| 私の養殖日記2004/10-12 | |||
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| ●12/29 2004年を感じ一文字で表すと「災」だそうだ。悲しい話だが、最後に来てスマトラの大津波が反論を抑える形となった。 最近では多くの方がビデオカメラを持っているので、津波が襲う瞬間の映像が繰り返しTVで放映されている。 すごく不謹慎な話ではあるが、あれらの映像を観ていると、自分のイメージの中にある大津波とは、まったく違う。最大級の津波というのは、逃げる群衆の後ろを山の様な水の壁が迫ってくる・・・というのを想像してしまう、そして町ごと飲み込む。もちろん、あの映像でも木々はなぎ倒され、クルマは流され、木造の家なんか一瞬で破壊されていた。すごい破壊力だ。しかし、防波堤があったらどうだったろうか? 日本はどこへ行っても、万里の長城のような防波堤が景観を台無しにしている。私の中での大津波の破壊力は上記のようなものだから、あんな防波堤じゃ、ひとたまりもなく津波は上を乗り越えて来てしまうだろう、税金のムダ使いだ・・・と思っていた。が、何だか、けっこう頼りになりそうな気がしてきた。沼津の海岸も防波堤に覆われ、情緒も何もあったものでは無いが、今度見ると愛おしさを感じるかもしれない。 なーんて思っていたら、今朝の朝日新聞に、そう考えるヒトがいることが一番危険だ・・・と書いてあった。 地震の発生から1−2時間後に来襲した津波で、あれだけの人命が失われたのは人災でもある。 予想されている「駿河湾を震源とする東海地震」では、その発生から5分以内に津波の第一波が押し寄せるという。 ●12/27 地球の構造や規模からして、地殻が地震として放出できるエネルギーはマグニチュード9,8以下だと聞いたことがある。もちろん、うろ覚えだし、それが正確な情報だったかも定かではない。しかし、今回のスマトラ沖のマグニチュード9,0の地震がいかに巨大だったかは、阪神大震災や関東大震災のそれが8以下だったことからも想像がつく・・・っていうか想像し得ない巨大地震であったのだろう。ご存知の通りマグニチュードは地震の規模を表す数値で、1増えるとエネルギーは32倍となる。 今回の地震もプレートの沈み込みで起きた海洋型の地震であったのだが、心配されている東海沖地震も同じ構造だ。 ちょうど1年前、南インドとスリランカを旅したが、あの辺りは、まだまだ生きることに必死というか、日々の暮らしに精一杯で防災や、ましてや津波への関心や知識はまったく無かったと思う。少なくとも私は旅行中、防波堤やテトラポッドの類を見たことはなかった。 海岸線は日本のように開発されていないから、砂浜から続く美しいヤシの林の間を道路が走り、その両側に商店や民家が並ぶ小さな村が点在するといった感じで、更に内陸までヤシの林が続く。そんなところを10mもの津波が襲ったら、内陸深くまで被害が及ぶ。建物も鉄筋は柱にしか使っていなくて、壁はレンガを積んであるだけのものが多い。今後、調査が続けば津波で倒壊してしまった建物もあるはずだ。 悪いことに貧困層はその海岸に近いところに、掘っ立て小屋を作って生活していること多いようだ。もちろん下水道は無くタレ流し・・・スリランカや南インドは常夏だ、今後の衛生状態が気になる。 ●12/24 クリスマスイブといえば、私には変わった思い出がある。 インドの中央部にカジュラホという小さな村がある。周辺には世界遺産になっているヒンドゥーの寺院群があり、男女抱擁像が有名な寺院もある。観光では有名であるが村自体はインドの片田舎といった感じであった。 お金はなかったが時間だけは、たっぷりとあった23才の私は、その村に2泊して周辺を散策した。