から水が黄色くなる。 風がちょっと吹いただけでも埃まみれになるので、当然現地人は砂埃とは友達らしい。我々のランクルが砂埃を上げて彼らの脇を通り過ぎても、まったく動じない。道路沿いの村や家、お店もだ。もちろん店で売ってる食品や衣類も砂だらけ。生まれた時から砂だらけなので、これが当たり前なのだろう。現代人は埃は苦手だが、デジタル機器や機械類にも厳しい環境だ。こんな古いクルマがまだ走ってる・・・と驚くがこの劣悪な環境を乗り越えて残ったクルマは永遠に壊れないのではないか。ハイテク満載、ミクロン単位で部品が作られている現代のクルマこそやばいかも。 ●12/16 柿田郎のアフリカは楽しい・・・!?(仮題)9 アフリカの旅での食事は? 私の場合、海外旅行ではぜいたくな(日本人にとって)食事をすることは稀なので、何を食べても(食べさせられても)まぁこんなものか・・・で済んでしまう。マリのホテルは4カ所泊ったが、普通の海外旅行で泊る宿としては最低ランクだろう。そこでの食事も美味いというよりは「食べられる」レベルだ。肉は硬い、米はすかすか、パスタはへにゃへにゃだ。味付けはトマトソースが基本で、甘くもなく、しょっぱくもなく、辛くもない。調理法は焼くか煮る。観光客が少ないせいか洗練されていない印象だ。味付けが薄いのは、各自塩や胡椒で勝手に味付けしておくれ・・・という意味に捉えた。もし、この地方に行かれる方があったら、塩コショウ、ガーリックパウダー、唐辛子、タバスコ、醤油なんかを持って行くことを勧める。今回は、誰かしら醤油くらいは持ってくるだろう・・・と全員が思ってしまったのか、誰も醤油を持って来なかったのは失敗であった。 最終日、ブルキナファソの高級(多分)レストランでピーナッツソースで煮たサカナと鶏肉が出た。これは今まで食べたことが無い味で美味かった。さらに帰りのヒコーキに乗る直前に、首都のワガドクでベトナム料理を食べたのも印象的だった。イスラムの国なのに豚肉料理が出た。そうそう、アフリカと言えばクスクスだが私は余り得意ではない。パサパサ感があってノドを上手く通らない。例えアフリカ米であってもライスの方が良かった。ちなみにビールは大ビンがレストランで200円くらい。面白いことにお店で買うと、ビンのデポジットが高いので230円位になってしまうらしい。ワインは1500円位だが、さすがフランスが関与した国だけあってハズレはなかった。同じ理由でパンが日本よりも美味かったのには救われた。 ●12/15 柿田郎のアフリカは楽しい・・・!?(仮題)8 トンブクトゥーの北750kmのところにタウニデという塩鉱がある。ここで切り出された板状の岩塩はティンブクトゥーに運ばれ、かつては金と同じ価値で取引されたという。タウニデは厳しい自然環境にあり半径500kmに人里は無い。逃げ出しようがないので犯罪人を、ここに集めて作業をさせた。掘り出された板状の岩塩は今だにラクダのキャラバンによって運ばれる。ティンブクトゥーまで20日間のキャラバンで死んでしまうラクダも珍しくないと聞く。もちろん普通の塩もあるが、現在でもタウニデの岩塩は珍重されている。 ジェンネのマルシェでは板状のタウニデ岩塩をノコギリで切って小売しているところに出くわした。もちろん買ってしまった。たばこの箱サイズくらいに小さく切ったものを素朴に包装したら、お土産として大人気だろうと思うのだが、そういうものは見掛けなかった。 19世紀初めにはヨーロッパの多くの冒険家がサハラを越えて、黄金の都ティンブクトゥーを目指した。その頃のティンブクトゥーは既に衰退し、往年の繁栄は見る影もなかった。途中で殺されたり、ティンブクトゥーにたどりついても過酷な運命が彼らを待ち構えていた。そんな彼らの足跡を辿るような、アルジェリアからサハラを越えタウニデを経てティンブクトゥーに至るパックツアーもあって、本当はそれに参加したかったのだが、残念ながら催行される見通しが無かった。 ●12/14 柿田郎のアフリカは楽しい・・・!?(仮題)7 さて、マリ旅行で困ってしまったのがお土産だ。参加者は「アフリカ通」の方が多く、ドゴン族の木彫りのマスクや人形のデカいのを買っていた。5000円も出すと持てない程大きなものも買える。ドゴンマスクに詳しい方に「1個買うなら、どんなのがお勧めですか?」と選んでもらったが、どうしても私の好みではないので止めた。でも。皆が凄い勢いで買うのに刺激されて、全くマイナーなワニの彫り物を買ってしまった。 毎回、KFSのお客さんにはキャンディーや菓子を大量に買ってゴマかしていたのだが、今回は団体旅行で自由時間が少なく、一般食品が売っているお店に寄ることも出来なかった。また、そういう店自体が少なかったように思う。で、ブルキナファソの石鹸工場見学のときに、カリテの木から作った石鹸というのを買って来た。これをKFSの流しに置いておくから使ってくれ・・・という超エコなお土産でゴマかすことにした。 帰りはパリで6-7時間の待ち時間があったので、数人で早朝(まだ暗かった)のシャンゼリゼに繰り出した。そこでフランスパンを10本も買ってこようと思ったのだが、これもまだ店が開いてなくてだめだった。まぁ、そんなわけで今週末はアフリカの高級石鹸で手を洗ってみて下さい。お肌に合わなくても責任は取りませんが。フランスに輸出していることを自慢してました。 ●12/13 柿田郎のアフリカは楽しい・・・!?(仮題)6 この時期、滅多に降らないという雨が顔に当たっている。隣で寝ていた添乗員も目を覚ました。「こういう場合、貴社のマニュアルではどう行動することになってますか?」と冗談で訊いたら「ここでは絶対に雨は降らないことになっている、とりあえず撤収!」。そうはいっても下へは、ちゃっちいハシゴを降りなくてはならない。夜中で雨じゃ恐いぞ。 もたもたしている内に小降りになったので、私はそのまま寝ることにした。