| 私の養殖日記2005/04-06 | |||
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| ●6/26 かつて養魚場が儲かった時代があった。アユもマスもウナギも・・・海の養殖もだ。それは、そんな昔のことではない。少なくとも、初代セルシオが発売された時には、私の知っている養魚場のオーナーの何人かが買った。数年後にそれがモデルチェンジした時にも買い換えた方が何人かいた。しかーし・・・4−5年前、現行のセルシオが発売されたときに、それに買い換えた養魚場のオーナーを私は知らない。 それより、更に昔?もっと儲かった時代があったらしい。どこの養魚場も分場(支店??)を造るのが流行った。最初に造った養魚場で生産したサカナは簡単に売れてしまい、サカナが足りなくなる。もっと生産を上げれば、もっと儲かるはず・・・だった。また成魚を飼うには適した環境であっても、稚魚の生産には不都合な場合もあって、より無菌に近い良質な水を求めて、山奥に分場を造る傾向にもあった。この時代の養魚場経営って、資金繰りの厳しさはあったにしても、仕事としては本当に楽しかったのではなかったのかと思う。 良い水を求めて日本中を歩き、家を建てる感覚で自分が好きな養魚場を造れたのだ。時代は決して豊かでは無かったが可能性に満ちていた。私だけではないが、今や日本中の養魚場が、先代が拡大し過ぎた施設を、どうやって適正規模に縮小するかに躍起になっている。拡大はカッコいいし周りも煽てるが、「縮小」しかも先代が汗水垂らして造ったものを縮小するという仕事は、まったくつまらない。KFSの受付前の駐車場は、良く見ると判るが養殖池を3つ埋め立ててある。この3つの養殖池だって、当時は未来の明るい可能性に賭けて親父が造ったものだった・・・ろう。 ●6/25 KFSの本体である綾部養魚場も、かつてはレインボーの稚魚生産専用、アユ専用、河川水利用の3箇所の分場を持ち、各分場や本場(KFS)の間を活魚トラックが稚魚や成魚を積んで走り回っていた。これは、いかにも活動的で景気が良さそうに見えるが、実は動かしても金にならないモノに経費を掛けているのだからバカげた話しではある。つまり、手間を掛けてサカナを活きたまま、高価な活魚トラックに積んで運転手を付けるんだから、そのまま何処かに売ってしまうのが正解である。 理想的なのは、同じ敷地内で稚魚から成魚まで効率的に生産できる環境であれば、サカナの移動はフィッシュポンプでこと足りるので、上記の経費と手間は、まったく要らないわけだ。同じくあらゆる魚種を同時に養殖できれば心強い。更に消費地まで近ければ完璧だ。これらの手間(人件費)は、養殖という仕事がコンスタントに儲かっていた時代には経費の一部、従業員を使えば必ず給料以上に稼いでくれた時代には、まったく問題にならなかった。 で、今のような時代になってくると「無駄を省く」という意味で一番最初に上げられるのが、本場ー分場間のサカナの移動だろう。魚の移動だけならともかく、どんな小さな分場でもサカナを飼っている限り留守番の人間が必要となる。経費の節減にも限界が来ている養殖業界では、今後、そのような小規模の養魚場が閉鎖されていくはずだ。前向きに考えれば、そういうところを買って釣堀を始めることも出来る。 ●4/25 かつて養魚場が儲かった時代があった。アユもマスもウナギも・・・海の養殖もだ。それは、そんなに昔のことではない。少なくとも初代セルシオが発売されたときには、私の周りの養魚場でも何人かが買った。数年後にモデルチェンジした時にも買い換えた社長さん?がいた。しかーし・・・4−5年前、現行のセルシオになった時に買い換えられた方を私は知らない。 それより、更に昔?もっと儲かった時代には、どこの養魚場も分場(支店?)を作るのが流行った。最初に造った養魚場で生産したサカナは簡単に売れてしまい、サカナが足りなくなる。もっと生産を上げれば、もっと儲かるはず・・・だった。また、成魚を量産するには適した環境であっても、稚魚を作るには不都合な場合もあって、より無菌で良質な水を求めて養魚場を造るのも流行った。この時代の養魚場経営って、資金繰りの大変さはもちろんあったのだが、仕事としては本当に楽しかったんだろうと思う。 良い水を求めて日本中を歩き、家を建てるように自分が好きな養魚場を造れたのだ。しかも時代は決して豊かではなかったが可能性に満ちていた。私だけではないが、今、日本中の養魚場は先代が拡大し過ぎた施設を、どうやって適正規模に縮小するかに躍起になっている・・・先代の仕事と比べれば、まったく持って詰まらない。KFSの受付前の駐車場は良く見ると判るが、養殖池を3池、埋め立ててある。埋められてしまった養殖池も、当時は未来の明るい可能性に賭けて造られたに違いない。 ●6/24 何だか忙しい日が続いている。 KFSから10m程離れたアユの養殖場はビニールハウスで覆われているので、日中は猛烈に暑い。だから出荷や選別作業は早朝、少しでも涼しい時間帯にやらなければサカナも人間もバテてしまう。この時期は夜明けが早いので、朝、涼しい内にといえば5時ということになる。朝飯前の勝負だ。 水温が高い韮山の養魚場で20−30gに育ったアユをKFSの養魚場に運んで育てると、綺麗で丈夫なアユになる。水温が低く水量が豊富で、直射日光が当たるからじゃないかと思っているのだが業界でも評判が良い。梅雨が明けて気温が連日30℃を越すようになると、KFSの方は益々好調になるのに対して、韮山分場は水温が上がり過ぎてサカナも夏バテ気味となってしまう。 で、アユに関しては7月中旬までの出荷は韮山分場から、その後はKFSからと上手くバトンタッチ出来るように、適当な大きさまで育ったアユを移動しておく。これは、けっこう大変な作業で、アユがあまり大きくなってからだと、運ぶ総量も多くなって活魚トラックで何往復もしなくてはならない。といって小さい内に運んでしまうと、水温が低いKFSの養魚場では成長が遅いので、売る時期を逃してしまう。 ●6/22 狩野川のアユは秋に下流域で産卵し、孵化稚魚はそのまま駿河湾に流され、そこでプランクトンを食べて成長する。翌年の4月頃には狩野川を遡上する。一生の半分を海で過ごしているわけだ。狩野川のアユの減少は、とかく狩野川の環境変化のせいにされがちだが、駿河湾の環境悪化によるものも大きいと思う。 カキ(牡蠣)を育てるなら山に木を植えろ・・・と言うのは有名な話だ。山が豊かになれば雨によって、その滋養が川を通して海に流れ込み、海のプランクトンが育ち、それをエサにしている生物も育つということだ。もちろん、その因果応報?はカキに限ったことではあるまい。狩野川沿いに走っている国道136号線沿いは、昔とは様変わりして大きな工場やショッピングセンター、レストラン、スーパーが立ち並び、特に修善寺から下流の狩野川は、まさしく街中を流れる川に姿を変えた。それでも流域の人口増加は数10%かもしれないが、人間が自然に及ぼすインパクトは数十倍になったに違いない。 