私の養殖日記2006/01-03
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●3/30  KFSの養魚場ではトラウトにも自動給餌機を使うことがある。稚魚期は少しのエサを時間をかけて与えなくてはならないからだ。それでもトラウトの場合、給餌の基本は「手で撒く」だ。一見、原始的?に思えるが、サカナがエサを食べる様子を観察するという点では最も確実な方法だ。アユやトラウト類に限らず、エサの食べ方でサカナの調子が良く判る。畜産でもそうだろうし人間も体調が悪ければ食事にも気合が入らない。そういう訳で「エサを食べるときのサカナの観察」は養殖業にとって非常に重要だし、そこで、どういう判断を下すかが「サカナ飼いの良し悪し」更には「儲け」の分岐点になる。

だから自動給餌機に頼って無人状態での養殖は、合理的なようだが失敗も多い。現在、私のアユ養殖池では1日に4回30分づつの給餌をしているが、朝イチは5:30起床と同時。2回目が9:00、この給餌を観察してからKFSへ向かう。3回目は13:00、これは無人時だから、ちょっと少なめに調整しておく。4回目が17:00、これを確認してから晩酌だ。だからアユが居る間、私はKFSを16時頃には出るようにしている。帰りに日守山に登る時は15:30だ。

暫らくは、これ以降のダイドーカップのお誘いは、お断りする・・・ことが多い。



●3/29 で、給餌機にエサさえ入れておけばサカナを大きくするという仕事は終わりだ。オキアミや魚粉、つなぎに小麦粉等を混ぜて練りエサを作り、それを団子状にして1日何回も池に沈めてる・・・なんてことをしてたことを思えば、あまりにも簡単だ。当時は小学生だった私までもが、その給餌を手伝わされたものだ。内水面養殖において、生エサ(ホームメイド?)が配合飼料に代わったことは、最も画期的な改革であった。

しかもアユの場合は、それが自動給餌機と共にやって来た上に、時期を同じく水車やバーチカルポンプの導入も普及したので、正しくアユ養殖は激変した。単位面積当たりの水揚げは、10倍にもなりそうな勢いだった。1960年代後半のことだ。1990年頃から始まった冷水病がブレーキをかけなければ、今頃は日本中にアユが溢れていたかもしれない。

現実はどうなったかと言えば、大手から廃業が続き、要らなくなった自動給餌機や水車が中古で出回っている。これはアユが虚弱化し、魚病で養殖が難しくなったことが原因だが、20年前の勢いで増産が続いたとしても同じ結果になったことだろう。アユに限らず、いくらでも増産出来てコストダウンが進む業界は過当競争に陥る訳だが、アユ業界の場合は、そのスピードがちょっと速かったかな?とは思う。



●3/28 アユは敏感なサカナなのでトラウト類と違って、人間が手でエサを撒いても思うようには食べてくれない。アユは口が小さいので、配合飼料もペレットを砕いた「クランブル」という、最大でも米粒程度のものを与える。人間の気配があると落ち着かないので自動給餌機を使う。これは箱の中にストックされた配合飼料が重力で少しづつ落ちてくるところを、ブロアーの風で飛ばす・・・というもので基本は40年間も進歩していない。これにタイマーを使って1日に数回、数十分づつ通電する訳だ。適当にやろうと思えば、朝夕、もしくは1日に1回ストック箱にエサを入れておけばいいのだから、ある意味トラウトの給餌よりは楽だ。手や衣服にエサの臭いが付くこともない。

現在、私のアユの養魚場は1g−20gのアユが50万匹ほど入っているが、個体が小さいので給餌量はピークに達していない。それでも1日に120kg位の配合飼料を食べる。アユはエサを食べるのに非常に時間が掛かるので、これをトラウトの様に手で撒いていたら、そのために1人かかってしまう。アユの養殖池は円形か8角形で水車を回して酸素補給と共に水流を作ってある。ブロアーで飛ばしたクランブルが一箇所に留まらないで徐々に沈みながら流れることによって、多くのアユに平等にエサが行き渡るようになっている。アユ養殖と自動給餌機は非常に相性が良い訳だ。クランブルと給餌機が普及する以前のアユ養殖は、非常に効率が悪いものだった。



●3/27 久しぶりに日守山に登って来た。最後に登ったのはの10月末だったから、5ヶ月ぶりということになる。昨年は9月にカラコルム、11月にヒマラヤと計35日間も山歩きをしたせいか、その後まったく歩く気がしなかった。しかも今年になって、忙しかったというか年のせいというか、足腰が痛くて日守山に登る余裕が無かった。

もう10何年か日守山をトレーニング(体力維持)の場としているが、これほど間が空いたのは初めてだ。日守山は標高183mしかないがずっと上り坂が続き、慣れれば24−25分間で往復出来るので足を鍛えるには丁度良い。駐車場も広いしトイレもある。登山道も有志によって綺麗に整備されている。今日は最初の急坂で息が切れた。調子が良いと13分で登れるところを18分かけて、ゆっくり登った。下りは足にきてしまい、子連れのお母さんに追い越されてしまった。

アユの淡水馴致や稚魚期の大小選別もほぼ終わり仕事にも余裕が出てきたが、今度はKFSへの行きか帰りに日守山登山?があるので忙しくなる。まったく商売も健康管理も疲れる。両方が上手くいけば、秋にはカイラスでも目指そうかと思う。



●3/24 丸池のサクラも2分咲きくらいになった。今日は朝メシ前に稚アユの選別をして、昼からは芦ノ湖の放流に行って来た。帰って来ると、トラックはそのまま車検に出した。最近では、めったに活躍しないKFSの活魚トラックだが、それでも2月から4月は、稚アユの買い付けやら芦ノ湖の放流で忙しい。なんで、この忙しい時期に車検なのか? 

海水を運ぶと、いくら気を付けていてもトラックは錆びる。かつて平ボディーにキャンバスの水槽を積んで走っていた頃は、海水がこぼれ易いのでトラックはみるみる錆びだらけになって、3年も経つとシャーシも錆びでぼろぼろ、とっても本来の強度を保てない状態になって買い換えた。いまでは水槽はグラスファイバーだし荷台もグラスファイバーで巻いてある。マフラーや泥除け、バンパー等、主な部分はステンレスに変えてあるし、毎日淡水で洗うのだが、それでもシャーシは錆びる。

車検時にシャーシを念入りにスティーム洗車、再塗装してもらった後、翌年の海産アユが入るまでは海水は汲まないことにしている。ただ車検が、この忙しい時期になっているのは8−9年前、消費税が3%から5%に引き上げられる直前に、滑り込みでトラックを購入したことの後遺症だ。



●3/23 やっと今日で潮汲みが終わった。選別を繰り返し、一番小さな稚魚ばかりを集めた養殖池には、まだ塩分を必要とするシラスも少し見えるが、ここらで良しとする。これ以上、海水を入れ続けると病気が発生しそうだからだ。といって更に大小の選別をして分養する池も無い。海水を切ってもシラスアユは直ぐに死んでしまうということはない。1週間くらいは順調にエサを食べるので、その間に淡水に耐える?だけの大きさに育ってしまうヤツもいる。

それより小さな固体は、やがて流れの少ない池の中心付近に集まってしまいボーとしてる。養殖池中のサカナが増えてエサをたくさん食べるようになると水質が悪化する。特に排水がある中心部は溶存酸素も少ないので、落ちこぼれた稚アユは、ますます不利な条件下におかれ、やがては痩せ細って死んでしまうようだ。残酷なようだが自然界だったら、歩留まり?はもっと悪いはずだ。鵜が待ってるし。

私の場合、いくら遅くても3月25−28日くらいで潮汲みは終了することにしている。さて、その理由は何でしょう・・・答えは集会所は。明日からは大型トラックに代わって、いつもの2シーター縦置きミッドシップの通勤フェラーリになる。コンビニや本屋に寄れるぞ。