どこでどういう風に知り合ったのかは、今となっては定かでないが、村の老人が「今日はクリスマスイブだから教会で集まりがある。どうだ、旅の者、おまえも来てみないか?」と誘われた・・・ような気がした。へぇー・・インドの田舎、しかもヒンドゥーの聖地でクリスマスか・・・。当然、私はその夜、約束の時間に教会に行った。 教会といっても屋根には十字架があるものの、中は15人も入れば満員だ。皆でチャイ(ミルクティー)を飲みながらビスケットをつまむ。ヒンディー語なので何を話しているのか、まったく判らないが厳かな時間が過ぎていく。村には白人も何人かいたのに、ここにいる外国人は仏教徒である私だけだ。なぜ自分がここに呼ばれたのかも判らない・・・こりゃワナだ! 「お布施を」とか言って金をふんだくられるの違いない! 私は、どうやってその場を立ち去ろうかと考えながらも、勧められるままにチャイを飲んでいた。 2時間が経って長老が〆の挨拶をして解散となった。えー・・金をふんだくらないのか? 皆、明かりの無い村の道に出て、闇に吸い込まれるように消えていく。私は、この神聖な夜に、少なくとも1時間半は彼らを疑って過ごしてしまった。しかも疑う余り、お布施を置くタイミングさえ失っていた。翌朝、バスが出発するまで村内を歩いてみたが、彼らはインドの景色に溶け込んでしまっていた。 お布施も置いて来なかったことは今でも後悔しているが、この体験は、日本の若者に貴重な体験をさせてやろうとした神様の粋な計らいだった、とも思う。つまり、あそこで神妙にお布施をを上げたとしたら、その思い出は3年で忘れてしまっただろう・・・ということだ。ちょっと後ろめたい気持ちが、もうすぐ30年にもなる昔の思い出を鮮明にさせる。 ●12/18 柿田郎のトリビアリビア訪問記 その9 リビアの話はそろそろ終わりにしなければならないのだが、今回の旅は余りにも伝えたいことが多い。一見そのように平和そうなリビアではあったが、日本への国際電話がほとんど通じなかったという事実、ガイドがみえすいたウソを平気で話す・・・など、怪しいこともたくさんあった。アメリカ帰りという流暢な英語を話すガイドの説明は、最初の内は驚きと共に納得させる力があったが、旅も終盤になると「そりゃ大袈裟だろ・・・本当かよ?」みたいなことが多かった。北朝鮮だって、バスに押し込まれて窓ガラス越しの景色を眺めながら、ガイドの都合のいい話ばかり聞かせられていたら「北朝鮮って以外といい国じゃん・・・」と思うに違いない。 サハラではランクルが砂丘を越えるときに、勢い余ってジャンプしてしまい、女性の参加者が頭でフロントガラスを割って病院に行く、というアクシデントがあった。団体旅行でありながら国内線がオーバーブッキングで3人が乗れない・・・という事態に陥った。この時は私とN夫妻が800kmを夜行バスで移動するという役割を申し出た。食事は不味い上に、信じられない程の単調さだ。遺跡に着いても、キップ売りが家に帰ってしまっていて何時間も入れない・・・とか。ホテルでお湯が出ない、電気が点かないのは当然のような出来事だし。 私としては、そんなことには驚かないが、その事態に対してツアー参加者が誰も文句を言わない、という事実には感心した。参加者が「旅はトラブル」を楽しんでいるのだ。また誰かがそれを言い始めたら不満は拡大する、それは決して旅を楽しい方向には持っていかないことを経験的に知っているのだろう。とっても勉強になった。私はひとり旅が好きだったが、ひとりでは行けるところが限られているし、体力的にも厳しくなってきた。今回のような感じの旅が出来るのなら、団体旅行で秘境?に行くのもいいな・・・と思ってしまった。 ●12/17 忘れた頃の・・・柿田郎のトリビアリビア訪問記 その8 リビアは治安が悪いか・・・これはよく判らない。