狩野川から減ったのは別にアユだけに限ったことではあるまい。川と山と海、どこもアユや他の生物にとって住み心地が良くなったなんてことは絶対に無い。ましてやブラックバスの食害によるとしたら狩野川はバスで溢れてしまうはずだ。不思議なのは河川のアユの不調が養殖アユ業界の不調とリンクしていることだ。 ●6/21 伊豆湯ヶ島にある養魚場にアユの配達に行って来た。ここも古い養魚場で中学生の頃、オヤジに連れられて見学に行った覚えがある。その頃は狩野川の河川敷が広がって山に達する斜面に、へばり付くようにあったイメージだったが、今では周辺は住宅で埋め尽くされ、ラーメン屋や焼肉屋もある。 そこの親父さんが元々狩野川でアユの釣具屋さんや、オトリアユの販売をしていて養魚場にまで手を出した??ということらしい。その養魚場の社長?一人でやっているのだが・・・は、私と同い年なので、よく話しをするしKFSにも釣りに来る。で、アユ屋さんの話となれば、「アユだめだねー・・・売れないし安いねー」ということになる。最近では「売れない安い」に加えて、育たないね、死んじゃうね・・・が合言葉だ。狩野川筋には意外なことに大規模なアユ屋さんは無い。私がKFSの経営の片手間?・・・KFSが片手間?・・・でやっていても「大手のアユ屋」になってしまう。それでも生計が立てられるどころか、けっこう羽振りが良かったのは「狩野川のアユ釣り」のお陰だった。つまり「オトリアユ」の販売だ。 その「オトリアユ」の販売が今、危機を迎えている。っていうか、ここ15年位で少しづつ狩野川へのアユ釣りの遊魚者数が減り続けている。余りにも順調に?減り続けたので危機感がないままに今に至っている・・・と言えなくもない。小規模な養魚場へアユを卸していた私のところも、何だか、だんだん売れなくなる・・・と毎年思っている間に、まったくに等しいほど売れなくなってしまった。まさし「真綿で首を絞める」ってヤツか・・・? で、真綿で首を絞められると本当に死ぬの?あと何年くらい生かしておいてくれるのかな?・・・なーんていう冗談だか本音なのか判らない話になってくる。 ●6/20 オクトーバーフェスティバル 1977年の夏頃、ヨーロッパをレールパスとユースホステルを使って長い旅をしていた。大卒の初任給が15万円の時代に、ヨーロッパ往復の航空券が30万円以上した時代だ。旅の途中、うわさに聞いたミュンヘン オクトーバーフェスティバルに行こうと思った、別名「ビール祭り」だ。もちろん、ミュンヘン周辺のYHや安宿は満員だろうと考えて、100km程離れたオーストリアのインスブルックのYHに泊まって電車で往復だ。インスブルックのYHはオリンピック選手村をそのまま使った立派なもので、設備も良かったので選んだ。 ミュンヘンオリンピック会場の跡地には巨大なテントが幾つも並び、全部ビアホールだ。そのどれもが大混雑。ひとりで行ったので何処に入って、どう注文したものか判らない。もう記憶は定かでなくなってしまったが、ドイツ人の若者やオヤジと盛り上がったらしい・・・そんな写真が残っている。オゴってもらったことだけは覚えてる。ジョッキは1リットルで、ドイツらしく「ここまでで1リットル」の線が引いてあった。ドイツ人は必ず、こういう時に日本とドイツと組んで、もう1度戦争をやろう・・・と冗談を言う。数日前にポーランドのアウシュビッツを見学した後だったので困ってしまった。 3杯飲んで、そうとう酔っ払ったが、何としてでもインスブルックまで帰らなければならない。電車で寝過ごしたらイタリアまで行ってしまう。門限が過ぎたYHに必死で帰った思い出がある・・・書くことが無い時のオヤジの昔話だ。 ●6/19 3ヶ月も前の話になるのだが、何とかいうTV番組でカナダのアイスワインのことを放映していた。観ていたら、こりゃ一度は味見しとかなきゃなるまい・・・と思わせる内容だった。私もアイスワインというのは聞いたことはあったものの、本当のことは良く知らなかったし、売っているのを見たこともなかった。その数日後、いつも行く酒の安売り店に行くと、レジのそばに2本だけ置いてあった・・・アイスワイン! ハーフボトルで6000円近い!! フルボトルなら10000円以上ってこと・・・? 私はワインが大好きなのだが、普段は1000円以下しか飲まないし、2000円以上のワインは数回しか飲んだことが無い。こんなの飲んだらアタるかもしれない・・。 へ〜・・と思いながら店を出たのだが、その番組を見ていた子供達が揃って、一度飲んでみたい・・・未青年のクセに・・・と言っていたのを思い出して、クルマで引き返した。これは、6000円もする有り難い飲み物だから、未青年のお前達も後学のため一口だけやろう・・・とグラスに5mlほど注いで上げた。アルコールの苦味に敏感な彼らは、それでも持て余してしまった。私は妙に甘いだけで6000円をもったいなく感じたので、3分の1だけ飲んでKFSにいる母親のところに持って行った。ここで、また3人で少しづつ飲んで、さらに残った100ml程を姪夫婦に上げた。 かくして10人程で、高価なアイスワインを飲んだので、6000円は安かった・・・のかな? もちろん、私は500mlのエビスひと箱のがいいが。ちなみにアイスワインとは、ブドウが寒さで半分凍った時に収穫し発酵させる。通常の作り方の8倍のブドウが必要になるという。それにしても、あの酒屋の店主は商売上手だ、TVを観ていたに違いない・・・2本しか置いてなかったが倉庫には50本くらいあって、ぼちぼち出してきてるんだろうな。 ●6/17 親しくしていた「いとこ」が数日前、突然亡くなって、今日はその葬式に行って来た。とっても聡明で思いやりがあり尊敬すべき女性であった。私は、生意気だった小学校の頃からよく泊まりに行っては迷惑の掛け通しだった。自分の子供が出来てからも遊びに行ったりと遠慮の無い付き合いが出来ていた。仕事の関係でKFSにもよく来られていたし、先週も美味しいお菓子を持って来てくれた。 当たり前だが家族の悲しみは深かった。特に娘さんの嘆き様は・・・私は今まで、あれ程に悲しみに暮れる人間を見たことがなかった。コンピューターの処理速度がいくら速くなっても、人類が無限のエネルギーを得ることがあっても、愛する人が死んでしまうことの悲しみを和らげることは出来ないだろう。 人間は誰でも死ぬのだから、死と言うものは悲しいものではない。輪廻転生の中の句読点のようなものに過ぎない・・・というようなことを「チベット死者の書」で読んだことがある。もちろん、そんな都合良く信じられるものではない。ただ、本当にそうだったらいいなあ、と思うことが最近多い。 ●6/16 かつてKFSの養魚場がレインボーを大量生産していた頃は、その大半がスーパーで売られていた。昭和40年半ばまでは輸出がメインだったニジマス養殖だったが、円高とともに国内市場にシフトせざるを得なかった。タイミング良く、郊外に大型スーパーが勢力を増して来た時代で、それらスーパーも品揃えという意味もあって淡水魚のニジマスを積極的に取り入れてくれた。