●3/20 一日の給餌量の限界が40kgだとすると、総魚体重が1000kgになった場合には結果的に4%の給餌量となり、個々の体重増加は少なくなる。つまり成長が遅くなる。アユは基本的に早期出荷の方が値段が取れるので、成長の遅れは致命的だ。といって、何時も理想的な成長をする放養密度で飼っていたのでは、利益を見込める生産量を得ることは不可能だ。

で、経験的に「これくらいの稚魚を入れて、歩留まりが何%で、こういう風に成長させて、こうやって売って・・・儲ける!!」と計画を練るのだが、たいていの場合、最初の稚魚購入で1年の生産計画がブチ壊される。で、毎年恒例の「こんなはずじゃなかった稚魚の池入れ」に始まり「その場しのぎ養殖」で経過し「なし崩し的相場」に身を委ねることになる。

つまり、アユの養殖に関しては「稚魚の確保」が一番重要であることが判る。ところが、これは自然界の影響と人為的な作為が同時に絡むので、イチ養殖業者がどうがんばっても予定通りにいかない。私は、ずっとアユを扱ってきたが、10年前からレインボー、アユ、KFSの3本立ての経営になってからは、アユ養殖は稚魚の仕入れが思わしくない年は「アユの赤字を最小限に抑える」的経営に切り替える様にして来た。今年は配られたカードは「いいじゃん!」なので、「ちょっと、がんばってみるか」と思っている。



●3/19 今日は午後からは晴れるという天気予報だったが、ご後は不安定な天候となり、私がKFSからの帰りに海で海水を汲む頃には、遠くで「ゴロ・・・」なんて音も聞こえた。その後、韮山の自宅に向かって走っていたら、到着直前にバリバリと大粒の雨・・・バリバリ??・・・雹(ヒョウ)だ!!

ヒョウで被害を受けるのは主に農作物なのだが、養魚場でも酷い目に会うことがある。15年くらい前だったかな、やはり韮山の養魚場に向かう途中に大粒のヒョウが降ってきた。フロントガラスが割れるんじゃないかと思う程の大粒のヒョウだ。養魚場に着いて驚いた。私のアユの養魚場のビニールハウスは、シックスライトというフィルムを張ってある。普通のビニールの4−5倍の価格だが、8−10年はもつ。そのシックスライトが空襲を受けたかのように・・・経験はないが・・・ばりばりに穴だらけ。張替えに200万円掛かってしまったという笑えない話。この時は近所でもカーポートがぼこぼこになってしまったという威力だった。

今日も、どきどきして帰ったが小さなヒョウだったせいか、無事に跳ね返したようだ。200万円得した・・・のかな?



●3/18 稚アユが養殖池に入って1週間後、選別が済んで完全に淡水馴致すると猛烈な勢いで配合飼料を食べ、爆発的に大きくなる。ここから養殖池が飽和状態になるまでのアユの成長は、30年も同じことをやっていても驚く程だが、アユは死ぬまで?エサを喰うので油断は出来ない。特にこの時期の海産稚アユの場合は1日に魚体重の7−9%の配合飼料を食べるので、2週間でほぼ2倍の大きさに育つ。

ただ、そのペースで成長すると、あっという間に養殖池は飽和状態となる。私のアユの池の場合は、いくら総魚体重が増えても1日に40kg以上のエサは食べない。これは池の大きさと注水量との関係だ。KFSの大きな養殖池では真夏のピーク時には100kgも食べる日が続く。これは注水量が多い(5倍くらい)からだ。もちろんKFSの水温は低いので基本的にアユの養殖には向かない。夏の水温上昇時に限り優秀なアユ養殖池となる。

だから韮山のアユ養殖池で稚アユをある程度の大きさに育ててからKFSへ移動し、夏の暑さを利用して成魚まで育てる、というのが正しい。通常だとゴールデンウィークの頃に移動するのだが、今年は既に飽和状態に近くなったので早目に移動することになる。



●3/14 あれが東京ドームで、アメリカ側のタッチアップにクレームが付いて判定が覆ったとしたら、どうだったんだろう。ましてや韓国や中国が相手だったら、このまま納まるとは思えない。世界で一番偉いアメリカ人とアメリカの野球場で、アメリカ人の審判の下で戦うのだから「ひいき」はしょうがない。審判の判定は絶対であるという前提で野球は成り立っている。ポールぎりぎりのファールボールや、際どくバットを止めた時の判断は他の審判に聞くことはあるが、それは判定を下す前のことだ。今回の問題は一度出した判定を簡単に覆したことにある。セーフだったかとか勝ち負け以前の問題だ。

アメリカの国技と言われるベースボールっていうのは、こうだったのか。いやいや映画で観るアメリカのベースボールや審判はもっとカッコ良かったぞ。これが世界中に中継されるのだから、アメリカ国民の恥だ。今回の場合、映画の中のアメリカ国民なら、間違いを謝った上に再試合となるはずだ・・・それでアメリカが勝っちゃうのがハリウッドなのだが。このまま、この問題が放置されるとしたら、ぜひアメリカに優勝して欲しい。東西冷戦終結、同時多発テロ、イラク戦争・・・野球でも「裸の王様」だ。アメリカ人の正義は、今や映画の中にしかない。牛丼が食いたい・・・なんて、もう言わないぞ。



●3/11  今年最後(・・・になるはず)の海産稚アユの引き取りにに行ってきた。もう要らないと言ってから2台目だ。150kgあるからという話。例年の小さな稚魚だと15−20万匹に相当するが、今年は何故かアユが大きいので数では半分もいないだろう。その分kg単価も安いので気楽だが、もう養殖施設の許容量が限界に来ている。お付き合いとか義理ってやつで引き取りに行った。活魚トラックの水槽は4つに分かれているのだが150kgなら、全部の水槽を使う必要があるので、4つに水を積んで行った。

前回に続き積んでみたら100kgしかなくラッキーであった。もう一つ生け簀があるから持って行け・・と言いたそうな漁師の前で、余っていた水槽の水を海に捨てた。これでもう積めないぞ。今年は海にアユがいっぱいいるのだが、養殖業者や放流業者に元気?がないので持て余し気味だ。4月になれば狩野川に上るのだが、最近の狩野川はアユの生産力が著しく低下しているので、このアユが全部狩野川に上ったら育たない・・・と心配してる関係者もいる。自然の摂理がどうなっているのか知らないが、エサや水が豊富で病気も管理されている養殖池でも、ある程度の密度を超えると育たない。川のアユが小さいままだと、いくら数がいても釣りにはならない。こんな年でも放流は行われる。このあたりが大勢で経営する釣堀?の難しさだ。

許されるなら、狩野川の各橋の上に自動給餌機を設置して、放流の予算で配合飼料を与えるのだが。それじゃあ養殖アユだろ・・・でも釣れないよりはいいだろ、と思うのは釣堀オーナーだけか。。昔は良かった・・・と言うが、どうやったって昔の川は取り戻せない。カキと同じで山に広葉樹を植樹することから始めなければならないというし。



●3/10 仕事とは、とかく重なってしまうもので、今日はその最たる日となった。朝イチ、レインボー1台出荷。その後、アユの選別、昼からは芦ノ湖の放流、帰りに海まで潮汲み・・・HPの更新と。まあ、いずれも生産的なことなので辛くはない。これが同じ忙しいでも、魚病や事故なんかの処理に時間を費やすならイヤになってしまうし疲れる。

芦ノ湖の放流も前日から雨の予報だったので「雪にならなければいいけど・・・」と心配していたが、芦ノ湖に着いた時にには雨も止んでいたし、寒くもなかったので助かった。放流し終わったら直ぐに海に向かったのだが、1号線を下る途中、眼下に駿河湾が見える、どんよりと曇っている空の西の奥の雲間から、太陽光線が射し込み綺麗だった。もしかして潮汲みをしてる頃は美しい夕焼けが見られるかな・・・と思い、いつもの静浦の港ではなく景気良く320円也を払って伊豆中央道を三津浜へと向かった。