一度寝袋を下に降ろした添乗員も戻ってきた・・・っていうか、我々二人は他に寝る場所が無いからここに寝ているのであって、避難したって寝る場所は無いのだ。で、再び眠りについたのだが、今度は凄い風が吹いてきた。ここらで風が吹けば砂嵐の様なものだ。バシバシと砂が寝袋に当たる。顔を出すと痛いので寝袋に潜り込むが、今度は暑くてダメだ。いずれにしても、これは眠られる状態ではない。諦めて耳栓とマスクをして耐えることにした・・・そのとたん眠ってしまったらしい。 しつこいことに、また雨だ。添乗員の方をみると「もう諦めた・・・」という顔で動かない。そして風。でも割と簡単に?朝が来た・・・ってことは、あの中でけっこう眠ったということだろう。朝食のとき「昨夜は風でテントがバタバタうるさくてよく眠れなかったね」と女性群が話すのを聞いて「勝った!」と思った。同じお金を払うなら楽しい経験をしたいものだ。 ●12/12 柿田郎のアフリカは楽しい・・・!?(仮題)5 ドゴンという種族がマリのバンティアガラノの断崖沿いに住んでいる。ドゴン族は独自の天体論、特に何百年も前からシリウス星が超質量の小さな星を伴う連星であることを知っていた・・・と言われる。非常に興味を持ったが、最近の研究では、どうも我々?の勝手な誤解だったらしいことが判ってしまった。現在では断崖に住んでいるはずのドゴン族も、どんどん平地に近いところまで降りて来てしまっているが、現地で「昔はあんなところに住んでいたんだよ」と説明されると「なるほど凄い」とは思った。 それよりドゴン族の村での民泊が楽しみだった。それも残念だったことに、泥で造られたドゴン族の家の屋上にテントを張ったり、物置?で寝る程度のことだった。そりゃ、ドゴンの人達だって毎晩のように外国人が狭い家の中にいたらヤダよね。2泊目のドゴンの夜は傑作だった。素晴らしい旅の思い出とは、どんなきっかけで生まれるか判らない。 ティレリという村では女性群は簡単な屋根がある屋上でテント泊。男性陣は物置や食堂にゴロ寝。あぶれた私と添乗員が泥の家の屋上に寝た。野宿みたいなものだが満点の星を見ながらアフリカの空気の中で寝られるなんて、滅多にないチャンスである・・・はずだった。カメラを三脚にセットして枕元に置いた。夜中の12時、何か変だと目を覚ますと、雨!!・・・ 続く。 ●12/10 柿田郎のアフリカは楽しい・・・!?(仮題)4 通過したり訪問する村々はどこも貧乏だ。貧乏というより何も無いのが当然の様な生活だ。子供はボロボロでも服を着ていれば上等、裸足は当然だ。こうなると自分が持っているモノを上げたくなるが、1人にそれをやったらパニックになってしまう。上げるモノがあれば現地ガイドに預けてくれ・・・というのは大げさでなく必然の様だ。村の訪問にしても現地ガイドが、まず村長に挨拶。お土産を渡してから村内の見学となる。村長さんは金持ちで家にはソーラで電気が点いてたりTVがあったりする。 私たちが訪問した村は、そのほとんどが人口100人前後。小型の舟でしか行けない。ということは村から出るのも一大時。したがって皆退屈しているらしい。どこの村でも舟から降りると大人から子供まで熱烈歓迎だ。これは外国人が珍しいとか、何か貰えるかも・・・ということよりも、毎日退屈だから、こういうイベント?には全員が反射的に参加してしまうんじゃないだろうか。30分ほど村内を歩くだけだが、子供がぞろぞろ付いて来るし手を握って来る。デジカメの液晶画面を見ては大騒ぎだ。 この辺りの中心地で最大の村、ちょっとした地図にも載っているニャフンケに寄った。人口は1000人、簡易宿泊所や小さな土産物屋もあった。物はあまりなかったが商店も数件あった。といっても、ここまで買い物に来られる住民は極少ないはずだ。ケータイ、パソコン、スイカ? 有り余る食品や物資に囲まれても、まだ欲しいモノがたくさんある我々は不思議な生き物だ・・・と思った。 ●12/8 柿田郎のアフリカは楽しい・・・!?(仮題)3 今回の旅の目玉に、ニジェール川の川下りというのがある。このユニークな企画故、このツアーは過去に「なんとかツアー大賞」を取ったと聞く。もっとも参加者が少なく催行回数は極少だ。ニジェール川下り自体はヨーロッパ人の間では人気で、観光客用のボートもけっこうある。ジェンネやトゥンブクトゥー周辺は特に雨季には水郷地帯のようになっていて、ボートでなければ行けないところも多い。 我々が乗ったボートは屋形舟風で、全長は10mくらい。がんばれば20人位は乗れそうな大きさでエンジン付きだ。これで3泊4日の川下りだ。途中の中州みたいなところにテントを張っての宿泊となる。案内には「村から離れたところでキャンプ」とあって、どうしてかな?と思っていたが、どうやら「カドゥー族」から隔離された世界ということらしい。実際にキャンプ地で原住民と会ったのは、犬の散歩に来たおじいさん一人だった。 川といえば釣りだろう。パックロッドに4ポンドラインを巻いたタックルを持って行った。出発地のモプティの港には小魚が溢れ、原始的なタックル?でも20cm位のナマズがぼこぼこ釣れていた。こりゃ今までで最高の釣果間違いなしだ。ところがこのボートが意外と速く、白波を蹴立てて走る。とっても管釣りタックルでは話にならない。しかも朝7時に出発してキャンプ地に上陸するのは17時ころ。テントを張り終わる頃には暗くなり直ぐに食事。しかも、どういうことかキャンプ地周辺には小魚1匹見えたことがなかった。 川下り中にサカナを売りに来る漁師は、刺し網でハスのようなサカナやナマズを獲っていた。キャプテンという大型(50cmくらい)が美味いのだが、3日間でそれを買えたのは1回だけだった。刺し網はアシが群生した中に仕掛けられている。キャンプ地は砂丘状なので、遠浅でアシも生えていないのがサカナがいない原因かも。