ニジマス業界はスーパー業界に救われたのだ。どういう理由か、その頃はサイズも融通が利き確実な利益もあった。 モノとは何でもそうなのだろうが、売れなくなると品質サイズの要求が細かくなり価格は安くなる。市場出荷にしても100gから200gくらいのニジマスを10箇所くらいの卸売市場に送れば単純に利益が出た。当時は当たり前だと思っていたが、今になって考えれば有り難い世の中だった。それが次第に120−140gのサイズしか売れなくなる。というかそれ以外のサイズは信じられない仕切値となった。 なんで130gかといえば、単純に「スーパーのトレイに乗せて見栄えが良いサイズ」なのだ。ニジマスで130gといえば、まだ稚魚である。淡白といえば聞こえは良いが、美味しくはない。アメリカでは250g位が売られている。KFSで釣れる小さ目のヤツだ。これくらいに育てば油が乗って美味い。スーパーがサンマ用のトレーをニジマスのために用意してくれれば、今のニジマスの立場は少しは違っていたかもしれない。 ●6/14 釣り池に放流されるトラウトは大きさがさまざまだ。KFSでいえば200g20cmから4−5kg70cmのデカホーライまでいる。サイズがばらばらであることは何の問題にもならないどころか、釣れてくるサカナがみんな300g30cmだったら、まったく気味が悪い。何を今さら下らないことを・・・と思うだろう。私の本業はアユとニジマスの養殖だ。我々にとって、このサイズには拘らない消費というのは夢みたいな話なのだ。 レインボーだって本来は・・・っていうか今もだが食品だ。スーパーではトレーに乗せられ2匹350円位で売っている。KFSの養魚場でも10年前までは、きっちり大きさを揃えて4kgづつスチロールの箱に並べて市場出荷していた。そのほとんどが首都圏のスーパーで売られていたのだが、あのトレーにピッタリ収まるサイズしか売れない。一日の仕事のうちの半分は、あのトレーに「丁度良く乗るサイズ」のレインボーをより分ける仕事に追われていた。 指定されてくるサイズは130gプラスマイナス5g、消費者にしてみれば、ほとんど、どうでもいいような数字なのだがスーパー側は拘る。もちろん野菜や肉類も同じような条件を出されるのだろうが、何てったってレインボーは池の中で生きている状態で大きさを選別しなければならない。これは名人芸でもあるのだが、やたら時間が掛かる。北風が吹きまくる真冬でも、炎天下の真夏でも容赦は無い。釣堀相手の魚作りは、そういう意味では楽だ。 ●6/2 北4号池で昨日孵化したカルガモだが、夕方には釣り池を親子で泳ぎ始め、今朝には隣の境川に引越ししてしまった。昨年も同じ場所で孵化したことは覚えているだろう。実はその時TV局に電話をしたところ、数日してカモがまったく見えなくなってから取材に来た。で、今年は孵化したのを確認して、すぐに電話しておいた。今朝、来られたが残念ながらカモ達は境川に引っ越した後だった。 それでも境川を泳ぐカモの親子の姿を捉えた映像が16時頃のローカルニュースで流れていた。これからも春になるとカモが北4号池の浮島に巣を作るだろう。どうしても判らないのが巣立ちした後、慌てて境川に引っ越してしまうことだ。例年、境川をぞろぞろと泳ぐカモの親子は確認されるが、日々、子カモの数は減っていく。最初は10羽ほどいた子カモが3羽までに減ってしまったこともあった。天敵はカラスやネコか? 北4号池にいれば安全だし、エサだって貰えるだろう。サカナだって、何だルアーじゃんって思って襲い掛かっては来ないだろう。 いやー・・人間なんて信用してないだろうという意見もあるだろうが、だったら駐車場から手が届く浮島の上で1ヶ月も卵を温めてたりはしないだろう。あれは、きっと人間が守ってくれるってことを知っていて、あそこに巣を作ったんじゃぁないのか・・・。 「ダイドーカップのカモ」も顔に勝負しよう・・・って描いて来るし、うーん、カモが考えてることは良く判んない。 ●5/31 で、ネパール製の怪しい酒(ジョニーウォッカとか・・)で一杯やりながら夜中まで話をした・・・っていうか、私のような若輩者(23歳)を相手にいろんな話をしてくれた。とにかく小野田少尉を発見したことで自分の人生が変わってしまったこと。あの事件?以来、自分が冒険家に仕立て上げられ、さらに何かをしなければ、という強迫観念に追われているとのことだった。 貧乏旅行を続けていると、我々が集まりそうな町では、一攫千金的な情報が真しやかに耳に入って来た。地元民しか知らない遺跡にある宝物、発掘されていない墓、雪男、果ては無傷のゼロ戦。その中に元日本兵というのもあった。鈴木青年も旅先で、そんな情報を聞いて小野田さんに接近したというから、いきなり真実味を帯びた話となってしまった。また、初めて小野田さんと会った時には、彼の鋭い眼光に射すくめられ身動き出来なかったそうだ。それが小野田さんには、自分を恐れない面白いヤツと映ったらしいと笑っていた。 帰国後は取材や講演で結構な収入があったが、1年もするとまったく要請がなくなった。だけど、今更、普通の生活には戻れないよ・・・って言ってた。 この時は、そんな安ホテルに泊まっていながら、ニコンのドデカい超望遠レンズを持っていた。何でも「雪男を探しに行くんだ・・・」と言ったらニコンがスポンサーに付いてくれたそうだ。でも、そうなると遊びではなくなる。この後も数回に渡りヒマラヤの奥深くに潜入したが1985年、ダウラギリ山群で遭難死した。38歳だった。 小野田少尉はブラジルで農園を経営しながら、日本では自然塾を通じて日本の子供達とも触れ合っている。 この二人、出会わなかったらどうなっていたのだろう・・・って考えると人生の不思議を感じる。 ●5/30 どうもガセネタっぽいフィリピンの元日本兵騒動だが、30年前にルバング島で小野田少尉が発見された時の事を思い出した方も多いだろう。「恥ずかしながら・・・」と敬礼された日本国民は、本当に恥ずかしかった・・・軟弱になったということで。 ところで、その小野田少尉と最初に接触した(発見者とされているが)鈴木紀夫氏を覚えているだろうか。当時は小野田少尉と共に鈴木青年とか冒険家鈴木氏としてマスコミを騒がせた。その後、軟弱な日本に嫌気がさして、ブラジルに移住してしまった小野田氏だが、彼は手記の中で、「自分がジャングルで密かに生活していると、棲家の近くにテントを張ってゴロゴロしている青年を発見。銃を構えて近づいても、まったく動揺していない。」で小野田さんの方から鈴木氏に興味を抱いて近づいて行ったという。で、二人でメシを食ったりしているうちに、次第に小野田少尉の心がうち解けて、帰国?に繋がった。 私は1978年3月にネパールに初めて行った。というか、前年にヨーロッパを出てバスや列車を乗り継いで、半年後にネパールに辿り着いた。当時のネパールはヒッピー(死語)天国で、世界中からイカれた若者が集まっていた。なぜネパールだったかと言えば暖かくて(山は寒い)物価が安く、人々は穏やか・・・それにマリファナ、オピウム、LSD、マッシュルーム・・・何でもありの麻薬天国だったのだ。