今年から三津シーパラダイスの隣の市場でも海水を汲ませて貰えるようになったので気分で使い分けている。今日は仕事が順調に運んで、気分が良かった訳だ。市場の向かえにはケーキ屋さんがある。今まで寄ったことは無かったが、子供に買って帰ることにした。海辺のケーキ屋さんて、何だか不思議な気がする。



●3/9 塩は重い、1袋25kgだ。私のアユの養魚場は設計が古く・・・っていうか、いい加減でフォークリフトどころか、車輪が付いたモノは小さな手押し車しか使えない。だから倉庫に積んである塩を目的の池まで10袋も運ぶというのは、大変な重労働である。それが活魚トラックの水槽で運んで来た海水なら、ホースを繋いでバルブを捻るだけでOKだ。

海水に含まれている各種ミネラルやプランクトンの効用は、アユの淡水馴致という場合には無い・・・と思う。期間が短いし、採捕される稚アユは「そろそろ川に上ろうかな・・・」と沿岸に近づいて来たアユだから、心も体も準備が出来ているはずだ。かえって海水は汚染されている心配がある。なんてったって港の周りはハマチやタイの養殖生簀が並んでいるし、いろんなサカナを積んだ漁船が出入りする。加工場からの排水だってある。まあ、そんな海を泳いでいる稚アユなんだから、私は気にしていないが。人工孵化の様に、長期間に渡って循環ろ過で飼育する場合は、その危険性を避けるためにも人工海水を使うようだ。

「潮汲み」の歴史は長い、私でさえもう30年以上になる。海産稚アユが主体だった静岡県東部のアユ養殖は「潮汲み」の歴史でもある。もう2−3日、書いてみたい。



●3/8 関係者に煽てられて稚アユを、もうひと口いれることになってしまったので「潮汲み」はまだまだ続く。2月の4日から運び始めたので今年も既に50台は運んだことになる。いつかも書いたが25kg入りの塩もたくさん用意してある。その塩を使えば良いじゃないか・・・と思うかもしれないが、海水を飽きずに運ぶ理由は「コスト」だ。海水の濃度は34パーミル、海水1トンに34kgの塩が含まれている計算になる。

1回に6トンの海水を運ぶと、ほぼ200kgの塩を「タダ」で手に入れたことになる。塩を大量購入した場合の価格で計算しても8000円の節約となる。海までは片道10km、燃料費は500円だ。1日に5台も運べば40、000円近い「儲け」?になるはずなのだが、そんなに沢山は必要ない。1日に1−2台しか要らないからアルバイトを頼むこともできない。忙しい合間を縫って自分で運ぶから「有意義な節約」なのだ。

塩を買って投入するよりも海水を使うメリットが、もうひとつある。さて、それは何でしょうか? 答えは集会所へ。



●3/7 金芽米が凄い売れ行きだそうだ。荒川静香がCMをやっているらしい。彼女のスポンサーではあるが金芽米自体は金メダルを意識したものでは無いという・・・本当か? 確かに銀メダルしか取れなかったらシャレにもならない。金メダルにもっと近い食べ物といったら「キンメダイ」があるが便乗しそこなったようだ。

私も子供の受験の前日にはキットカット(きっと勝つ)を買った。こんな駄洒落でも全国で消費される量は膨大だ。しかも、黙っていても春が来るたびに思い出す・・・売れる。最近、まったく消費が低迷しているアユとマスにも、こんな棚ボタ的な逆転劇は無いものか。最近は倖田來未にやられっぱなしだが「浜崎あゆみ」はアユの救世主ではなかったのか。あの時に便乗しこねたアユ業界は、棚からボタ餅が落ちて来たのに気が付かなかったのかもしれない。

ニジマス業界にとって不幸だったのは、おサカナくわえたドラ猫を追いかけたのが、鱒夫さんでなくてサザエさんだったことだ。



●3/3 今日も海まで稚アユを買いに行って来たのだが、どっちかと言うと「買わされに・・・」が正解だ。100kgあるという話だったが、現場に着いたら「150kgあるから全部持って帰ってくれ」となった。さあ困ったぞ、150kg1池に入れてしまうと、管理が(潮汲み?)大変になる。ところが積み終わってみれば70kgしかない。まったくミズモノである。私は安心、漁師はガッカリだ。

帰ろうと思ったら「おい、もう一口買ってくれや・・・」。私は申し込んだ数量以上に買ったので、とっくに断っても良いのだが、「おまえの親父ってヒトはよ、本当に漁師のために良くしてくれた・・・まったくいい時代だった・・・」などと遠まわしに「息子のお前はケチだ・・・」と言う。「本当に、こっちが必要な時には回してくれないくせに、お前らのがセコいだろ」とは言わずに、考えとくよと言って帰って来た。

駿河湾の海産稚アユは、いつかも書いたが私の親父が漁師と一緒に開拓したようなものらしい。しかも親父も沼津の漁師町の出だったから漁師の悪友が多い。私はご存知のように上品な育ちなので、どうも彼らの感覚は苦手だ。もちろん、私も勝算?があるから出向いて行くわけだが。



●2/28 今年の場合、駿河湾で獲れる稚アユが大きい。そのまま淡水に入れても90%は大丈夫なのだが、シラスも10%くらい混じっている。この10%が匹数においては30%にもなるので、やっぱり慎重な淡水馴致が必要となる。このシラスを救うことが商売上も重要となるのだが、何時までも海水を入れて飼い続けると、ビブリオ病が発生する。アユやトラウトの病気としては歴史?も長く、対応する薬品もあるので恐れることは無いのだが、その感染力は今だに一級であり、特に塩分が少しでもある養殖池では、手遅れになれば壊滅的な打撃を受ける。さて、海水は長く入れられない、シラスアユは救いたい・・・・。

そこで大き目のアユとシラスとを分けて飼えるように選別が必要になるわけだ。私のところの養殖池は、設計が古く、このような小さなアユを簡単に取り上げられるようには出来ていない。そこで池の中心で一番深くなったところに、フィッシュポンプのストレーナーを設置して、水ごと稚アユを吸い上げ、他の養殖池に張った網生けすに落とし、そこで選別作業をするのだが、今回のように極小のアユの場合は、その網生けす自体の網目の大きさを利用する。つまり小さなシラスは生けすの網目から抜けてしまい、大きなアユだけが生けす内に残るという寸法だ。中には無理に通り抜けようとして挟まってしまい死んでしまうアユも出るが、スピードが速い分アユへのストレスは少ないよいうだ。また、想像以上に上手く分けることが出来る。で、小さい稚アユだけを集めた池には、しばらく海水をいれ、大きな方は淡水をどんどん注水してエサをたくさん与えることが出来る・・・めでたし、めでたし・・・なのだ。



●2/27 伊豆の国市に昭和30年代の後半に造られた小さな養魚場がある。私はそこに住んでいるのだが、この養魚場は駿河湾で獲れる海産稚アユを、淡水馴致し養殖するために親父が造った。それ以前は冷たい淡水(KFS)の池に、どーんと放して生き残った固体だけを育てれば商売になったということだ。多分、歩留まりは30%以下だったと想像できる。

それが現在は21℃の地下水とビニールハウス、海水の運搬や飼料の進歩で歩留まりは98%位になった。もちろん、全国的に同じような進歩があって大量生産となったので、30%の頃のが儲かった。そんな訳で、私もクルマの免許を取ってからというもの、この時期には養魚場と海の間を往復するのが仕事となった。海水運び(潮汲みが専門用語だ)も30年以上の歴史があるのだ。その間、トラックや水槽は進歩したが、養魚場の仕事は昔のままだ。