アメリカが「リビアは悪い国だ、カダフィはとんでもないヤツ」と言い続けてきたので、リビアといえば悪いイメージがあった。 私は旅行中、団体行動なので添乗員のいうことを素直に聞き、とにかく他のヒト達に迷惑を掛けないように心掛けていた。サハラ4泊目はジュマルという小さな町のキャンプ場にテントを張って泊まることになった。トイレ、シャワー、レストランがあって、周りを防風林(防砂)で囲んであるから快適である・・・しかし、これはサハラ砂漠じゃないんじゃないか? で、添乗員に500m程離れた砂丘を指差し、「あそこにテントを張ってもいいか?」と聞いた。参加者の安全を第一の義務としている彼としては、さぞ困っただろう。 ところが、それを聞いていたトアレグ人のスタッフが「大丈夫、安全だ」と言ってくれたので、私はそこに泊まることにした。S夫妻も「なら私達も・・・」と、いっしょに砂丘へ向った。日本人が町の郊外に勝手にキャンプをしても大丈夫だ、と言い切れるのは凄いことだ。日本だったらキケンだぞ・・・ 都市を歩くリビア人も私から見ると、すごく無用心に感じる。私の経験では治安の悪い町は、そこの住民の緊張が伝わってくる。旅行者にも、皆が「カメラをしまえ、金は見せるな、夜は出歩くな・・・」とかく、ビーケアフルばかりだ。 そういうことからして、リビアではかっぱらい、すり、置き引きなどの犯罪は少ないと思われる。軽犯罪が少ないということは、凶悪な犯罪も少ないんじゃないか・・・と考えてしまうのは、あまりにも単純か。 私にとっては、ブータン並に安全に感じた。 それにしても、その砂丘での1泊は一生の思い出となった。 ●12/16 先月末に購入してKFSの孵化槽で17日間暮らしていたレインボーの孵化稚魚を今日の夕方、私の自宅がある韮山町の養殖池に運んだ。9月の初めに最後のアユを出荷してから、ずっと空になっていた養殖池に、3ヶ月ぶりで水とサカナが入ったわけだ。ずっとここを読んでいる方は知っているかもしれないが、「管釣りの働き者レインボー」は自然のままだと秋(10−12月)に卵を生み、それを人工授精すると4−5週間後(水温によって)には孵化する。孵化してしまうと運送が大変になるので、孵化直前の発眼卵が取引の対象となる。 発眼卵は卵膜が丈夫で、そのまま何万粒かビニール袋に小分けして発泡スチロールの箱に入れて、クール宅急便で日本中に配送することが出来る。日本列島は南北にも長い?からレインボーが産卵する時期も少しづつ変わるし、日照時間を調整した異節卵もあるので、ほぼ1年中、発眼卵を購入する事が出来る。ただ日本中に簡単に送れるということは、病気も簡単に拡散しやすいということで注意が必要だ。 孵化には低い水温の水(7−17℃位)が必要なので発眼卵はKFSの養魚場に入れられ、16−18日後、孵化稚魚のヨークサックがある程度吸収され、自力で泳げるようになったら水温が高い韮山町のアユの養殖池に運ばれる。そこで1ヶ月程、栄養価が高いエサが与えられ、グッピーくらいの大きさになってKFSの養殖池に戻る。この1ヶ月間がKFSのレインボーの強さの秘密で、レインボーにとっては高水温である21℃の水で稚魚期を過ごすことで、あらゆる病気に対して免疫力が強くなる。 ●12/15 今日は芦ノ湖で行われた「魚供養祭」に参加してきた。毎年、12月15日に芦ノ湖の蛭川養魚場で催される。これに参加してお神酒を飲むと、何だか急に年末の慌しさを感じるし、もう1年が過ぎてしまったか・・・早いなあ、と思う。この供養祭は、そんなに歴史があるものではなく、今年でまだ8回目だ。私としては芦ノ湖に魚を納めている業者としてはもちろんだが、毎日サカナが命を賭けて仕事をしてくれるお陰で食べさせて貰っている者としても、毎年参加している。 