当時は、アムステルダム、ゴア(インド)と共にヒッピーの3大聖地のひとつだった。 私は当時、カトマンズで最低から1ランク上?の安ホテルに15泊くらいしてダラけていた。共同トイレ、シャワーは時々水が出る、夜は時々電気が点く・・・みたいなところだ。その時、なぜか隣の部屋に鈴木青年がやってきた。 ●5/26 柿田郎の写真館というのは、釣りに関係なく私がその辺で撮った写真や旅行の写真を載せている。旅行が好きなので写真も好きになってしまったのだが、朝、早起きをして富士山を撮りに行くとか、三脚を担いで山を歩く・・・なんていうのは苦手で、あくまでもスナップっていうやつだ。最初は旅行や景色ばかりだったが、子供が出来ると、その写真に夢中になった。KFSを開設してからはお客さんやサカナの写真を撮ったが、いずれもフィルムカメラの時代だった。フィルム代、現像プリント代が掛かるので安全確実、ありきたりの写真しか撮らなかった。 3年前、デジカメを手にしたら、これが面白い。画質や機敏性?には呆れたが、昨年デジタル1眼レフを手にしてから写真に対する考え方が変わった。フィルムカメラだったら、こんな光景は撮らないだろう、という場面で5枚撮ってしまう。難しいことは考えない。フルオートでシャッターを切るだけだ。後で見ると、そんな中に面白い写真がある。写真と言えば難しい理論を語り、カメラのメカを自慢した時代は終わった。100年以上前に発明され、改良に改良を重ね進歩してきたカメラだが、ここでデジタル化され、フィルムと現像プリントという束縛から開放された。形や使い道が同じようなものだから、あまり感じないが、これってクルマのタイヤが要らなくなったくらいの変化(あえて進歩とは言わないが・・・)だ。フィルムカメラと同じ使い方、撮り方では、あまりにもったいない。 写真はマグレ、釣りは放流の時代がやってきた。 ●5/24 今日は養殖の業界誌「アクアネット」の取材があった。養殖業界には他に老舗?の「養殖」という専門誌の2冊しかない。しかも、どちらも普通の本屋さんの店頭には置いてないようだ。狭い業界だから、主な養殖業者(海の業者も含む)を毎月2ー3軒づつ取り上げていくと4−5年で再び順番が回って来るようだ。ただ、アクアネットの取材を受けるのは初めてだ。 私としてはKFSの養魚場は寂れる?ばっかりで目新しいことも無いので、みっともないから取材は断ろうと思ったが、養魚場から管釣りに転換した経緯に興味があっての取材である・・・ということで引き受けた。で、1996年に今の1,2号池だけでオープンしたことや、KFSを設立するまでの苦労(ほとんど無かったが・・・)を話していたら、妙にその当時のことが懐かしくなってしまった。 あの頃は日本の景気はバブル崩壊の後遺症から立ち直れない状態が続いていたが、今ほどの危機感は無かった。個人消費は冷え込んでいったが、なぜかマスもアユも作っただけは確実に売れて儲かった。海産稚アユもなんとか獲れていたのでアユの病気も大したことがなく、レインボーも新しい養殖方法を確立した頃で面白いように量産が出来た。養魚場としては絶好調だった。 今思うと、あの時点で養殖池を壊して釣り掘への転換を決意できたのが不思議でならない。高速で走っていてスピードを落としたら、たまたまそこに穴が開いていた・・・みたいな感じだ。私を追い越して穴に落っこちちゃった人をたくさん知っている。 ●5/21 で、どうするのかな?って思っていたら、そのGSのスタッフが、 「いつもは、どれっくらい入るんですか、このトラック・・?」 私「えー・・どれっくらいって、100リッターくらいかな?」 「じゃ、100リッターで伝票切ってきますねー」 ありゃ? そんな簡単な問題なのか・・・70リッターって言えば良かったかな。ちょっと気になってグローブボックスの中にあった過去の伝票を調べたら、1回の給油で110−130リッター入っている。正直者の私は、 「あ、ごめん、120リッター位みたいよ・・・」って、その伝票の束を見せながら言った。 「いいっすよー、はい100リッター」と言って伝票をよこした・・・いいのかよ?? 何年間も毎日同じような仕事をしていても、まさかという様な失敗をすることがある。KFSでフォークリフトでサカナを運んでいるところを見たことがあると思うが、あの水槽からサカナを放流するキャンバス地のホース状の部分は、ヒモで軽く水槽に縛ってあるだけだ。頑丈にしたり複雑な構造にすると扱いが面倒だ。で、過去に3−4回、走行中にヒモが解け、サカナを通路に放流?してしまったことがある。 その度にヒモはしっかり点検しているつもりなのだが。1日5台運んだとすれば年間1500回、20年間なら30000回以上同じことをやってると、まれにそういうことも起きるようだ。GSで燃料をこぼしてしまう確率よりは相当高いとは思う。それにしても、あの素早い対応・・・あんな事態もマニュアル化されてるのかな? ●5/20 今日は普通に生きていれば、一生経験しないような出来事に会った。明日も配達があるので大型活魚トラックに燃料を入れるべく、近所のガソリンスタンドに行った。スタッフが二人しか居ないのにクルマが4−5台来ていて忙しそうだった。何時ものように私のトラックに給油ホースを突っ込んだまま、彼らは他のクルマの世話に追われていた。 暫くして私はサイドミラーに写ったトラックのタイア付近に、水たまりが成長しつつあるのを発見。あ!ヤバい・・・水槽から水が漏れたか・・・あれ?水槽は空のはずだぞ。水たまりは、どんどん広がり隣のクルマの後ろを流れ道路に向う。なんとなく助手席側のミラーを見て驚いた。給油ホースが外れてるじゃん・・・!! 水だと思っていたのは軽油だったのだ。同時にスタッフの一人が気がついて大騒ぎに。ガソリンスタンドの給油ホースって下に落ちたら自動的に止まらないの? 軽油だから、まだしも、これがガソリンだったら相当ヤバい事態だろ。なんだか、ジャボジャボって感じでスタンドの周囲の側溝に軽油が流れ込んで行く。 直ぐに事態は終息に向ったのだが、一同冷静になってみるとメーターが示す60数リットルの内の何リットルがトラックに入ったのだろうか?が問題となった。もちろん、こぼした?分はスタンド持ちだろうし。さて、今回の場合、私への請求はどうなったでしょうか? ●5/19 で、選別の結果だが、大中小の群れに分けたところ、大が平均魚体重20gで30%、中が15gで50%、小が10gで20%(重量比で)となった。全体での平均魚体重は16gといったところか。例年だと、この時期こんな小さいアユはカスと言われてしまう。ただ50日間で約15倍に育ったということは養殖としては順調だったといえる。あと10日間で入池から2ヶ月となるが、その頃には充分に20gを超えているだろうから、2ヶ月間で20倍に育つことにになる。 もちろん、今後もこのペースで育つことは有り得ない。成長に従い魚体重に対して食べる配合飼料の比率が下がるし、飼料効率も悪くなる。