一人旅なら、良いポイントに釣りに行けるのだが・・・パキスタンに続きボーズの国が増えてしまった。 ●12/7 柿田郎のアフリカは楽しい・・・!?(仮題)2 「カドゥー」に次いでマリで困って?しまったのが「ノーフォト」だ。写真を撮るなということだが、カメラを出しただけで誰かしらの視線を感じる。写真を撮るなら金をくれ・・・は何所の国でも多かれ少なかれあるのだが、通りや街角の写真、クルマや犬にカメラを向けても、とりあえず「ノーフォト!」と言われたりゼスチャーをされることが多かった。反面、100円も渡したら即席の「行列が出来る写真館」になってしまう。人物の写真を撮らせて貰うのに金を渡すのには反対しないし、それらが彼らの多いに生活の糧になることも判るが、私としては苦手な行為なので今回は「ただで撮らせてくれたヒト」だけの写真となってしまった。 この現象が観光客が金をバラ撒いたから起きたと考えるのは簡単だが、「あのインド」よりも顕著であることからして、国民性やDNAもおおいに関係していると思う。半砂漠でランクルが故障、私はクルマから離れて写真を撮っていた。地平線から砂煙を上げて、ヒトや荷物を満載したトラックがやって来た。良い被写体だ。生憎コンパクトデジカメしか持っていなかったので動画モードで撮り始めた。すると遥か向こうを走っていたそのトラックが道路をそれてこちらに向かって来るではないか??? もうもうと砂煙を巻き上げながら、あっという間に10mの至近距離。荷台の男どもが「ノーフォト!」とどなって止まった。わりーわりーとカメラをしまうと「気をつけろよ!」とばかり走り去った。びびった・・・でも、迫真の動画が撮れたぞ。 カドゥーの鬱陶しさ、マラリアの恐怖に「ノーフォト」の足かせだ・・・イエメンは良かったなぁ。 ●12/6 柿田郎のアフリカは楽しい・・・!?(仮題) その1 パリまで13時間、4時間待ちでバマコまで6時間。成田を出て丸一日掛かってマリの首都バマコに着いた。時差が9時間あるので、それでも当日?の深夜に到着だ。一人旅でこんなところに夜中に着いたら、けっこう緊張するが、今回は添乗員付きのパックツアーなので安心・・・なはずなのに何だ?この異様な雰囲気は?? マリは黒人の国であることは知っていたが囲まれてみると凄い迫力だ。飛行場の駐車場といっても照明は暗いし。 集まって来た群衆が「カドゥー、カドゥー」と叫ぶので、これがマリでの挨拶かと思った。マジな話、翌日になって知ったのだが「カドゥー」は「何かおくれ」の意味であった。この後、毎日何百回も「カドゥー」を聞くことになる。ホテルに入ったのは夜中の12時を過ぎていた。マリはマラリアの危険地域でもある。短期間の旅行だし、まぁそんなに神経質にならなくても・・・と思っていたら、今回の旅行会社の西アフリカ添乗員は社長を始め、全員がマラリアを発病入院したことがあるというからビビる。 今回のメンバーは「余り若くない女性」が3人、「十分に歳を重ねた男性が5人」それに40代の添乗員の9人だ。私が言うところの「サハラより南のアフリカ」経験者がほとんど、もちろん私は初めてだ。今回のハイライトはアフリカの大地での5回のテント泊だ。もちろんキャンプ場での「なんちゃってキャンプ」ではない。トラブル大歓迎だ! 翌日から「カドゥー」と「マラリア」に怯えながらの「おじさん、おばさんのアフリカ冒険行」が始まった。 ●11/20 そんな理由で、せっかく黄熱病の予防注射を打ったので、アフリカに行って来ることにした。アフリカといってもサハラより南、サブサハラってやつだ。アフリカは奥が深いのでハマったら人生ダメにする・・・と言われている。だから、ずっと避けていたのだが、そろそろ私も分別がつく歳、ちょっとそんなアフリカを見てみたい。 今回行くのはマリ共和国、8人のパックツアーだ。本当は一人旅を決めたいところだが、時間的にも体力的にも無理なことを悟っている。たった14日間、そのうち3日間は飛行機に乗っているというハードスケジュール。時間的には贅沢?な旅ばかりしている私がついて行けるか心配ではある。マリ共和国へのパックツアーを催行している旅行会社は数社あるが、テント泊、民泊が5夜ある某社のツアーを選んだ。 私にとってアフリカは暗黒の大陸であるから、旅のスタイルとしてはリュックザックに登山靴のイメージなのだが、旅行会社の係員からは「スーツケースとスニーカーでお願いします」と電話があった。寝袋は必需なので「スーツケースに寝袋」という美しくないカッコだ。11月23日に出発、12月6日の午後にはKFSに戻れる予定。 ●11/17 近所に大きなホームセンターが出来て、その一角を立派なペットショップが占めている。犬ねこ小屋、エサ、おしゃれ用品、美容室や病院まで完備している。もちろん常時20匹以上の子犬や子猫が展示販売されている。親子連れがここに来たら、間違いなく子供は「犬を飼いたい」と言うはずだ。今のお父さんお母さんの世代は、アパート暮らしの方も多いはずだから、親もペットのいる生活には憧れるだろう。もちろん一度飼ってしまったら、簡単にはキャンセル?出来ないことも頭では分かっている。 「犬の気持ち」なる本を買って帰り研究する。ペットがいる生活の素晴らしさが書かれている。ペットを家族の一員だと思って育てれば、苦労も楽しみのうち。狭い日本の家屋でも大型犬は飼えます。小さな家こそ縄張りの範囲も狭いので犬にとっては快適。しつけ次第ではお買い物も一緒に、留守番も楽々・・・。これは管釣り雑誌の、最新鋭のロッドにリール、箱いっぱいのルアー、DVDを見てイメージトレーニングをすれば「あなたも爆釣」と何も変わりはない。前者は犬とエサとグッズが売れる、後者は釣り具が売れる。最大の違いは釣り具は腐らないが、犬は生きていることだ。 ペットをもっとたくさん売る方法は簡単だ・・・「飽きたら30、000円で引き取ります」だ。