ところで今年は早々と潮汲みが終了しそうだ。2月中に終了すると、とっても楽なことがある。さて潮汲みにとって、これから大変になることとは何でしょう。答えは集会所へ。



●2/26 海産稚アユの淡水馴致は、基本的には塩分濃度を徐々に薄めていけば良いだけの話なのだが、これが簡単そうで難しい。池入れの際は海水の4分の1程度の濃度になっている。海からの輸送の水槽内も同じだ。不思議なことに100%海水だとシラスアユが輸送中に死んでしまう。更に不思議なことは他の海水魚(イワシ他)も4分の1海水の方が生存率が高い。養殖池に放してしまえば、その日の内に10分の1海水まで落としても何でもない。稚アユは大きさがバラバラで、大きな個体はそのまま真水にしても大丈夫だが、シラス状の個体はこれくらいの濃度のうちにエサを食べるように、シラスの群れ目がけて?粉状のエサを撒く。シラスも一見すると元気なのだが、そのまま塩分濃度を落としていくとエサを食べなくなって死んでしまう。シラスが死なない、すれすれの濃度は30−40分の1海水だ・・・と考えられる。だから最低でも、その濃度を保っていればシラスもエサを食べ続けて成長し、淡水に切り替わっても大丈夫・・・ということだ。

私の養殖池は昔の設備なので濾過槽や加熱装置は無い。淡水も海水も掛け流しなので、注水した淡水に比例した海水を運ばなければならない訳だ。養殖池の水量が120トン、それを20分の1海水の濃度で、1日に1回転させようとしたら6トン/日の海水が必要となる。私のトラックは一度に6トンの海水を運べるから、例えば稚アユが2ロット連続して入って来ると、毎日2台の海水を運ばなければならないことになる。



●2/24 悲壮感が微塵も感じられない滑りだった。さなぎから羽化した蝶が、何も怖いものを知らずに青空を舞っている様に見えたのは、コスチュームのせいもあったかもしれない。

伊藤みどりがトリプルアクセルという最終兵器を持ってアルベールベルに乗り込んだ時は、日本国民だけではなく世界の注目がその一点に絞られてしまい、悲壮感漂う演技となってしまった・・・それでも銀を取ったのだから凄いのだが。そういう意味で今回の「絶対にコケそうにない荒川静香」の滑りは安心して観ていられた。素人にはジャンプ回転して転ぶか転ばないかくらいしか、採点の判断が難しいのだが(私だけか・・)彼女の演技は全体を通して、明らかに優れていることが私にも判った。感動的に美しいのだ。アメリカの少女コーエンは上手かったが、美しいと感じた人は少ないだろう。コーエンがコケちゃったのは気の毒だが荒川静香が勝ったフィギュアー界は、まったくもって正しい。

もちろん、皆が正攻法で釣る中、でっかいミノーをバシッって投げて負けてしまった安藤美姫には特別賞を上げたい。



●2/23 それにしても10年前に、このように監視カメラで見張られて?いたのだから、今やどんな監視世の中になっているのだろう。10年前といえば、まだケータイはリッチな証、私などPCはエリートの道具、一生縁が無いと思っていた時代だ。もちろんKFSも無かったから、リールの扱い方も知らなかったぞ。当たり前だが、この事件以来3人の子供を連れて歩くのは楽になった・・・そう、この親父はいつ自分の子供を捨てるかもしれない・・・と子供心に悟ったのだろう、従順になった。

当日は、そんな事件も忘れ1日楽しく過ごした。帰りは同じコースを逆戻りしたのだが、電車の乗り換えの度に子供達に緊張感が走ったのは言うまでもない。大船で東海道線に乗り換える時には、夕方のラッシュに遭遇してしまいホームは大混雑。そんな時にサラリーマンや学生に親切にして貰ったのは忘れられない。物騒な世の中と言われるが、人々は基本的に子供を可愛く思うし子連れには親切だ。それは今でも同じだと思うし、300年経っても変わらない・・・はずだ。一部の「変なヤツ」のために子供や子連れが社会から隔離されるような世の中では、子供も育たないが大人も本当の「大人」にはなれない。人間は弱い者を守ってやろう、という本能を持ち合わせているはずだ。本当は他人に親切にして上げることを嬉しく感じる。そういう気持ちが育つのが、子供の時期の社会との接触だと思う。

このまま悪循環に陥ってしまうのか・・・日本。



●2/22 3人の子供が降りたのを確認して、その未来型無人電車を見送った・・・あれ〜・・・? 電車の窓から、こっちを見てるのは息子じゃないか?? 確かに1度は降りたのだが、私達を見失って慌てて再び乗ってしまったのか。いずれにしても電車は、まだ4才の息子を乗せたまま行ってしまった。反射的に、柱にあった「非常停止ボタン」を押そうと思ったが、「ばか父親、電車を止める・・・」新聞の見出しが脳裏を過ぎった。まあ、ここは日本だからどこかに売られてしまうことは無いだろう。ホームに係員は見えなかったので、二人の娘に「ここを絶対に動くな」と言い聞かせて、階段を降りた。関係者が居そうな建物を捜した。怪しげ?な鉄のドアーがあったので、がんがん叩いたら人が出て来た。

経緯を説明したら「大丈夫、落ち着いて下さい・・・」と中に入れてくれた。窓も無いその部屋の壁には、20個以上のTVモニターが並んでいた。「今出た電車ですね・・・どれどれ」とモニターを切り替えている。「あ、いますね。ほら泣いています。次の駅で係員に保護させますから迎えに行って上げて下さい」。白黒のモニターには、扉に向かって泣いている息子の姿があった。

で、無事に再会を果たしたのだが、たまたま私が見当を付けたドアーが正解だったから良かったが、もっと対処に時間が掛かっていたら息子は何処まで行ってしまい、どんなドラマチックな結果が待っていたかと考えると惜しまれる・・・いや、ぞっとする。それに、その間ホームで待たせておいた二人の田舎子供がさらわれなくて良かった。



●2/21 3人の子供を自家用車を使わずに・・・バスや電車で・・・連れ歩くとハプニングの連続だ。3人が4,6,8才位の時に八景島シーパラダイスに連れて行ったときの話をしよう。とりあえず伊豆箱根鉄道の韮山駅までは歩いて7分、JR三島駅で東海道線に乗り換え大船。さらに何線だっけ・・・何処かに出て無人の電車に乗り換えた。この電車が当時としては未来的で感心した。子供3人を連れていると混雑しているところ、電車の乗り換えは緊張する・・・田舎の電車しか乗ったことないし。

子供が3人いると全員ご機嫌が良いということは、めったにない。必ず誰かがグズるか、ふてくさる。それでも長女が下の二人の面倒をみてくれた。また子供たちにしても、「ここでお父さんを困らせたら捨てられる・・・」と本気で思っていたせいか、ぞろぞろと必死でついて来た。ファミレスでの食事はジュースや水をこぼさないように緊張する。土産物屋の前を通らないようにするのも子育ての技だ。水族館や遊園地の中に入ってしまえば放し飼いに出来るから安心だ。

で、その未来型電車で八景島の駅で降りて、無機質なホームで「ほんとだ、運転手がいないね・・・」なんて言いながら、その電車を見送った。直後に事件は起きた・・・! さあ、我々「模範的親子」を襲った悲劇とは何でしょう。答えは集会所へ。  



●2/19 まったく恐ろしい事件が続く。私のところも2歳間隔で3人の子供を育てた・・・育てつつある・・・のだが、何とか今年は末っ子の長男が高校生になる。変質者に襲われるとか、事件に巻き込まれるなんてことは考えずに育て来たが、まあ良い時代だったのか。大阪・・・だったかな、小学校が襲われて何人かが刺殺された事件以来、私の自宅の前の小学校は通用門や裏門を固く閉ざし、外界と遮断された空間となった。「知らない人とは口をきいてはいけません」教育が徹底されつつある中で、今回の事件の結果、「顔見知りでも油断しないように」と子供に注意するようになってしまうのか。

子育ては楽しいが大変でもある。なぜ大変かといえば、未知の体験であり責任重大だからだ。シューとひと吹きで30分眠ってしまうスプレーや、テスト前だけでも頭が良くなるヤクでも欲しくなる。私は3人の子供が3−7歳の頃、電車やバスで連れ歩くのが好きだった。クルマでなら簡単だが、公共交通機関でとなると親子共々大変である。ただ、父親が3人の子供を連れてると、周りの方達が何かと手を貸してくれた。子供達に社会勉強をさせようとしたのに、私も子連れとして他人の親切の有難さを体験できた。だから他の若いお父さんにも勧めたいのだが、最近の悲惨なニュースを聞くと、そんな平和な話ではなくなってくる。少子化時代にあって、さらに子育てを難しくしてしまう事件だ。