20gくらいからは、一日に1gづつ育つと考えた方が現実的だ。1ヶ月飼えば30g増肉するから7月の上旬には50g以上に育ち、伊豆半島ではけっこう引き合いのあるサイズとなる。昨年もアユの解禁の頃に出荷できるアユが無くて困ったが、今年の状況は更に悪い。 今のところ12−14cmのコアユをメニューに使ってもらっている。大きいアユの注文には昨年作っておいた冷凍アユで対応している。どうやっても今年のアユは失敗だ。飼育密度が極端に低いので、病気もないし成長も早い。8月一杯で終わりにするのも可能かな。9月は休んで、どこかに行って来ようかな・・・なんて悪いコトも考えてしまう。 ●5/18 昨年は稚アユの池入れが遅れてしまい散々な目にあった。私のアユの養魚場は目と鼻の先にある駿河湾の海産稚アユをアテにしているので、これが獲れないとその年は、くたびれ儲けとなる。かつては、そんな時はビワ湖から稚アユを購入していたのだが、ご存知の通りビワ湖の稚アユは冷水病に汚染されてしまったのでKFSでは一切導入しない。人工的に孵化させたアユもあるが、これもアテにはならないし、成魚まで飼うにはそれなりのリスクを背負う。 で、今年も海産稚アユは3月末になって、やっと1g位のヤツが入池した。通常そんなに遅く購入しても、アユが一番売れる7,8月までには育たない。ただ、今年の場合、養殖池がカラッポに近かったので、とりあえず買った。飼育密度が極端に低いので成長が早く、まあなんとか夏休みまでには育つだろうと考えた。養殖魚はアユに限らず、飼育密度が低ければ、成長も早いし飼料効率も良い、病気も発生しないし、日々の管理だって簡単だ。もちろん育ったサカナは綺麗で美味い・・・ただし、儲からない。 1gで稚アユが入池して50日になる。明日は、それを大小選別する予定だ。さあ、何g位に育ったのでしょう。 ●5/13 今日はアユ解禁直前の狩野川沿いを走って、中伊豆までアユの配達に行って来た。静岡県の河川は基本的に5月20日以降は何時解禁してもいいらしい・・・と聞いたことがあるが定かではない。しかし通常は6月1日が各河川の解禁となる。その中で興津川は東日本のトップを切って、毎年5月20日が解禁だ。その後に続くのが狩野川で、5月の最終日曜日のことが多いが、今年のようにその前の日曜日や土曜日に解禁となることも珍しくない。どういう基準で決めているのかは知らないが、関係者が川の様子を観察していることは確かだ。 11日には試し釣りが行われて、20cm70gを筆頭に、たくさん釣れたということであった。考えてみればアユの解禁というのは一大事だ。なんてったってアユは1年魚だから、今、川にいるアユは人間が自分達を釣って食べよう、なんて思っていることを知っている個体は1匹もいないわけだ。しかも釣り掘のように来場者を見ながら随時放流ということはなく、今の時期ならもう既に今年の分のアユは全て川にいることになる。もちろん、固体差があるから一度に釣られてしまうことは有り得ないのだが。 狩野川には何百万匹という数のアユが、今コケを食べているのだが釣り人は誰も居ない。まさしく嵐の前の静けさ。3号池大量放流予告当日の朝7時半を上回るような?緊張感が水面から伝わってくる。 ●5/10 インドの街にはウシだけでなく、ロバ、ヤギ、イヌ、ブタ等、やたら沢山いる。田舎では豚洗便所というのがあった。納屋の2階の板の間に穴が開いていて、そこで用を足すと、ブタがぶひぶひと食べに来る。幼い子供は外で用足しをするとイヌが食いに来る。イヌが出したモノをイヌが食べるところを目にすることも珍しくない。栄養が残っているのだろうか。真近に見ちゃうと人生観が変わる。 そんなインドでは列車に乗るのは大変な行為だった。キップを買うのに並んでいても次々に割り込んでくる。鉄格子で囲まれたキップ売り場に人々が集まり、手に金を握って鉄格子の中に突っ込んで行き先を言う。押されてウデが千切れそうになる。もちろん駅のホームでも列車に乗ってからも戦いは続く。女性はかわいそうだ・・・っていうか一人じゃ乗れない。で、大都市の駅には女性専用の窓口があったり、女性専用車両がある列車、市内バスでも前3分の1が女性専用のものもあった。 もちろん、ずいぶん前の話で、今はどうなっているのか詳しくはない。 東京では女性専用車両が増えつつあるという。 東京のイヌは、きっと高級なペットフードを食べていると思う。 ●5/9 再びインドの話で申し訳ない。今日ニュースでインドのウシの話を聞いたもので。 インドではウシは神聖なものとされ町中を我が者顔でのそのそと歩いていて、皆、それを崇めていると思われている・・・かもしれない。私がインドを何回か旅した頃、20−30年前は、まさしくその通りだった。2001年と2003年にちょっとだけインドに行ってみた。その時も確かに町中にはウシはいたが、非常に少なくなっていて絶滅危惧種に指定されてもおかしくない状況だった。 私が初めて見たインドの都市は人口密度が非常に高く、何処もヒトヒト・・・だらけ。乞食や路上生活者が溢れているし、衛生状態も最悪だった。その中をウシ様がのろのろと歩く。人々はウシの額と自分の額に交互に手を合わせる。ごったがえす道路にウシ様がごろ寝している。混雑や渋滞に拍車がかかる。 今日のニュースでインド政府はウシを町から追い出すことを決めたという。本当だろうか。 1982年にインドを訪ねたときには、ニューデリーでスポーツのアジア大会が開催された後だった。、町中の乞食を移動?させたとかで、ニューデリーの町は妙にすっきりしていたが、ウシはいた。貧乏な人を追い出すよりもウシを追い出す方が反対も多いだろうし、選挙の票集めにも支障が出そうだ。私としては、とても気になるニュースであったし、話は明日、女性専用車両に繋がる。 ●5/6 買ってから3ヶ月ほど使っているデジカメ、オリンパスμminiだが小さい割には、なかなか写りも良くHPに載せる写真を撮るのに活躍している。で、先日、ズボンのポケットに入れたまま活魚トラックを運転して、芦ノ湖に放流に行った。放流場所に着いて漁協員に挨拶をしようと運転席のドアを開けたら、私より先にデジカメが飛び出した、しかもアスファルトに向って重力加速度を加えながら・・・。運転中、徐々にポケットから脱走して、シートとドアの間に身を隠していたのがヤツの失敗だ。 数人が見てる前で、ゴン! ヘ〜デジカメって弾まないんだ。1m以上落ちたから完全に壊れたかと思ったが、機能には支障がないようだった。思うにコンパクトデジカメって、どれもこれも何でこんなにツルツルなんだろう。デジカメを落としたのは今回が初めてではない、やたら手から滑り落ちる。フィルムカメラも何台か使ってきたが、落としたのは2回だけだぞ。 デザインを優先するのは市場の要求ということなのだろうが、手に持って使う道具なんだから、もうちょっと使えるデザイン材質にしてもらいたいものだ。管釣りの道具も最近はそんな方向になりつつあるかもしれない。何事も行き過ぎると「カッコいい」を通り越して「滑稽」になってしまう。 