これを下取り料金として新品の価格を安くすれば買い替えのサイクルも早くなるぞ。あなたが下取りに出した犬は何所かで幸せに暮らしています。保健所が殺すか、業者が殺すかの差でしかない。 ●11/15 涼しくなったので、最近、日守山に登っている。私は暑い中、汗だらだらで登るのが好きなのだが・・・っていうか、その後のビール・・・バーニーズがヘバってしまうので夏の間は、ほとんど登らなかった。12日だったかな、夕方登り始めたら常連?さんが「いや~アヤベさん惜しかった。さっきね、駐車場にイヌが捨てられててさ、しかも犬小屋とエサもいっしょに」。私は、かつてこの山に捨てられていたイヌを拾って育て、毎日のように一緒に登っていたから有名?なのだ。あの時も常連に「ほらほら、このイヌ、あんたになついてるよ。誰かが飼ってやんなきゃ保健所行きだな」とノセられた。 危なかった・・・後30分早く来ていたらイヌを押しつけられるところだった。今回はバーニーズと一緒なので断る理由はいっぱいあるが。可哀そうに保健所の係員が連れて行ったとのことであった。捨てる人間が悪いというのは簡単だ。誰しもイヌを飼うに当たっては、飽きたら?飼えなくなったらどうしようとは考えているはずだ。犬小屋とエサまで、しかも人目に付く、イヌ好きなオヤジが来そうな日守山の駐車場に捨ていったということは、なんとか拾われて生き延びてくれ・・・という「飼ったことへの後悔と反省」が表れてはいる。その方も一生心の重荷になるに違いない・・・まぁ、殺されちゃうイヌよりはいいけどね。 ●11/11 それは横浜港が見える建物の4階で行われた。まず整理番号札を受け取る・・・23番だった。体温計が渡された。36度、平熱。既往症や服用している薬剤についての質問。30人が狭い部屋に押し込められた。手術用のゴム手袋をした係員が5人づつを別室に連れて行く。ご家族の方も一緒に入っていいですよ・・・と言う。15分くらいで私に順番が回ってきた。ゴム手袋の係員に誘導されて窓際の椅子に座らされた。眼光鋭くマスクで顔を覆われた男が「窓の外、港を見ていなさい」と言う、左腕に痛みを覚える。 これが「黄熱病」の予防接種だ。場所は「みなとみらい」に近い横浜検疫所。注射の後は感染病のビデオを見ながら30分間程、体調の変化をみる。80年にも黄熱病の予防接種は受けたが、その時は「はい、黄熱病ね」・・・プスッて感じだったのに、今回はけっこうドキドキしてしまった。 というわけで横浜には「黄熱病の予防接種」に行って来たのだ。黄熱病といえば野口英世、南米やアフリカの風土病じゃんね。なぜ、そんな病気のワクチンが必要になったのかは・・・はいはい、ご想像の通りであります。 ●11/7 今日は横浜と東京に行って来た。仕事ではない。たぶん?生まれて初めて赤れんが倉庫とかいうのも見学したし、みなとみらいの観覧車も見た。といって観光でもない。写真雑誌には、あの観覧車や高層ビルの夜景が登場するが、本物は思ったよりも、ちゃっちかった。あまり未来を感じさせないのは「みなとみらい」構想から時間が経ち過ぎてしまったということか。横浜の地理には、まったく疎いのだが中華街も近所だったのでラーメンを食べた。 要件は1時間で終わってしまったし、めったに都会?で出ることもないので秋葉原にも行ってみた。駅を出たとたん、メイドさんがいっぱいいて驚いてしまった。当たり前だが「昔の秋葉原」とは、全く変わってしまっていて興味は失せた。前々から気になっていた「インドカリーのエチオピア」へ行った。インドとエチオピアの組み合わせを不思議に思っていたが、実際に行って食べてみても判らなかった。カレーを食べると、皿の底に「エチオピア」って書いてあるくらいだから、相当な思い入れがあると思うのだが理由を知ってる方はいないかな? それにしても2-3年に1度の都会探訪は疲れる。問題は横浜に行った理由だ。ちょっと気恥ずかしくて今日は書けないが、いずれはバレてしまう。 ●11/6 昨年の夏にカイラス巡礼に行った。その時の添乗員は24-25歳の女性で、バックパッカー出身?ということで話が合った。現地旅行会社やガイドとの交渉は強力?で、我々が「れ、冷静に・・・」なんて心配してしまう場面もあった。辺境の地で「平和ボケした日本のオジさん、オバさん」と「我が道を行く」チベット人のお相手をするのだから大変だ。我々が食事をしていても何かと忙しそう。最後に残りものをガツガツ食う。何時も立ったまま食べていたように思う。 ラサから6日目の昼過ぎ、ランクルが最後の峠を越え、眼下にマナサロワール湖、その後方にカイラスが姿を見せた。一番感激していたのが彼女であった・・・全員が無事に着いた安堵感からかと思ったら、カイラスを見るのが初めてだったからだそうだ。知らない土地で添乗の仕事をしているとはみじんも感じさせなかった。5650mのドルマラ峠に立った時には、同じ旅人として喜びを分かち合った。その後もザンスカール、ワハーン、ムスタン等の秘境ツアーの添乗をしたというから、会社の期待も大きかったに違いない。実はKFSの掲示板にも何回か登場している。 その彼女がメキシコで交通事故に遭い亡くなったという訃報が届いた。神様が何を基準にヒトの死を決めるのかは知らないが、これは何かの手違いだろう。 ●11/5 私の家は敷地が非常に狭いので(30坪)下が駐車場、2階が住まいとなっている。しかも後ろには養殖池のビニールハウスを背負って?いる。20年近く前にそのビニールハウスを挟んで小さなスーパーマーケットが出来た。田舎のスーパーなので大したものは売っていないが、それでも一通りのモノは揃うので「我が家の食糧庫」として、とても便利な存在だった。設立時は静岡県では有名なスーパーの店舗だったのだが、その会社が潰れてしまい地元のスーパーがその後を引き継いだ。2年ほど前に再び経営が変わった。 郊外に大型店が次々とオープンして、小さな店舗は苦戦を強いられている。