●2/18 オリンピックの成績といえばメダルの数。現時点で日本はメダル無し。何だか冴えない感じもするが、全体的な成績ではけっこう良いレベルにいってると思うが、どうなんだろう。金銀同のメダルを貰うことが勝利のように捉えられてしまっているのは仕方が無い。なんで3位までが偉いのか・・・? といえば「3」という数字がキリがいいからだけなんだろうけど。古代オリンピックの勝者には月桂樹の冠が与えられただけだったと言うし、何かで読んだところによれば、その後も金メダルは無くて銅と銀だけだったとか。だったら、ここらでチタンとかアルミやプラチナ何かも追加して、各国のメダル争奪戦を面白くしても良いと思う。余りに3位までのメダル獲得者が目立ってしまい、しかも中国、アメリカ、ロシア等の大国が強すぎて普通の?国々の活躍が目立たない。小さな国こそメダルが重い。アルミでもいいから取れるチャンスを広げたいものだ。特に冬季オリンピックは先進国と途上国で、練習設備や取り巻く環境が違いすぎる。クールランニングは面白かった。

道具にも金が掛かるし途上国の活躍は、なかなか期待できそうもない。もっとも雪の無い国々にはウィンタースポーツ用品は売れないから商業オリンピックとしては、そんなこと興味は無いかもしれない。
ところで、ミキティは4回転を飛ぶのか・・・?飛べ!!・・失敗しても「オレが許す・・・」ってヒトが多いと思う。もちろん私もそうだが、負けたら困る「関係者」が飛んじゃダメ・・・ってことになるんだろうな。まあ、他の二人が先にメダルを確定すればチャンスはある。



●2/17 何だ・・・! あのスノボークロスとかいうののカッコ良さ!! 特に4人で争う決勝リーグ。私にとっては「貞子が井戸から出て来て、TV画面から這い出した」時以来の衝撃だった。スノボーってものをまったく知らなかったのでマジで驚いた。スノボーってストックを持ってないからいいけど、あれがスキーだったらケンカになるね。雪上の格闘技・・・まあ、それも面白そうだけど。もちろんハーフパイプも面白いんだけど、何であんな不自由な板を付けて宙返りをしなければならないの・・・と不自然さを感じていた、スキーのエアーも同じだ。今回のはその不自由さをぶっ飛ばしたカッコ良さだった。スキーやサーフィンから発生したスノボーっていうより、オートレースの雪上版のようにも感じた。

いずれにしても、あの映像を観たらスノーボーファンは増えるだろう。遊び、ゲームやスポーツ、それらの頂点を極める人達がカッコいいとうことは、その業界にとってもっとも大切なことのひとつであろう。子供はもちろん、誰だって単純にカッコいいものに憧れるし、やってみたい。そうやって裾野が拡がっていき、それを取り巻く環境が整備されていく。大丈夫か・・・管釣り界。



●2/16 海産稚アユは水温が20℃位になると、餌をたくさん食べて急成長する。反対に水温が17℃以下だと、なかなか大きくならない。私の自宅がある養殖池は原水が21℃以上あるので、海産稚アユを飼うには、もってこいの条件だ。しかも海まで近いので海水の手当ても比較的楽だ。ただ解禁が2月と、50年前に決めたままになっている。琵琶湖産や人工孵化モノが前年の11月後半に池入れ可能なのと比べたら、あまりにも遅い。

で、ここ10年ほどは、1月に人工孵化アユを数万匹入れて様子を見ることにしている。2月になって海産が民間業者に回る程獲れそうなら配給を待つ。ダメそうなら人工孵化モノを追加するか、九州辺りの海産を手当てする。その場合は最初から人工孵化モノを充分に池入れしたところに比べて、出荷時期出荷量とも大幅に遅れをとることになり、今の厳しい業界では利益が期待出来ない。

3年に1度は、そういう年もあるさ・・・と、全勝を狙わずに「2勝1敗で良し」としている。負けの年にはトラウトをがんばる。



●2/15 駿河湾の海産稚アユは配給制度を採っている。湾全体での漁獲数量の上限があて、それが各地域の漁協に分配される。獲った稚アユは放流事業を行う内水面漁連が最優先で買う権利があり、残りを民間業者が分けることになっている。だから少ししか獲れないと民間業者には回って来ないわけだ。ここ20年近くは、そんな厳しい年が続いた。

といって、海産稚アユが入手出来ないからアユを飼わなくても良いということではないので、我々民間業者は琵琶湖産や人工孵化モノを購入しているわけだ。また、その間にアユ業界は不景気と魚病で疲弊してしまい、生産量は今やピーク時の半分にまでなった。しかも種苗として人工孵化アユが定着して来て、それらを12月や1月に早々と手当てしてしまう業者が増えたので、2月になって突然「海産が大漁だぞ!」となっても以前のようにたくさん買う業者はいない。実際、静岡県東部には4−5軒のアユ業者があるが、駿河湾の稚アユを池入れしているのは私だけだ。



●2/14  北欧は物価が高かったので泊まるところはユースホステルに限定された。寒いのでバックパッカーは夏の2−3ヶ月しか来ないためか、小さな町のYHは、それ専用の建物ではないことが多かった。それが旅を面白くした。一番傑作だったのがロフォーテン諸島の漁師小屋。番人?もいなければ食事も無い、港の雑貨屋が食料庫だ。YHには釣竿があってサカナを釣って食った。

高級ホテルの物置ってところもあった。当たり前だが設備が良く、食事も従業員と一緒に安く食べた。ボデっていう町の小学校の講堂?も期間限定YHだ。明らかに普通の家の「離れ」だよな・・・ってところ、キャンプ場のバンガローだったことも2回あった。いずれも宿泊者は4−5人だった。

レールパスを持っていたので、ほとんどの鉄道と主要なフェリーはタダだし、ヒッチハイクも比較的簡単だった。YHも素泊まりなら500−600円と、設備を考慮すれば安かった。高いのは食料だ、食堂では高くて食べられない。スーパーでは牛乳とパンだけは日本よりも安い。こうなると人間は牛乳とパンだけで何日間旅が出来るか・・・という素朴な実験をしたくなる。それが1ヶ月間だった。ちゃんとした?食事は2回しか覚えていない。

節約旅行をし甲斐がある国々だった。



●2/13  21世紀に入って私が旅した国はネパール、ブータン、スリランカ、インド、ウズベキスタン、トルクメニスタン、パキスタンだ。いつも変な?ところしか旅行してないと思われがちだが、若い時には普通の国も旅した。私が初めて一人旅をしたのは1977年で1ドルが306円だった。安売り航空券なんてものも無かったから、大卒の初任給が14−15万円だったのにヨーロッパ往復の航空券が30万円くらいした。そんな状況の中、ヨーロッパを旅したのは今になってみると、とっても良い思い出になっている。

先日、生活物価が世界で一番高い都市として、東京を追い越してトップになったのはノルェーの首都オスロだった。私が訪れた当時も物価は間違い?とも思えるほど高く、バックパッカーは非常に少なかった。なんてったってユースホステルの朝食が1000円、夕飯が1800円くらいした。日本ではラーメンが180円だった頃だ。ノルウェーは美しい国だった。特にあのスカンジナビア半島のギザギザの部分・・・フィヨルドってやつは日本人好みだ。

高緯度のスカンジナアは、夏の間は白夜となる。特に北極圏では沈まない太陽「ミッドナイトサン」が名物?だ。といっても、天候は安定せず、なかなか「水平線を転がる太陽」を観ることは出来ない。私はこの「ミッドナイトサン」と最北端の「ノールカップ」を目指して白夜のスカンジナビアを1ヶ月かけて旅した。