http://www.rbbtoday.com/column/mtakaya/20050124/ ●4/30 私は、そのバラナシに77年と84年の2回行っている、もちろん一人旅でだ。バラナシはインドの内陸部にあたり、暑熱期には暑いとされるインドの中でも特に暑い場所として知られている。よーし、その暑さというのを経験してやろう・・・23才だった私はネパールで時間調整?をして一番暑いとされる4月の末のバラナシへ向った。インドは先進国の物資の輸入制限をしていたから、外国製品が高く売れた。ネパール出国時にジョニーウォーカーを1本買って、インドで売れば飛行機代と安ホテル代が間に合う。もう時効だが、私は3回もタダでヒコーキに乗っている。 で、暑熱期のバラナシだ・・・これは日本での常識が通用しない暑さだった。とにかく風が熱い。この時は貧乏旅行だったのでエアコン付きのホテルには泊まれなかった。夜中でも38度を切ることはなく、壁やテーブルが体温より高くなっているので触ると暖かく感じる。朝、日が昇ると地獄のような1日が始まる。部屋も外もとにかく暑い。もちろん日なたは歩けないが、日陰にいても風は辛い。夜明けと共に聖なるガンジスで沐浴が始まる。たぶん聖なる行為なんだろうけど、暑さから逃れて水浴びをしているとも考えられる。なぜなら、2回目にバラナシを訪れたのは12月、北インドでは朝晩は長袖が必要なくらい涼しい。この時は朝ガンジスに行っても、だーれも沐浴をしていないのだ。せいぜいヒザまでガンジスに入って、顔を洗ったり口をすすいだりしていた。 それでも相変わらず岸辺では遺体を焼く煙が絶えない。薪が足りなくて生焼けのままガンジスに流される遺体もある。天命を全うしないで亡くなった子供は白い布に包んだだけで流されていく。ボートに乗った観光客が沖からその様子を眺める。その、すぐ下流では沐浴はもちろん洗濯をしたり野菜を洗ったりしている。聖なるガンジスは全てを飲み込み悠々と流れて行く。 このガンジスの水、お土産に持って帰りたくない?? そこで路上で売っているのがプラスチックの容器や、あらゆる空きビン、素焼きや銅の壷だ。銅の壷を買ってガンジスの水を汲んでくると、その場で銅のフタをしてハンダ付けしてくれるサービスもあった。 つまり写真2は、そんなお土産用の容器を売っている・・・が正解だ。 ●4/29 今日は写真館をたっぷり更新したので、旅の話でゴマかす。っていうか、柿田郎の写真館の方のクイズ写真の答えを兼ねて2−3回に分けて書く・・・連休で読む人も少ないだろうし。 あの写真はインドのバラナシで撮ったものだ。インド人はここバラナシで死を迎え、火葬されてガンジス河にその灰を流されると天国に行ける・・・と信じている・・・と言われている。もちろんインド人が全員ということではないが、病気で死期を悟るとバラナシで死を迎えようと、この町へ向う。旅をしてきてバラナシに着いたからといって、タイミング良く死ねるはずはない。だからバラナシには「死にそうな人」が集まってしまうことになる。ここで死のうと決めた人が働く訳はないので、とりあえずの生活費を物貰いをして過ごす。 だからバラナシには「ものもらい」が溢れている。ここで誤解してはならないのは、インドでは俗に言う「乞食」は恥ずかしいことではなく正しい生き方のひとつだし、富める者が貧しい者に施しをするのはヒンドゥーの重要な教えでもある・・・らしい。まあとにかく、そんな訳でこの町で数日を過ごすのには小銭が欠かせない。旅行者には関係ないとか、施しは不要という考え方もあるが、死期を悟り、この町まで来た彼らの粗末な食事のために小銭を与えることで我々の心も休まる。 そこで便利なのが路上の両替屋さんだ。例えば1000円を10円玉にすると98枚くれる、2%が手数料だ。もちろん銀行に行けば手数料は取られないが、日本以上に面倒なことだ。で、1枚目の写真は路上の両替屋さんだ。 ここまで来れば、2枚目の写真の答えも簡単だろう。 なぜ、バラナシが人気の聖地かというと、ヒマラヤを源流として何千kmも南に向って流れるガンジス河が、ここバラナシでは北に向って流れているからだという。 ●4/27 今日は山梨県の某養魚場までイワナを仕入れに行って来た。KFSではレインボーは卵を孵化させるところから一貫生産をしているが、他の魚種は稚魚を購入するところから始まる。KFSの様に他の養魚場や生産地から遠く離れている養魚場では、魚病を持ち込まない限り魚病が蔓延してしまうことは無い。それだけに、他所の養魚場に比べて魚病の持込に関しては慎重になっている。KFSという釣り掘を併設するにあたって、一番心配だったのも、釣り人による魚病の持込だった。 サケ類は、なぜかウィルス性の魚病が多く、一度入り込まれると数年に渡って大変な損害を被ることは珍しくない。で、対策としては一切他所からサカナを仕入れない、が一番なのだが、管釣りを併設したり他所の管釣りにサカナを買ってもらおうとすると、完全自家生産できるレインボーだけを飼っている訳にはいかない。で魚病を持っていない稚魚ということになるのだが、これが難しい。いずれの場合も、細菌やウィルスに感染しているかどうかは発病してみないと判らない。健康そうに見えても、既にそれらに感染していて、他所の養魚場に移送したストレスで一気に発病することも多い。 結局は信頼のおける養魚場から仕入れるのが安全性が高いのだが、もちろん完璧であることは考えられない。魚病の巣みたいなところで飼われているトラウトも、管釣りブームの結果、日本中に運ばれているのだから恐ろしい。 ●4/26 凄い事故が起きたものだ。現時点で70人以上の死亡が確認されている。子供の頃、三河島駅事故というのがあって100人以上の死者が出たのを大人達とTVで観た覚えがある。田舎に住んでいる私が、たまに東京に出ると、いたるところを電車が短い間隔で走っていて驚く。あんな長い物が数分おきにぐるぐると走っていて、しかもハンドルは無いし、ブレーキだって簡単には効かない。 机上ではいくら安全といっても、人間のやることだから事故は起きる。ハイテクでカバー出来ないことは、スペースシャトルだって証明している。最近JALの安全管理がいい加減だ・・・大きな事故に繋がるぞ・・・なんて囁かれているが、事故とはそういうものであって、多くの場合、後になってみれば小さな前兆があったということになる。 あのカーブを曲がる時にはヒヤッとする事があった・・・振動を感じた・・・とか。若い運転士が遅れを取り戻そうとスピードを出し過ぎていたとしても、そんなに簡単にひっくり返ってしまうとしたら、それを一人の人間に任せておいていること自体が恐ろしい。 ●4/22 数日前のNHK特集でインドのカシミール地方のスリナガルから、パキスタンの町まで数十年振りで定期バスが走ることになったと報道していた。ずっと国境は閉鎖されたままで人々の行き来は無かった。もともとインドとパキスタンはイギリスの植民地時代にはひとつの国?だったのが、独立の際イスラムのパキスタンとヒンドゥーのインドとに分かれた。