大型店は品揃え等は良いが、駐車場から売り場までが遠いし、ちょっと買い物には売り場も大き過ぎて不便だったりする・・・余計なモノを買っちゃうし。コンビニも過当競争だし、基本的な食料品だけを置いてあるコンビニ的なスーパーがあってもいいと思うが、そんな中途半端な考えでは生きて行けない時代なんだろう。 裏のスーパー、エスケーフーズという会社。略してSKF・・・やばそうな名前だ。 ●11/1 NHKの「新シルクロード」を見た。元祖シルクロードでは、まだ見ぬ中央アジアのエキゾチックな町や遺跡、民族衣装の人々にどきどきしたものだ。旅心をくすぐられた方も多かったはずだ。しかし、今回の新シルクロードシリーズは、例えば先日の放送ではトルコやクルドの兵士や、アメリカ軍に燃料を補給するローリーのドライバーを通じて、現在のクルド人の悲劇が放映されていた。番組としては内容も映像も素晴らしいものだったが、はたして、これが「新シルクロード」でいいんだろうかと思ってしまった。 80年代前半に放映された元祖シルクロードは、まだまだ外国旅行は贅沢な時代。ドルは250円だったし、航空券も高かった。82年に今のHISの前身の旅行会社から南回りのヨーロッパ往復チケットを20万円以上で買った覚えがある。「地球を歩く」なんていう実用的なガイドブックも無かったぞ。しかも西安から天津山脈タクマラカン砂漠を通ってカシュガルへ・・・なんていうのは夢のルート。さらにそこから当時はソ連領だったキルギスやカザフスタンなどの中央アジアの国々にTVカメラが入るなんて、さすがにNHK様だったのだ。 元祖「シルクロード」は難しい理屈もあったが、美しい風景や遺跡を我々に見せてくれた。確かにシルクロード沿いで国際紛争や少数民族問題が発生しているが、それらは別のシリーズで取り上げるようにして、シルクロードシリーズはあくまでも「究極の観光旅行番組」であった方が判りやすい。 ●10/30 月曜日から3日間はアユの冷凍作業を行った。アユは8月に消費のピークを迎え、10月にはほとんど売れなくなってしまう。で、余ったアユは1匹づつ小さなビニール袋に入れ、それを1kgづつ小箱に並べて冷凍する。非常に手間が掛かる仕事で利益も少ないのだが、残りものでも手間を掛ければ、それなりの値段で売れるのがアユの良いところではある。生産原価を抑えれば冷凍アユだけでも商売になった時代もあったのだが、消費者のアユ離れに中国製の冷凍アユの進出が重なり、冷凍アユに重点を置いていた大手業者はほとんどが廃業してしまった。 ここへ来て中国製品のイメージダウンもあって、再び国産冷凍アユの需要が高まりつつある。そうはいってもアユ業界はもう再起不能な状態にまで疲弊してしまっていて、どう頑張ってもかつての30%も生産出来ないのではないかと思う。中国でもアユの増産は困難で、実際には日本のアユを脅かすまでに至っていないはずなのだが「中国からの輸入の驚異」で我々は自滅しつつある。 そんな理由でアユが出来なくなっても普通の日本人は、そんなに困ることもない??のだが、同じ様なことが重要な工業製品や部品、主要農産物に起きたら、けっこう困るんじゃないだろうか?? っていうか当然、他の業界でも同じことが起こっているはずだ。 ●10/22 KFS北4号池の後ろの養殖池にアユが飼われていたのに気が付いただろうか? ここ2-3年、養殖アユの生態?が変わってきて、レインボー並に低い水温で飼った方が好成績無ことが多い気がしてきた。夏場に低水温を保つことは、多くの管理釣り場が夏には高水温のために閉鎖されてしまうことを思えば、いかにそれが難しいか判るはずだ。単純に、冷たい水がたくさんあればいいのだが、夏場はトラウトの養殖池も釣り池も大量の水が必要となるので、アユの養殖池まで冷やす?のは水量的に難しい。 そこで夏でも水温上昇が一番少ない北3、4号池の排水でアユを飼ったらどうだろう??と考えた。釣り池は大勢の方が出入りするので魚病を持ち込み易い。その排水で飼うとしたらトラウトよりはアユの方が安全かもしれない。実験は現場規模で・・・というのが私の主義なので、8月の初めに30g位のアユを150kg程、北4号池の後ろの養殖池に入れてみた。アユは成熟が始まると病気になりやすいのだが順調に育ってきた。今日はそれを全部取り上げて冷凍した。 わざと病気に弱いとされている人工孵化アユで実験したのだが、けっこういいかも!という手応えだった。 ●10/21 柿田郎の「幸せのラマダン」 その8 イエメンの男達はジャンビーアと呼ばれる短刀をベルトに差している。ジャンビーアには1000円位の安物からクロサイの角を柄に使った美術品のようなものまでいろいろだ。ベルトも刺繍された美しいものもある。普段の街歩きには程ほどのジャンビーアを、正装したときはそれなりのジャンビーアを身に付ける。 日本で写真を見た時には何だか凄く時代遅れな習慣と思ったが、現地で民族衣装の彼らの姿を見ると実にカッコいい。ジャンビーアは刃渡りこそ20-30cmあるが、ほとんどの場合、刃を丸めて?あるので武器というよりは装飾品だ。お金持ち風のヒトは「見るからに高そうな」ジャンビーアを差している。 ネクタイに似たものと理解した。シンプルな彼らの衣装に派手なジャンビーアは実に似合っている。何人か集まればジャンビーアの自慢話になるに違いない。面白いのは、最近ではジャンビーアの横におしゃれにケータイを差す?のがカッコいいらしい。ジャンビーアの専門店には豪華なベルトにマッチしたケータイケースが並べられている。装飾を施したジャンビーアとケータイがリッチな証しだ。 ●10/19柿田郎の「幸せのラマダン」 その7 イランで日本の大学生が誘拐された。こういう事件があると、直ぐに「自己責任」と非難されそうな風潮だが、幸いなことに今回はその様なことにはなりそうもない。