この供養祭が始まった平成6−7年頃は、その数年前にバブルが崩壊して日本経済は未曾有の危機にあったが、なぜかルアーフライの管理釣り場はブームのピークにあり、芦ノ湖も管釣りの次のステップとしての存在で賑わっていた。その頃、私はアユとレインボーの養殖に忙しく働いていた。関東の管釣りに運ぶ仲買さんが毎日のようにレインボーを買いに来ていたが、そのときは自分がKFSという釣り掘を始めるとは夢にも思っていなかった。なぜなら、アユもレインボーも作れば作っただけ、どんどん売れてしまい、わざわざ自分で釣り池を持たなくても充分に儲かったのだ。日本経済は実体のないバブルであったが、我々トラウト業界は消費者(釣り人)に指示され続ける安定産業になった・・・と、誰もが思った。 この供養祭に出席しているメンバーは当時とほぼ同じなので、どうしてもその頃「良き時代」の思い出話が出る。もちろん誰も、もう一度あんな時代が来るとは思ってはいないが、この最低の状態からは何とか脱したい、という結論に毎年達する。神主と参加者で芦ノ湖に数十匹のヒメマスを放流して、魚供養祭は終わった。 ●12/14 写真館の写真、トアレグの男が両手に持っているのは山羊の頭2個だ。ご想像の通り、その日のディナーのためなのだが、やはり日本人にとっては4つ足を目の前で殺す光景を正視するのは辛い。実際には、でかホーライと同じで、首にナイフを入れ充分に血抜きをしてから解体に取り掛かる。毛皮を剥ぎ内臓を取り除き、サカナを卸すような要領で進められる。 イスラムの国では山羊や羊を〆て、もてなすという。特に大切なお客さんには、歓迎の意味でその目玉を与える・・・と聞いたことがある。 山羊2匹→目玉4個→ツアー参加の男は4人!! こりゃ、回ってくるな。と覚悟を決めて夕食に臨んだが、残念ながら目玉は、誰かが先に食べてしまったらしく、ありきたりの肉料理しか出なかった。もちろん新鮮で美味かった。 山羊は山羊飼いの遊牧民から買うのだが、何百頭もいる山羊の中から2匹を選ぶ。どういう基準で、それを決めるのかは知らないが、私が泳いでいるレインボーを「美味そうなヤツ」と「食えない?ヤツ」を判断してネットですくうようなものかな。多分、「今日の客は日本人か、その辺の育ちぞこ無いを持ってけ・・・」ということだろう。ところで、あの2個の頭だが、結局どこへ行ってしまったのか判らない。昔イランを旅したとき、道端で大きな洗面器?に山羊の頭を6−7個入れて茹でていて、そのスープを売っていた。タダでいいからと勧められて飲んだら、けっこう美味かった。 おそらく「日本人は頭は気持ち悪がって食わないだろう・・・」ということで、ヤツらが美味く料理して食べてしまったに違いない。 ●12/11 3年前に70歳までKFSで働いてくれていた方が辞めた。今は近所に住んでいて時々、散歩に来たりしている。 彼は戦後、親父が今のKFSの養魚場に住み始めて、養殖の仕事を始めた時から・・・つまり私が生まれる何年も前から・・・とにかく仕事仕事の人生を送った。当時のことだから、とにかくメシが食えればありがたかった、という話を私は何回も聞かされた。エサにするためのトロ箱に入ったイワシやアジを自転車で買い付けに行ったり、池を造るためのセメントも自転車で運んだ。もちろん出荷のサカナも自転車・・・日本中が生きるために必死になっていた時代だ。 そんな中で、彼は親父にカメラを買ってくれ・・・とお願いしたという。ライカじゃないから家より高い、なんてことはなかったはずだが、それでも距離計連動の35mmカメラだったというから、今でいえば軽自動車くらいの価値はあったかもしれない。で、恐らくそのカメラで撮っただろうと思われる写真が何枚か残っているわけだ。当時、親父が裕福だったとは思えないし、もちろん二人が将来のために今の状況を写真に残しておこう・・・何て考えたとも思えない。