●2/9 こんな業界でも僅かに?合理化されたり、淡水馴致の知恵がついてくると、また他の仕事も忙しくなったせいか、海産稚アユの時期になっても何てことは無くなった。ただ私だけは「アユ係り」なので猛烈に忙しくなる。稚アユの引き取り、淡水馴致、餌付け、海水の運搬まで全て一人でやらなければならない。まあ、これは単純にアユが儲からなくなったから、ヒトを雇う余裕が無くなったからなのだが。

海産稚アユを飼うのは海水が必要となる・・・海水を運ぶ・・・から大変なのであって、淡水馴致さえ済んでしまえば後は簡単だ。苦労は後回しにしたいという私の性格には合っていない筈なのだが、もう30年近くも付き合っている。その間に琵琶湖産のアユが病弱になったので、毎年、駿河湾で順調に海産稚アユが獲れれば、絶不調と言われているアユ業界でも生きて行けるのだが、現実は見通しが暗いのでヒトを雇ったり、設備に投資することが出来ない。

そんな理由で朝は5時に港に海水を汲みに、KFSの帰りにも海に寄って1台運ぶ。その間に池掃除、給餌と忙しい毎日が暫らく続く・・・ダイドーカップを迫るお客さんの相手もしなきゃならないし。



●2/7 かつては海産稚アユが入池するときには、家中を上げての大騒ぎだったことを覚えている。小学生だった頃には私も、それが1年間の儲け?を左右する出来事だと何となく理解していた。稚魚を積んだトラックが養魚場に到着すると、当時はキャンバス地で出来ていた活魚水槽の海水を少しづつ抜き、それに池の水を足して徐々に淡水に近づけ、やがて養殖池に放していた。今考えてみれば、ほとんど意味が無い行為だが、それを養魚場の従業員(当時は7−8人いた)や家族、近所のおじさん?まで大勢で見守った。

ほとんど淡水の養殖池にいきなり入れてしまうのだから、アユ以外の雑魚は数時間のうちに全て死んでしまう。その中には食べられる魚もいるから、それをネットですくって夕飯のおかずにしようとする。当時は輸送技術も未熟だったので、シラスサイズのアユがバケツにが何杯・・・って感じで死んでいた。アユの生シラスを食べられる人間はそうは居ないはずだ。残念ながら、これはイワシのシラスの方が美味しいから安心していい。

それでも当時から稚アユは高く、1匹でも無駄には出来ない・・・と言いながらバタバタ死んでいたので、夕飯の(昼も)のおかずは暫らく、稚アユのてんぷら、吸い物、佃煮が続いた。そんなだったから海産稚アユが入る日は、お祭り騒ぎだった。



●2/4 ここ数年、地元駿河湾の海産稚アユの不漁が続いていて、民間のアユ養殖業者には、なかなか回ってこなかったが今年は解禁早々に1台買うことが出来た。配給制度を取っているので、他所より高い価格でもいいから売って下さい・・ということは出来ないので、豊漁だから確実にたくさん買えるということでもない。漁師や漁協、お役人や河川組合の諸事情?によって「今年は業者にも売ってやれ・・・」ということになるらしい。まあ、年々確実に減っていく天然資源であるから仕方がない。

で、今朝、引き取りに行って来た。海産稚アユはいきなり淡水に入れると死んでしまうので、養殖池に海水を入れておく。といっても真水75%海水25%くらいで構わない。私の養殖池は古いので水漏れがひどく、事前に海水を汲んでおくことは出来ない。今朝は3時半に起きて、沼津の市場から2回海水を運んで来た。養殖池を4分の1海水にしておいてから、アユを引き取りに行った。アユが水揚げされるところまで20分も掛からないので、こんなことが出来る。シラス状のアユは海水を必要とするので、私も暫くは毎日海水を運ばなくてはならない。その間に、更に稚アユの引き取りもあるはずなので、忙しい日々が始まる。

HPの更新が遅れたり、日記も得意な旅の話でゴマかすことも多くなるかもしれないが、そこはよろしく・・・と、お願いしておく。



●2/3 キュウリや卵焼き、紅ショウガやシーチキンが入った「海苔巻きご飯」を定められた方角に向かって、一言も喋らずに一気に食べる。節分の日と言えば「恵方巻き」だ。

本当かよ・・・初めて聞いたぞ。ここ数日、ラジオを聴いていると、やたら「恵方巻き」が話題になっていて、節分に「豆撒き」は古い、今や「恵方巻き」なんだそうだ。最初のうちは「えほー撒き・・?」何を撒くんだ?という具合で理解不能だった。まったく、海苔業界かコンビニの策略だろ、そんなのに乗せられる訳無いじゃんか・・・と思っていたが我が家の夕飯はスーパーで買って来た「恵方巻き」だった。定められた方角が何処だか判らなかったこともあったが、さすがに「黙って一気食い」はしなかった。

で、思った。これはヒットする。来年の節分は「恵方巻き」一色になることは間違いない。節分で撒かれた豆を食べても空腹は満たされないが、「恵方巻き」は1本食べれば充分に夕飯となる。サケの塩焼きでもあれば満足だ。つまり主婦は節分の日は、いばって夕食を作らなくて済むわけだ。世の中、主婦が楽になるものは確実にヒットする。「豆屋さん」と「鬼のお面屋さん」の危機だ。

本当に関西では、そんなことやってんのかな・・・? 京都で毎日スプーンにリングを付けてるNさん、一気喰いしましたか?



●1/31 昨年の12月23日に購入し、1月5日に韮山の養魚場で高温養殖をしていたレインボーの稚魚が今日KFSに帰った。総量で120kg、平均魚体重は0,6gということになる。卵から稚魚が孵化した瞬間の体重を私は知らないが、発眼卵の重さは0,1g以下なので孵化稚魚自体の重さも同じくらいだと思う。だとしたら26日間で5倍以上の大きさに育ったことか。

水産試験場のデータでは高温養殖によってIHN(ウィルス)の抗体が出来るのは「21℃で3週間」とされている。その3週間で孵化稚魚が通常養殖より大きく育ってしまうのも高温養殖の凄いところだ。通常の10−13℃の場合の3倍くらいのスピードだ。多くの養殖魚はそのサカナの適正水温内であれば水温が高いほど成長が早い。それは変温動物であるサカナは水温に比例して体温が上がり、内蔵の働きも活性化するので餌をたくさん食べ、しかも飼料効率も良くなる。KFSに帰ったレインボーの稚魚は、15,5℃という一般的に言えば高水温の養殖池に放たれるので、その先の成長も早い。

それじゃぁ儲かってしょうがないだろう・・・と思うが、そうは上手く行かない仕組みになっている。



●1/26 その静岡県内水面鮎種苗センターだが、私がこの仕事に就いた年に完成した。当時はアユの人工孵化というのは、まだまだ一般的ではなく非常に難しい技術であったが、なぜか静岡県の東部には、それを民間の養魚場が成し遂げ、既に商売として成り立っていた。それも2軒、30年も前のことだ。どちらも私のすぐ近所だったので見学に行ったものだ。実は、それを見て私の親父も「簡単そう・・・」と始めたが、当時は確定されたノウハウも無ければ、そんなに細かい稚魚に与える餌も手探りの状態だった。そんなだったから、大まかが取り柄?の私のところでは、まったく商売にならず早々に撤退した。

ただ私としては将来的には必ず人工孵化が主流になると考えていたので、静岡県内水面鮎種苗センターからの委託養殖?を積極的に請け、毎年大量の人工孵化アユの稚魚を扱った。そこで、いろいろと経験し得た技術は将来必ず役に立つはず・・・だったのだが、その後も順調に海産稚アユも琵琶湖産稚アユも獲れ続けた。で何時までたっても、それらが主体の養殖が続いた。それでも毎年、数万匹の人口孵化アユを入れて、その飼い方と静岡県内水面鮎種苗センターとの繋がりは確保しようと努めていたが、今度はその人口孵化アユの養殖が、だんだん難しくなって来たのだ。原因は病気だけではなく人工孵化もの特有の弱さがある。今やアユの人口孵化事業は、その気になれば日本中の養殖業者に十分に行き渡るだけの生産量能力を持つ可能性さえあると言われている。