私もイエメンに行くにあたり、外務省の危険情報をこまめにチェックしていたが、イランは国境周辺以外は「注意してください」という下から2番目の「実質大丈夫」のランクであった。もちろん、日本人が誘拐された後には最高危険度の「退避勧告」となっている。 日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護援助を与えられるよう、関係の諸官に要請する・・・日本国外務大臣 と書かれたパスポートを彼は持っているはずだ。真に受ければ??海外一人旅をする者にとって、なんて心強い言葉だろう。自分の後ろには「あの経済大国日本の外務大臣」が付いてるんだぜ。黄門さんの印籠みたいなものだ。彼が旅したルートは私も歩いたことがある。誘拐されたバムは小さな町だ。国境からは数百kmは離れているので「危険な国境付近」ではない。おそらく町を歩いていてクルマに引きずり込まれたか「メシでも食わないか・・・」なんて誘われたのだと思う。この事件によって若者の冒険心の芽を摘むようなことになってはいけない。ここは汚点続きの日本政府に頑張ってもらおう。 イエメンにはマーリブというところに「シバの女王」の宮殿跡があって人気だ。ただそこは内戦状態にあり、危険情報でも上から2番目「渡航の是非を検討して下さい」だ。首都のサアナからはマーリブに行くツアーが出ている。各車両には武装警官が乗り込み、武装したトラックが先導する。そういうところに行くヤツは「自己責任」の鉢巻をしてもらおう。 ●10/18 柿田郎の「幸せのラマダン」 その6 旅に必ず持って行くもののひとつに「US$のキャッシュ」がある。発展途上国の国境では両替が出来ないことが多いので、バスや食事代を払うのに便利だからだ。ところが最近では、どこでも日本円が通用するしレートも良かったりするので、使うことがなかった。で今回はすっかり忘れていた。サナアの空港に着いて、さて両替。驚いた・・・US$かユーロのキャッシュしか両替できないという・・・一応イエメンナショナルバンクの看板を出してたぞ。 町に出れば何とかなるだろう、当面の問題はホテルまでのタクシー代だ。幸いデュバイで両替したUAEの小銭が使えた。安ホテルなので英語は通じない・・・というか終わってみればイエメンは今までの国の中でも、最も英語が通じない国のひとつであった。スタッフに「日本円は持っているが、イエメンの金は無い」「どこかで両替出来るか」と言ったところ「金は無いが泊まりたい日本人」と判断したようで騒ぎとなってしまった。 ヒマそうなスタッフを連れて銀行へ行く。新市街の目抜き通りの大きな銀行を3つ当たったが、いずれも1万円札を珍しそうに見るだけで両替は出来ないという。両替商はラマダンで閉まっていたが、何軒目だったかの両替商のドアーを叩くと返事があった。1万円札を見て暫く考えていたが1円=1,5リアルなら・・・ということになった。正確なレートは判らないがいいはずはない。この先どうなるか判らないので3万円両替した。札束が返って来たのでホテルのスタッフも「私が大金持ち」であることが判ったらしい。 しかし、日本円は通用しないってことくらいガイドブックに書いておけよな!と思ったら、ページの3分の1を割いて「イエメンではUS$かユーロのキャッシュ以外は通用しない、日本円やTCは銀行でも不可」と大きく書いてあった。 ●10/17 柿田郎の「幸せのラマダン」 その5 今回の収穫のひとつに「イエメンでのトレッキング」があった。まさかイエメンで山歩きが出来るとは思ってもいなかったのだが、サナアから3時間ほど走ったところのマナハという町を中心にしたトレッキングが人気らしい。何ていう名前だったか忘れてしまったがアラビア半島で一番高い山(3600m)を中心に3000m級の山がたくさんある。 2,3,5時間のコースがあるから選べ・・・KFSみたい・・・というので5時間を選んだ。ホテルから少し走って14時スタート。5時間だと帰るのは19時、メシの時間を過ぎてしまうぞ、いいのかな?? 畑の畦道を歩いたり、小さな村の中を通ったり、なかなか楽しい山歩きが続いた。ホテルのスタッフが一人ガイド兼ポーターとして付くので気軽なもんだ。途中会ったのはスイス人カップルだけ。まだまだ一般的ではないようだ。世界地図を思い浮かべて、あのアラビア半島の端っこの山を歩いてるんだな・・・と思うと感動だった。 予定どおり、3時間ちょっとで最後の大きな村に着いた。道路が走っている。ここからホテルまでは1時間くらいの下りだ。いきなりガイドが「ここからタクシーで帰る」と言い出し私のリュックを放り出した。理由は判っている。このまま歩いたのでは夕食に間に合わないからだ。止めても無駄なので、そのまま帰す。もちろんチップは無しだ。もう泊っている村は見えていたので問題なく一人で歩けたが、村に入ってからホテルが判らなくて困ったぞ。驚いたのは、彼がボスに怒られることもなく、夕飯の後もくつろいでいたことだ。ネパールの様な「心休まるトレッキング」が出来るのは、まだまだ先のことになりそうだ。 ●10/16 柿田郎の「幸せのラマダン」 その4 ラマダン(正確にはラマダーンらしい)は太陰暦に従うので、毎年少しづつ時期が変わる。今回はすっかり忘れていてラマダン真っただ中を旅することになってしまった。旅行者は関係ないと言われるが、それは高級ホテルを泊まり歩くパックツアーのことで、アラビア風のホテルに泊まって町の食堂でご飯を食べたい私にとっては大失敗であった。 18時になると「ご飯を食べていいぞー」という放送が流れる。市民が一斉に家に帰ったり食堂に駆け込む。シシカバブ食堂は、とっても日本のオヤジが入る余地が無いほどに殺気立っている・・・腹減ってるんだろうね。食べ終わった頃、お祈りの時間。それが終わると多くのヒトが街に繰り出すので騒がしい。用もないのにクラクションは鳴らすし爆竹もだ。