なぜなら、それにしては有意義な写真が少ないからだ。 いずれにしても当時、日本中が食べることに精一杯だったのに、写真を撮りたいというヒトと、カメラを買い与えた人間がいたという事実によって、50年前の養魚場の姿を垣間見ることが出来る。 ●12/10 そういう理由で昔のアユ養殖や出荷作業の写真を捜したが、まったく無かった。ニジマス(この場合レインボーではない)の選別や給餌の写真はあった。 当時、薄い木の箱に並べられ、それを20枚位リンゴ箱に入れ、隙間に砕氷を詰めて出荷されたアユは、築地で金を計る秤で計量され取引されたと聞く。実際、タモ1杯(10kg位かな?)のアユをすくいながら、「これが、おまえら一人分の給料だ」なんて言われいたのを覚えている。今なら小型トラック1台売らないと人ひとり雇えない。 その頃は養殖池にしろ出荷作業にしろ、非常に効率が悪く、僅か100kgのアユを出荷するにも朝から大忙しだった。今のKFSの作業場は天井も高く作業もし易いが、当時の作業場は木造で天井が低く、照明にしたって今とは比べようもなく暗かった。 ここに、当時のアユの選別出荷作業の写真が無いことのヒントがある。従業員がカメラを扱ったにしろ、親父が撮ったしろ、その忙しさの中でカメラを出してのんびり写真を撮る、という行為は決して喜ばれるものでは無かっただろう。しかも作業場は暗かった。当時の暗いレンズや低感度のフィルムでは写らないし、ましてやストロボなんてものはプロの道具ではなかったのか。 その点、ニジマスは作業自体に余裕があったので、池に入っての選別、戸外で行われた出荷作業などを見ながら、親父が写真を撮る余裕があったと考えられる。何枚かの貴重な写真が残っている。面白いのは新しく養魚場を造っているところの写真や、改良工事をやっている写真が多いことだ。これは、やっぱり使用前使用後?を記録しておこうという本能みたいなものだろう。 そんな古い写真を整理したついでに、写真館に何時かアップしようと思う。 ●12/9 先日、ある方からアユの養殖の歴史についてまとめてみたい、そこでアユ養殖に関する古い写真が無いか? と、お願いされた。 KFSの養魚場は第2次世界対戦直後には既に養魚場としての形を成していた。戦前からもサイドビジネス的に祖父が金魚や鯉、ウナギを飼っていたらしい。アユの養殖、特に駿河湾の海産アユの養殖に関しては、一番早かったに違いない・・・と思わせる話がある。 沼津の海岸線にあるサカナの加工場に育った親父は、戦争から帰って来て、その養魚場らしきところでウナギを飼っていた・・・らしい。元々が海辺の町、しかも狩野川河口に近いところで育ったので、春になるとシラスアユが海岸の近くに来て、やがて狩野川に遡上して行くところを見ていた・・・らしい。で、そのウナギの養殖池に、そのアユを捕まえて来て育てれば儲かる!と考えた・・・らしい。今なら、海にいるアユをいきなり獲って何処かに運んだら犯罪だ。ところが当時も、やっぱり犯罪だったらしく、ブタ箱へ・・・。 そんな事実からして海産アユの養殖に関しては、開拓者だったに違いない。○○・・・らしい、という文章が多いのは、親父が55歳という若さで倒れてしまったので、ほとんど仕事の話しはしたことが無く、第3者から聞いたことが多いからだ。 私は小学生だった頃から、アユの出荷はよく手伝った・・・というか、生活の一部だったので手伝うという感覚は無かったのかもしれないが。アユを入れるための木箱を作ったり、その箱に経木を敷いてアユを並べたり。中学生になると養殖池で死にそうになっているアユをネットですくうのも仕事になった。だから私のリストラネットさばきは付け焼刃では無い、35年以上のキャリアがあるのだ。当時はエサもアジやイワシ、オキアミなどをミンチにして与えていたので、エサを作るという仕事もあったし、それが一番大変な仕事だったように思う。 