なのにアユの生産量は毎年確実に減り、今やピーク時の半分になろうとしているのが現実だ。今、アユ業界は人工アユを成魚まで養殖して売ることが出来るところと、そうではないところで大きな差が付き始めた。私のところは、その狭間でふらふらしている。目指すべき方向は判り切ってるのだが。



●1/25 昨日は裾野にある静岡県内水面鮎種苗センターに、アユの稚魚を買いに行ってきた。ここではアユの卵を孵化させて、ある程度大きくしてから放流したり、民間業者に種苗として販売している。一部のアユは卵を持つ秋まで飼育され、その卵を孵化させる。つまり一箇所の施設の中で完全養殖をしているわけだ。アユの卵はトラウトのそれとは違って非常に小さい。孵化稚魚も目に見えない程小さいので、トラウトとはまったく違う技術、飼料、設備が必要となる。

最近、アユの養殖は非常に難しくなって来ている。それは10数年前まで主流だった琵琶湖産のアユが病弱になってしまったことと、日本各地で獲れていた海産アユが減ってしまったこと、それに人口孵化のアユが養殖し難いことが原因となっている。何故、飼い難いかは過去に書いた記憶もあるし、この難しさはこれからも書かざるを得ない事態になるだろうから、その時に譲る。ただ、琵琶湖産や海産があてにならない事実を考えれば、人口孵化のアユを上手に飼うことが経営の安定化には一番重要なことは判っている・・・はずだ。なのに、多くの業者がそれに踏み切れないところに真実?がある。今やアユを養殖するということは、人口孵化のアユを飼うことである・・・と思っている。あーあ・・今年もイヤな季節が来た。



●1/24 私は普通の35mmフィルムより、ちょっと大きなブローニーフィルムの「マミヤ7」というカメラを10年以上使っている。ヒマラヤ、カラコルム、モンゴル、中央アジア等、10回以上一緒に旅をしている。その前に使っていた「オリンパスOM2」は、バックパッカー時代に20−30ヶ国を歩いた。OM2は壊れてしまったが、とても捨てる気にはならない。1年で飽きて、3年で古臭くなり、5年でゴミになってしまうデジカメでは考えられない。

その「マミヤ7」だが4−5年前に細かいところが改良され「マミヤ7U」となって使い易くなった。面白いのは12000円で7を7Uに限りなく近く改造してくれるサービスをマミヤが行ったのだ。私の「マミヤ7」も「マミヤ7U」に生まれ変わって、昨年はバルトロとゴーキョに行って来た。会社としてのマミヤは、買い替え需要は逃したが信用とファンは拡大したはずだ。非常に丈夫なカメラで私よりも長生きしそうだが、万が一壊れても捨ててしまうことは無いだろう。。

新しい機種がぞくぞくと発売され、性能も日々向上していくデジカメでは有り得ない話だ。デジカメは使いこなす前に古くなってしまうし、新しい機種ほど上手く撮れる・・・ような気がする。しかし、いくら新機構をてんこ盛りにしても、一番重要な構図やシャッターチャンスをものにするのは、常に使い手の感性だ。これって管釣りタックルに似てないか・・・? ついでに言うと、写真って機材(交換レンズ等)が増える程、ヘタになるんだよね・・・カメラ屋さんは「このレンズは写りがいい・・・」「連写性能が・・・」とか言うけど。



●1/23 先日、 ニコンがフィルムカメラから撤退というニュースが流れた。企業の判断としては当然のことなのだろうが「意外に早かった」が素直な感想だ。もっとも2機種は残すというから完全撤退はまだ先らしい。確かに普通に写真を撮るなら、もうフィルムカメラの必要性は何も無い。プリントするにしても98%の方はL版や2L版くらいにしかしないし、液晶ディスプレーでしか見ないという若い世代も多いんじゃなかろうか。今や普通に使うならデジカメの方が95%優れている。残りの5%は使い切りカメラだ。

ただ、今のカメラ文化?(写真文化じゃなくて)を支えて来たのは、私くらいの世代から上・・・デジタルと聞いただけでトリハダという方もいるだろう。私の周辺にも定年後にカメラを始めたという方が何人かいるが「今さらデジタル・・・?」派が多い。デジカメのプリントにフィルム並みのクオリティを求めるなら、デジタルに乗り換えるのは金額的にも大変だ・・・PCを買ったり習ったりしなくちゃならないし。本当は、そういうヒト達が今のニコンやキャノン、コニカやフジを支えて来たのだから、いくらデジタル化が進んだって、フィルムカメラや周辺機材がまったく無くなったりすることはないだろう・・・企業倫理ってヤツ? ましてやフィルム自体は、あと30年くらいは・・・。

なーんて思っていたら、今度はコニカミノルタがデジカメどころかカメラ自体から撤退するという・・・ニコンより驚いた。フィルム部門も何処かに売っちゃうらしいから、こりゃ30年なんて、とんでもない、5年先が心配だ。なくならないまでも大幅値上げ、現像料金3倍とか。



●1/22 せっかく設備やウデ?があるのに 自分のところだけで使う稚魚だけを作るというのは、その様に非常に効率が悪い。しかも先に書いたように私のところの餌付け池は非常にデカい。30万匹が適切な数量のところで10万匹だけを扱うということは、いかにも楽そうなのだが、この場合はそうはいかない。大きな池に10万匹程度の孵化稚魚を放すと、どこかへ行ってしまうのだ。もちろん池から逃げ出すというわけではなく、みんな池の隅の暗がりに入ってしまって出て来ない。

こうなると餌付けといっても、池の周囲を歩いて隠れている魚の群れに向かってエサを撒かなければならない。高価なエサが無駄に沈んでしまうのは勿論だが、そのエサが池底に何時までもあると池底が汚れてしまう。それを肥料として藻が発生して、さらにそこへ残餌が溜まり悪循環に陥り、水質まで悪化してしまう。だからある程度の放流密度が必要なのだ。で、ここ数年の研究?の結果、20万匹なら大丈夫、15万匹だと、けっこう難しい。

同業者が聞いたら驚くだろうが、私はこの餌付けを3系統のタイマーと3台の自動給餌機を使って行っている。日中はKFSに行かなければならないからだが、朝イチと夜(照明下)はサカナを観察しながら手で撒いている。こんないい加減?な方法でも上手く出来るのが上記の数値だ。レインボーを1年中コンスタントに生産するとなると、1ヶ月おきに発眼卵を購入しなくては上手く行かない。20万粒X6ヶ月だと120万匹となってしまう。小さな餌付け槽を数多く持っていた方が生産規模を縮小するという点では正解だった。大は小を兼ねない・・・という?象徴的な事例かな?