カラシニコフが溢れているイエメンでは心臓に悪いぞ。12時を回っても騒ぎは収まらない。安ホテルだから喧しい。朝?3時半頃、大音量で「陽が昇る前にご飯を食えよー」(たぶん)という放送が延々と流れる。これで目が覚めないヤツはいないぞ。4時半には1回目のお祈りの時間を知らせるアザーンだ。1か月近くも昼夜逆転現象が続くのだから、店や役所は朝から16時頃まで休みだ。16時から開店しても2時間で閉店・・・18時から食事だからね。 砂漠の摩天楼があるセイユーンでは、2日間同じタクシーをチャーターして観光したのだが、全てに優先するのが「18時には家に居て家族と飯を食う」だ。だから砂漠に沈む夕日を見て感傷に浸っている間は無い。タクシーは1日3000-4000円・・・もちろ外国人価格。私の運ちゃんは写真を撮られるのを拒否するほどの「真面目なモスリム」。途中でのお祈りも欠かさないし、ラマダン中だから水も飲まない。私も18時に家に戻れるように協力した。 ●10/15 柿田郎の「幸せのラマダン」 その 3 イエメンの旅情報は少なく、現地に着いたものの、どうすれば良いのか判らなかった。しかもラマダン(断食月)だったために旅行会社は全て休みだ。こういう場合は街の広場に行って、ボーっと過ごすのがいい。暫くすると案の定「何所から来たの・・・?」と青年が声を掛けてきた。向こうも「引っ掛かり易そうなヤツ」を吟味して声を掛けてくるのだが、こちらも「少しはマシなヤツ」しか相手にしない。 「メシを食いに来ないか・・・」おお、殺し文句。ラマダン中なので一人旅だと食事の確保が厳しい。で、話はまとまった。ヤツの家で豪華な?食事をご馳走になる。どこの国でも同じだが土産物屋やドライバーを紹介して手数料やチップを稼ごうという連中だ。発展途上国では通行許可証や滞在証明書など、面倒な書類が必要になることがあるので、ちょっとはボラれる?覚悟でこういう連中に任せてしまえば時間を効率的に使える。あまりいい加減なヤツは仲間からも信用を無くすので、そんなに悪いヤツはいない。 イエメンの旅行事情はまったく判らないので、彼に後半の2日間を適当にアレンジしてくれるように頼んだ。治安上、行ける町が決まっているので即決まる。ランドクルーザーを2日間チャーターして、サナアの西側の町を巡り、途中ではトレッキングもする。これが標準的な1泊2日のプランらしい。普通は3-4人参加で一人12000円位らしいが、いきなり仲間が見つかるはずもないので一人参加で20000円となった。この国の物価からすると異常に高いが、都市間を結ぶ公共交通機関はあてにならないのでしょうがない。終わってみれば、とっても個人で回れるような状況ではなかった。 ●10/14 柿田郎の「幸せのラマダン」 その2 かつてのアラビアには現在のサウジアラビアを指す「砂のアラビア」。シリア、ヨルダン辺りの「岩のアラビア」。そして「幸福のアラビア」の3つのアラビアがあったと記されている。この「幸福のアラビア」 Arabia Felix こそ、現代のイエメンを指す。 他のアラビア諸国が石油や天然ガスで潤い、驚異的な発展を遂げているのに対してイエメンは貧しい。国民の年収は最下位に近い。長い間、民族間の内戦が続き経済は疲弊。湾岸戦争の際にはイラクを支持したために、アメリカに目を付けられてしまい国際的な援助も乏しい・・・という踏んだり蹴ったりの国だ。あのビンラディンが、この国の生まれなのもイメージダウンか。 ただ、他国に存在を忘れ去られた?イエメンには独自の文化が残っている。「イスラム最後の聖域」と言われるのも、そんな理由だ。最近ではパックツアーも催行され、お気軽なイメージになってきたが、外務省の危険情報では一部地域に上から2番目の危険情報が出されていて安易な気分での旅は避けたい。余計な心配を掛けてしまいそうなので、今回は直前まで内緒にしておいたわけだ。 行きたいところは、いっぱいあったが、そんな理由で安全が確保されている首都周辺と、500km程西側の「砂漠の摩天楼」のみを目指した。ところが一番危険なのがこの2都市を結ぶ道路で、最近になっても欧米人の誘拐が続いている。この間の飛行機が週2便らしいとか流動的で、この予約が取れた日を中心に日程を組んだ。旅は陸路移動が楽しいと思っている私には、楽しみの半分を捨てた形になったが全ては「安全」のためである。 ●10/13 柿田郎の「幸せのラマダン」 その1 ちょっと長いです。 旅の最後、日本行きの飛行機に乗った瞬間の安堵感は何にも代え難い・・・明日から仕事かとい憂うつもあるが。今回の帰国便はデュバイで13時間の待ち時間があった。手荷物だけを持って街に出てみた。デュバイはリゾートなので一人ではつまらないが、超近代都市に生まれ変わりつつある姿を一度見てみたいとは思っていた。疲れも溜まっていたので、市内の安ホテルをとった。 出発は夜中の2時35分。タクシーで市内見物をした後3時間ほど寝て、いざ空港へ。こんなゆっくりした最終日は過去になかった。ホテルを出て驚いた。真夜中というのに大群衆だ。商店はギラギラ、クルマは大渋滞、爆竹は鳴るしクラクションの嵐だ。とってもタクシーを拾える状況ではない。ホテルのフロントでタクシーを呼ぶように頼んだら、馬鹿げてる・・・という仕草。今日はラマダン明けイブ?で市内は大混乱。どうにもならないという。 同じく飛行場に行こうとしていたビジネスマン風の男と二手に分かれてタクシーを拾うことにしたが、まったくダメ。困ってる2人を見かねてか、怪しげな男が「1000円でクルマを紹介する」という、もちろんOKだ。一安心と思ったら知人のクルマということではなく、その辺を走ってるクルマに手当たり次第金を見せて交渉している。なんだ、そんな話だったら1万円くらいじゃなきゃ効果ないだろ。 で小型トラックに乗れてホッとしたのもつかの間、クルマは益々増えてきて全く動かない。幹線道路に出るまでに50分掛かった。