この時には互いに異教徒ということだけで何十万人もの人々が殺しあった。スリナガルはインドでありながらイスラム教徒が多く、独立を求める過激な反政府運動やテロが多発している。 今は外務省の渡航情報でも「行っちゃいかん地域」に指定されてしまっているが、私が旅行した70年80年代は今よりは平和で、美しいカシミールをのんびりと旅できた。それでも、その当時からインド、パキスタンの数千kmに及ぶ国境のの中で、唯一開放されていたのがラホール、アムリサトルの間で、あらゆる物資、人間がここを通るものだから、悪い奴らもここに集中していて独特の雰囲気を醸し出していた。人波にもまれながら77年と82年に、ここを通過した。 パキスタンもインドも核実験を成功させた今、両国のこの地域での紛争は世界中に緊張をもたらす。人類がもう一度、核のスイッチを押してしまいそうなのは、カシミール紛争でではないか・・・と感じているのは私だけではないだろう。そのバスは現在、週1便しか走っていなが、両国の政府はとにかく走らせ続けることに意味があると考えているようだ。このバスはいつも反政府ゲリラに狙われる運命にある。未舗装のぼこぼこ道を走る、オンボロバスが人類の未来を乗せて走っているように見えた。 ●4/21 KFSがある清水町の隣の三島市の、この辺りでは一番高いビルが完成した。22階建てで大都市だったら、ちょっと恥ずかしいが何とかタワー・・・なんて名前を平気で名乗っている。 私が高校生だった頃、三島市を通る旧東海道沿い、三島市の商店街のど真ん中にヤオハン(懐かしい・・?)のビルが姿を現した。確か8階建てくらいで、上階のレストラン街・・・といってもラーメンやととんかつや屋くらいだが・・・からは三島市が一望の下だった。その「ヤオハンビル」を取り壊した跡に完成したのが「タワー」だ。下階にはテナントも入って今月の初めに華々しくオープンした。4階より上階は分譲マンションになっていて、完成する数ヶ月前には既に完売となっていた。なんてたって三島市は東京駅まで「ひかり」なら40分、「こだま」でも1時間以内という便利さだ。しかも、KFSに近い。 KFSからも、その威容の一部が見える。屋上のポールに赤く点滅する赤い明かりが都会っぽい。最上階付近しか見えないので、タワーからもKFSはほとんど見えないだろう。だから今回はタワーの最上階を買い占めるのはやめておいた。 ●4/20 私が住んでいる元韮山町(この4月から伊豆の国市)は国道136号線、つまり三島から伊豆半島中央を南下し、西伊豆に通じる国道沿いに栄えている。平行して走る伊豆箱根鉄道は、鉄道馬車の時代からのものなので歴史は古い。当たり前だが沿線には商店やレストラン、大型ショッピングセンター、コンビニがたくさん有り、工場の進出も盛んだ。ところが136号線が元韮山町に入った途端、沿線は寂れる。道路も狭くなる上に、きらびやかな店はまったく無くなる。大きな工場も見えなければ会社も無い。 これは元韮山町の何でも進出反対主義の結果らしいのだが、それはそれで私などは歓迎だ。毎日、KFSまで通っているので買い物は韮山でする必要は無いし、ただ住むだけなら静かな方がいい。この4月から周辺の2町と合併したのだが、それまでは一番人口の多い韮山町の住民は、クルマで隣の町まで買い物に行っていた。消費税の一部は隣町に払っていたし、隣町の雇用を促進していたわけだ。工場や会社、大型店なども反対される元韮山町を避けて進出し他の町に税金を払っている。 もう既に3町が合併して「伊豆の国市」が誕生した訳だが、その市長、市会議員を選ぶ選挙が24日にある。市会議員選にいたっては24の議席数に対して39人が立候補するという激戦ぶりだ。伊豆の国市となっって私が住んでいる元韮山町が、どんな風に変わっていくか楽しみではある。 ●4/15 今日は中伊豆までアユの配達に行ってきた。ここは河川水を利用した養魚場なので、冬の間は水温が下がってしまいアユを飼うことは出来ない。で、毎年、今ごろになると10−12cm位に育ったアユを仕入れている。8月まで月イチくらいのペースで買って頂いている。秋から冬にかけては、まったく行くことが無いので、今日は半年振りの訪問?となった。 ここはホタルがたくさん飛び交うことでも有名な場所だ。挨拶代わりに、今年はたくさん飛びそう?と聞いたら、昨年の連続台風で、すっかり川の様相が変わってしまう程の水が出て、ホタルの幼虫や卵は全部流されてしまったのではないか・・・と言っていた。それどころか強風と豪雨、山崩れで自分の命が危なかったそうだ。事実、昨年の台風では伊豆の養魚場の方が濁流に流されて亡くなっている。 そういえば、道路も何箇所かで復旧工事が続けたれていたし、崖が崩れた跡も見えた。何千年?前から、ここらでホタルが飛んでいたのかは知らないが、昨年のような自然災害は何回もあって、ホタルはその度に壊滅的な打撃を受けたはずだ。それでも数年で回復してきたと思われる。地球の歴史では一瞬の出来事でも、我々にとっては、ホタルが復活するであろう、その数年間が長い。ホタルにとって台風は脅威かもしれないが、我々人間が地道?に破壊していく自然環境のことを思えば、派手だが種を絶滅させるほどの威力は無い・・ということだろう。 ●4/14 普通、川っていうのは山に降った雨が山肌に蓄えられ、そこから染み出した1滴から始まるというイメージがある・・・だろう。○○河の源流を訪ねて・・・なんてTV番組もよくあった。ところが富士山からの湧水が豊富なKFS周辺に住んでいた昔?の子供はどうだろう。身近な川・・・柿田川や境川は、地面からいきなり水が湧き出しているところが源流だ。川は、まさしく目の前から始まっているのだ。 丸池もかつては湧水が豊富で、ここ!から1本の川が始まっていた。もちろん今でも夏には毎秒数トンの水が湧き出して、KFSに降りてくる時に左手に見える川を流れていく。学校で川のことを習わなかった時代?には、この辺りの人達は、川ってこういうものだと思っていたに違いない。今年は地下水位が高いので現在でも数箇所で湧水を目視できる。丸池は通常KFSよりも水位が1,5m位高い。ということは湧水は1,5mという水圧を押しのけて湧いてくるわけだ。で、この時期、丸池の水門を開けて水位を下げてしまうと、湧水はその1,5mの水圧から開放される。 当然、上にあったフタ?を外されたようなものだから丸池への湧水は勢いを増す。水門は開いているから、その湧水はどんどん境川へ排水され境川の水量は増える。なのに・・・だ、湧水は出易い?丸池の方にひっぱられてしまうためか、KFSの湧水は減ってしまう。丸池の水を抜くとKFSの水が減る・・・ということだ。ちょっと不思議? で、水が減って、特に1号池はサカナの密度が高く酸欠が心配なので、小さな水車を回しておいた。釣らないように注意して下さい。万が一、水車を釣ってしまったら、自分で外そうなんて思わずに諦めるか受付に申し出て下さい。 ●4/13 毎年、今頃が一番湧水が少なくなる。今週末にKFSに来られると、KFS前の丸池の水が凄く少なくなっていて驚くかもしれないが、それは例年この時期に丸池の水門を開けて境川に排水するからだ。