●1/20 サカナの養殖をやっていると面白いことに気が付く。そのひとつなのだが、トラウトやアユには社会性?があるようで、ある程度の密度になると池の中を集団行動?するので飼い易い。特に餌付け時は、その傾向が強いようだ。だからレインボーの場合、1池に30万匹、40万匹の孵化稚魚を放したほうが簡単だ。しかし、40万匹以上だと3週間で飽和状態になってしまう。私の技量だと30万匹が1番効率が良く飼い易いことが判った。

高温養殖は歩留まりが非常に高く、30万匹の孵化稚魚のうち25万匹以上が安全サイズ(10g)まで育ってしまう。25万匹という数字は普通の方にはピンと来ないかもしれないが、KFSの年間の放流匹数が12−15万匹だ。10年前までのように作れば幾らでも売れた時代は、一年中、たくさんの稚魚を飼っていれば儲かったのだが、今は余分に作ったサカナが経営の足を引っ張る時代だ。売れるあてのある量を計画的に作らなければならない。ピーク時には30万粒づつ20数ロットも購入していた発眼卵を、年間60−70万粒までに減らした。10分の1だ。1年中いろいろなサイズのレインボーを取り揃えておくには、それを年4回に分けて仕入れなくてはならない。

これだと非常に効率が悪い上に、一回失敗すると生産計画に大きな穴が開いてしまう。



●1/13 で、私がレインボーの「餌付け」に使用する水槽の大きさは、直径が11mの円形の水槽だ。1965年頃に作られたアユ用の養殖池で通常は水深が1,2m程あるので、先に書いた通常の餌付け専用の水槽と比べたら、めちゃデカい。面積20倍、容積60倍。そこで餌付けの時は、それに60cmほど水を張って使う。それでも体積比は30倍だ。

この水槽を使うことになった直接の原因は、埼玉水産試験場が「21,4℃の水で21日間飼育したレインボーは、IHNウイルスの抗体が出来る・・・」という試験結果を私が目にしたことだ。大体において試験場の試験?なんて、実用とはかけ離れた小規模のガラス水槽で行われることがほとんどだ。現場での再現性には乏しい。そもそも養鱒場に21℃の飼育水なんか無いだろう・・・普通。

ところが私がアユを飼っていた韮山の養魚場の水が21,5℃!! で、トラウト専用の長細い餌付け水槽を設置する前に、とりあえずアユ用の水槽でやってみよう・・・ということになったのだ。で、今に至るのだが、この時、金を掛けて専用の餌付け水槽を準備していたら失敗していたかもしれない。レインボーの稚魚を高水温で飼うには抜かりの無い?観察力が必要だ。30万匹を6個の水槽に分けるよりも、1個の水槽で管理したほうが管理が行き届いた。ただし失敗すれば全部が死んでしまう。



●1/12 韮山の養魚場に運ばれたレインボー孵化稚魚は、孵化盆から出て、ちょうど1週間が経った。孵化稚魚が養殖池に放たれたら、まず最初にすべき仕事は「餌付け」だ。レインボーの場合は養殖の歴史が長く、養殖技術が完成されている上に孵化稚魚自体が大きいので最初から配合飼料で飼うことが出来る。

孵化盆から出した稚魚は、1mX5m位の水槽に40cm程水を張り上流部から、ゆっくり注水する方式で飼われることがほとんどだ。1水槽に5万匹から10万匹を入れ、1日に4−5回、餌を手で撒く。水槽が小さいので相対的に換水率が高くなり、病気に罹り難く、稚魚が密集しているので「餌付け」も簡単。使用後の掃除や消毒も手軽に出来るというメリットがある。最近はグラスファイバーで出来ていて、がんばれば移動も出来る。

私のところでも長年それでやって来て何の疑問も持たなかったが、高温養殖を始めた時に、いっそのことデカい池で30−50万匹一度にやっちまったら、どうなるんだろ・・・ということで、実験してみたら「なーんだ簡単・・・!」。何だったんだ・・・あの長い箱は。現在KFSには、あの長い水槽は一つも無い。しかし、最近になって、この方式にはデカい落とし穴が待っていたことに気が付いた。



●1/10 今年の成人式は、何処でも大した混乱が無く終了したようだ。きっとマスコミはがっかりしたことだろう。

エジプトのピラミッド建設中も「近頃の若いもんは・・・」という説教があったという。近頃の若いもんは、まったくしょーがないのだが、私達が若かった頃も、しょーがなかったと思う。「いや私はしっかりしていた」と言う方もいるだろうが、今だってしっかりした若者はいるし、少なくとも私が20歳の頃よりは「しっかり成人」の割合は多くなっていると感じるが・・・。当時だって就職や仕事は大変だったのだが、今のように単純にふるいに掛けられ落とされることは少なかったと思う。日本も「なんとなく終身雇用」が崩れ去り、若者を見る社会の目も、それだけシビアになっているのではないか。

既に仕事に就いている成人もいるし、数年後には全員が社会人になっているはずだ。今も昔も「ニート」はいかん。汗水垂らして働くからこそ遊びが面白い。皆、しっかり働いて年金や税金をたくさん納めて、私の豊かな老後のために備えて欲しい。



●1/9 私が住んでいる伊豆の国市(元韮山町)の自宅には100uの円形の養殖池が6面ある。そこでアユを養殖したりレインボーの孵化稚魚の餌付けをしている。昨年はアユの調子が良くて、8月14日には全て売り切ってしまい、この6日にレインボーの孵化稚魚を運んで来るまで、まったくの空っぽ状態だった。この韮山の養魚場は用水を全て地下120mから汲み上げる地下水に依存しているので、そのポンプを止めてしまうと、施設には1滴の水分も無くなってしまう。水の気が無い養魚場というのは廃墟みたいだ。かつては11月中旬までアユがいて、12月10日頃には新しいアユの稚魚が入って来る、という年中無休状態にあったこともある。

それが今年の場合、昨年の夏から約5ヶ月間は休業状態・・・という今までに無い状況となった。もちろん、これでは昔程の生産量もなければ儲けも無い。しかし、現在の様に海外から水産物が押し寄せるようになって来ると、相場が下がる時期には原価を割ってしまう単価になってしまう。だから儲からないモノを作るなら寝てた方がいいんじゃないか・・・ということだ。これを経営危機と捉えるのが普通なのだが、私の場合「神様がくれた長期休暇」と考える。どっちにしたって結果を変えられないなら、明るく考えよう・・・というわけだ。

養魚場を縮小してKFSを併設したから、こんなことが言えるのだが。原価割れして売るなら放流しちゃった方が皆で楽しい。



●1/7 12月21日に入荷した発眼卵から孵化した稚魚を、昨日KFSから韮山の養魚場に運んだ。孵化盆ごと運ぶという「離れ業?」なので渋滞に巻き込まれないように、朝早く作業をする。で、朝5時半にKFSに向かったのだが、ご存知のように、めったにない雪の朝。まあ、滑るようなことは無いのだが慎重に走った。なんてったって、20万匹の稚魚だ。孵化した時点では1匹3円の価値も無いのだが、これが死んでしまうと計画的な生産は出来ない。

この稚魚は1ヵ月後に1g位まで成長し、KFSの養殖池に戻る。更に半年で塩焼きサイズになり、今年の10月から12月には管理釣り場への放流サイズに育つ。つまり今KFSの釣り池に放流しているレインボーは、一昨年の12月に発眼卵で購入したロットということになる。1年間でここまで育てることが出来る養魚場を他に知らない。秘密?は幾つかあるのだが、基本は病気をさせない、ということだ。他のサカナの養殖でもそうなのだが、「病気を減らすには養殖密度を下げる」が一番簡単確実だ。しかし、採算性を考えると難しい。

養殖密度を下げるなら早く育てて早く売り、在庫を抱えずに回転数で稼ぐ。理論的には半分の密度でも半分の期間で育てれば、年間の生産量は同じになるのだが、機械で作るものじゃないから、それは無理だ。



●1/3 KFSの東2kmくらいのところに三島大社という由緒正しい神社がある。静岡県内では初詣の客数が常に上位である人気神社だ。周辺には臨時駐車場が設けられるものの、正月中は三島大社に通じる道路は大混雑だ。今日も三島に所用で行ったが渋滞が酷いので途中で帰って来てしまった。

3人の子供が小さかった頃は、子供達の「正月くらい、何処かに連れっててよ・・・」というリクエストに応えるべく、自宅がある伊豆の国市から三島大社まで歩くことにしていた。距離は10kmくらいだが、何時もクルマで簡単に走っている道を歩くと非常に遠く感じる。三島大社でお参りをして、酒を土産に買って私の実家(KFS)まで再び歩き、母にお年玉を貰って・・・もちろん子供が・・・再び三島まで歩いて電車で帰るということを何年か続けた。元旦は、だいたいこれで日が暮れる。

渋滞知らずで安上がり。子供に「何処かに連れてって」とせがまれたら、こんな方法もある。「そりゃ大変だったねぇ・・・」とお年玉も弾んでくれることも期待できる。

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