私は空港でお土産を買うつもりで3時間半も猶予があるから、そんなに焦っていなかった。しかもヨーロッパに飛ぶというもう一人の男よりも15分遅い飛行機であったことで意味が無い安心感に浸っていた。デュバイの空港は通常市内から20分だ。 広い道路に出て順調に走りだして、またまた一安心。1時間前には着けそうな気配。運ちゃんが時々ぼそぼそ言う「神は私たちに幸せをくれない」という言葉が的中。空港ビルの手前で完全にストップ。完全にアウトだ。往き帰り指定の切符って、こういう場合どうなるの??帰りのキップが買えるかな? などと諦めかけたときに「1000円くれれば、タクシー専用レーンに突っ込む」という。ビジネスマンとの話では空港ビルの前まで行くと捕まってしまうので、手前の中央分離帯で降りて走れ!ということらしい。白タクでも客を乗せてなければ「間違えちゃった・・・」で済むらしいのだ。即作戦は決行された。空港ビルのちょっと手前で降りたずなのだが、建物が巨大なので人間の足ではなかなか着かない。ビジネスマンはでかいスーツケースを引きずってるので、なおさらだ。手伝ってやろうと声を掛けたが「先に行け! アッラーに祈れ!」みたいなことを言われたので私はリュックを背負って走った。戦争映画みたいなのだ。 息を切らせて空港ビルに入ると、エミレーツ日本行きはファイナルコール。あと15分。ここからがまた遠い、荷物チェックもある。ボーディングパスは昨日の時点で持っているので、ちょっとくらいは待ってくれるだろ・・・ラマダンだし。汗だくでゲートに着くとさすがにもう誰も居ない。係員に手招きされながら飛行機に乗った・・・何年かぶりで、こんなに走ったぞ。「あのビジネスマン」は大丈夫だっただろうか? 名刺でも貰っておけば良かったと悔やまれる。 この後、汗だくのまま着替えも出来ずに9時間も飛行機に乗ったので、ちょっと体調を崩しました。 ●10/3 そういう理由で今年の行先はイエメンだ・・・といっても、普通の方は名前くらいしか知らないだろう。アラビア半島の先端にある砂漠と山岳地帯が半々の国だ。シバの女王やコーヒーの積み出し港のモカが有名なところか。イスラムの国で、その個性的な建造物が旅人の心をくすぐる。私がその存在を知ったのは80年代だったが、その後7-8年前までは内戦が続き、とても観光出来るような状態ではなかった。最近では治安も回復し、主要観光地?を巡るだけなら何の危険もないと聞く。どう考えてもイスラム諸国を取り巻く環境は良くなりそうもないので、行ける内に行って来ようというわけだ。 政府も観光に力を入れ始め、新しいホテルも出来ている。私が行きたいのは首都サアナと「砂漠の摩天楼、シバーム」だけなので団体旅行ではなく一人旅を選んだ。面白いことに、俗に言われる「秘境」は一人旅の方が断然安いのだ。前回行ったバルトロやカイラスは公共交通機関が少ないので非常に時間が掛かってしまうのでパックツアーを選んだ。イエメンも秘境っぽいがバスもタクシーも走っているから問題ない。電気も来てるし電話もある。寝袋を持たない旅は久しぶりだ。 ●10/2 不思議なことにアユ不足が続いている。アユの消費もピークを超えて50日が経ち、ほとんど売れなくなったなったのだが、その「ちょっとしか必要がない」アユが全国的に足りないというのだ。この時期ののアユの消費は子持ちアユを除くと「観光ヤナ」と「友釣り用のおとりアユ」となるが、どちらも一時のブームが去り消費は落ち込んでいる・・・なのに間に合わないのが現状らしい。 春先には全国的に種苗が豊富で十分過ぎるほどアユはある・・・というウワサだったが、6月頃から、何だかおかしいぞ、となり8月には「アユは何所へ行っちまったんだ?」みたいになった。幸いなことにKFSでは例年並みにアユが出来たので「慢性的なマスの不調(商売として)」をカバー出来たようだ。まだ3-4万匹のアユが残っている。例年だと、これらを冷凍してシーズン終了となるのだが、まだ活アユの注文が来るので今月中は飼っておこうか・・・ということになった。 後半、意外といい商売になったアユだが「もしかしたら、まだまだ売れるかも・・・」なんて期待した瞬間に売れなくなってしまうのが世の中だ。一生懸命になってるとサカナに無視されるのに、わき見した瞬間に釣れたりするアレだ。だから欲をかかないで明日から旅に出ることにした。 ●10/1 まったくデジカメは面白くて困る。フィルム時代に「こんなことが出来たらいいなぁ・・・」と思っていたことが90%出来るようになってしまった。それが毎年というか、毎月進歩してるんだから堪らない。10年後には、どんなデジカメが発売されているのだろうか・・・と想像するのも楽しいが、その頃まで生きているのだろうか、とかボケちゃうかな??などと考えると、今そこにある最新型に興味がいってしまう。 ところが、メーカーが余りに新製品を連発するし「良いカメラ」ではなく「売れる、売り易いカメラ」ばかり作っている(開発とは言えないぞ)ので、私でさえ興味が半減してしまっていた。で、去年の今頃、リコーのR5というコンパクトデジカメを買った。写真館の写真の半分以上は、それで撮っているのだが、とても「使い倒し甲斐」があるカメラだった。釣り池での迫力あるアングルを狙うので、度々水が掛かってしまうせいか最近調子が悪い。 半年ほど前に同じリコーからGX100という「ちょっと高級で、思いっきりオタクっぽい」コンパクトデジカメデジカメが発売された。値段もこなれてきたので購入。その感想・・・す、すごい!! 今までのデジカメの使い難さは何だったんだ・・・という操作性だ。ニコンやキャノンの設計者も使ってみてくれよ・・・っていうデキだ。もっとも彼らは写真なんか撮らないんだろうな。 |
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