おそらく田植えを控えての清掃作業の一環だろうが、本当のことは良く知らない。私が子供の頃は、丸池の水位が下がるとサカナがたくさん取り残されるので、それはもう子供達の絶好の遊び場となった。今とは違って池底が現れると、いたるところから湧水が噴出していて、そこにサカナが集まっていた。 さて、ここで問題だ。丸池に湧き出ている湧水をKFS横の境川に排水すると、当然、境川の水量が増えて水位は高くなる。この時KFSの湧水は、どのように変化するだろうか? 答えは集会所にどうぞ。日記に書いたことがあったような気もするけど。 で、今は一番湧水が少ないのだが、ゴールデンウィークを境に一気に増える。富士山の雪解けが始まるのもその理由だが、周辺の工場が連休に入るため取水を止めるかららしい。それでも今年は、この時期になっても地下水位が高く、1号池は今でも自噴している。ここ3日間も雨が降ったし、今月末には一気に水が増えるに違いない。KFSのトラウトはますます元気になるぞ! ●4/12 防空壕の跡の洞穴で中学生が死ぬ事故があった。KFSの北池から5号池にかけての後ろには境川が流れている。今でこそコンクリートブロックで護岸がされているが、本来はあの護岸の後ろ(箱根側)10m位までは河川敷になっていて、KFSから見えるビルの手前が3m位のガケになっていた。そのガケには15−20くらいの防空壕が掘られていて、私が子供の頃は良い遊び場になっていた。ほとんどの洞穴は奥行きが4−5mしかなかったが、10m以上あるものもあって、懐中電灯を持っていない当時の子供にとっては、冒険心を充分に満足させるものであった。 KFS周辺の地質は「マサ」と呼ばれる固い地層で、防空壕を作るのには適していたのだろう。もっとも沼津市は空襲を受けたが清水町や三島市は、ほとんど被害が無かったと聞く。その防空壕は30年ほど前、護岸工事と共に埋められてしまって跡形も無いが、7号池の後ろや丸池の北側には小規模ながらも、ここにも防空壕を掘ったんじゃないか、と思わせる跡がある。 その頃その防空壕からは、どんな景色が見えたのかが非常に興味深い。今となっては当時の養魚場の姿を知っている者はいない。KFSの養魚場は北池の奥が発祥の地??らしいから、戦時中には南側に池は無かったはずだ。いたるところに水が湧いてしまっていて利用価値が無く、セリくらいしか育たなかった・・・という土地。今のようにコンクリートで護岸されていなかった丸池はどうなっていたのだろう。防空壕があった付近からの富士山の眺めは素晴らしかったはずだから、誰か写真を撮ってあるはずだとは思うのだが。 ●4/6 で埼玉県某市をクルマで往復したのだが・・・遠い。行きも帰りも3時間近く掛かった。高速代が8000円以上、ガソリン代が3000円以上掛かる計算だ。物価が高い国であることを何となく納得させられてしまっている日本人だが、元々どこの国より高いガソリンなのに、それを更に上回る高速料金って何だ? 反乱が起きないのが不思議だ。 ところが、その高い高速代を払って来られる方がいる。平日でも必ず「所沢」「春日部」「千葉」「名古屋」・・・・何台か来られる。もちろん、もっと遠方の方もいる。彼らの期待を裏切ってはいけない、釣り池の管理を徹底しなくてはならないとマジで思った。近いから行くか・・・ではなく遠いけど行きたいと思える釣り掘でありたい。外国ナンバー(KFSでは、そう呼んでる)のクルマの数が「楽しい釣り掘」のバロメーターなんだろう。で、遠くからの来場者には何か特典を・・・とも考えたが、とりあえずダイドーカップ参加優先権くらいしか思いつかない。 私が東京で一人暮らしをしていた1975年頃、首都高速は200円だったと思う。300円だったかな・・・? 素ラーメンが150−180円、牛丼が200円、マックは130円。カシオから6桁の電卓「カシオミニ」が発売され、12800円の低価格?で大ヒット。ウォークマンはまだ無く、弁当箱みたいなカセットレコーダーが25000円。77年大卒の初任給が140000円くらいだった。その年にヨーロッパまでの片道キップを買ったが、飛行機は高くて乗れないので、横浜からフネ、ソ連内を列車と飛行機、モスクワからヨーロッパ各都市まで列車・・・15万円というのが主流だった。今なら往復5万円からあるぞ。 高速料金って安くする努力をしてるんだろうか? ●4/5 長女が大学に行くことになって、昨日は埼玉の某市のアパートへの引越しをした。長女は初めての子供だったので、私はまさしく目に入れても痛くない程かわいがった。だからという理由ではないのだが、高校生になっても親父をバカにすることもなく(当たり前か・・・)素直で優しい娘に育った。 だから周囲は娘が私の元を離れてしまうと、私が凄く寂しがるだろうと期待?していたようだし、私もそう思っていた。現地で足りないモノを一緒に買いに行ったり、部屋の片付けを終えて、娘だけを残して帰る時、なぜかひとつの義務(引越しということではなく)を果たしたような安堵感を覚えた。そうはいっても、何日かすれば寂しさを感じるのに決まっている。その時、娘の方が「何にも寂しくないよ・・・」って言ったら、ちょっと辛いかも。親も子供も、こうやって成長して行くのだ・・・ろう。 大学に行くなら「一人暮らし」が条件だった。 大学で得られる教養はもちろん大切なものだが、親元を離れての一人暮らしは、それ以上に貴重な体験を与えてくれるはずだ。親の有りがたみ、お金の大切さ、ひとりの寂しさ楽しさを知ることは、その後の人生を豊かなものにしてくれる。 我が家には、もんごるミハルとケータイ息子が残っってる。 ●4/1 今日から、ちょっと偉くなった気分だ。町民Aから市民Aに格上げ?されたのだ。 私は長らく「エクセレントタウン韮山町」の住民だったが、本日をもって「伊豆の国市」の市民となったのだ・・・・なんだか、ちょっと恥ずかしいのは[伊豆の国市」という名前にあるのかもしれない。 前にも書いたがKFSの横を流れる境川は「伊豆の国」と[駿河の国」を分けている。こういう[伊豆の国」は語呂も良いし、字もカッコいい。しかし「伊豆の国市」となると、どうにも私は馴染めない。ポルシェはいいけどポルシェロイヤルサルーンは変だろ。そんなことを言うのは今だけで、数年もすれば慣れてしまうだろう・・・とは思う。ただ「伊豆市」の隣が「伊豆の国市」というのはどうだろう。カーナビが混乱しないか? 伊豆半島には、他にも中伊豆町、西伊豆町、南伊豆町・・・あれ?合併したっけかな?・・・があり、これに2市が加わったら、ややこしいぞ。いっそのこと全部合わせて「伊豆半島市」にするか。伊豆ナンバーも出来るらしいし、道路案内の看板が見ものだ。そういえばJA伊豆の国、なんていうのもある。そんなに伊豆という響きがいいんだろうか? 失敗したなあ・・・伊豆の国フィッシュストーリー! |
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