そんな状況が写っている写真が1枚くらいあるだろう、と思って捜したが、まったく無い。 ●12/6 柿田郎のトリビアリビア訪問記 その7 さて、リビアで最大の問題である酒だ。もちろん、まったく無いなんてことは有り得ない。 ただ普通にしていたら酒を飲むどころか、見ることも、誰かが飲んでいるところを目撃することも無い・・・ようだ。トリポリでは理由あって真夜中の高級レストランで食事をした・・・これがまた面白い理由なのだが、そのうち書く・・・日本でいえば銀座に当たるだろう、首都トリポリの中心街にあり、高級なお店が軒を並べている一角にあった。 テーブルには高級そうなワイングラスが2つづつ置かれ、となりのテーブルの先客は、すでに赤と白の液体をグラスに満たしている。なーんだ、あるじゃん、さすが銀座だぜ。私達の席にもウエイターがやって来て、うやうやしく赤ワインを注ぐ・・・おいおい、せっかくだからテイスティングくらいやらせろよ・・・ご想像の通り、白ワインのはずが、ただの水。赤ワインに見えたのは、なんとも形容し難い味の赤い色水?であった。と、見慣れた緑と白の缶・・・おお、ハイネケンだ! これも期待通り、ハイネケンを真似たノンアルコール麦ジュースだ。食事中の飲み物はソフトドリンクのみとなり、その種類はすくなく、ペプシかミリンダ、運が良ければセブンアップくらいか。もっとも私はその手のヤツは飲まないので、いつもミネラルウォーターであった。日本で定着した冷たいウーロン茶は偉大だ。 ツアー参加者の中にも、酒の好きな方は多く、最初の2−3日は「食事中にアルコールが無いのは何か変だ・・・」と言っていたが、やがてそれが当たり前となった。私も酒が無いと、さぞ辛いんじゃないか、と覚悟していたが、無ければ何てことは無い事が判った。空気が乾燥して、日中は真夏のように暑いのにビールを飲みたいとは思わなかった。というか、叶わない要求はするだけ無駄だ・・・と体が悟ってしまったのかもしれない。 日本にいて酒が無くなったら、どうなってしまうんだろう、と考えることがあったが、さほど恐れることはない。自分は、まだアルコール依存症ではない・・・らしい、という自信が付いただけでも、今回のリビアは正解だった。 ●12/3 柿田郎のトリビアリビア訪問記 その6 サハラ砂漠には有史以前に描かれた岩絵が何箇所かで発見されている。それには森が無ければ住めないであろうライオンやウシ、シカやキリンが描かれていて、サハラ砂漠は1万年前には緑が豊かだったことの裏づけにもなっている。この手の岩絵はアルジェリアのタッシリナジェールが有名だが、アクセスの点でリビアのアカクスがお手頃だ。それでもランドクルーザーに乗って4泊5日のサハラツアーとなり走行距離は2000km近くになる。 もちろん私は岩絵よりも、サハラの自然、砂丘、星空に興味があっての参加だ。でも実際に、その岩絵を前にすると数千年の時を超えて、それが目の前にあるという不思議が快感だ。しかし、同じ頃、隣のエジプトでは、あの巨大なピラミッドが建設されていたんだろ。そこのところを、どう解釈すればいいのだろう? ピラミッドの中にはもっと高度な絵はもちろん、お宝だっていっぱいあった。日本は三内丸山の頃か・・・? まあ、とにかく、ありがたいモノらしい。 岩絵は岩山が風化作用でえぐられた庇状のところに描かれているが崩壊が進んでいて、残っているのは、ごく僅かだろう。崩壊は現在も続いているはずだが、特に保護しているとは思えない。それどころか柵もロープも張っていないので、手でべたべた触り放題だ。今後、更に観光客が増えれば状況は悪化する。事実、以前ここに会った線刻画が今日は無い・・・なんて呑気なことをガイドが言ってたこともあった。 もちろん、リビア政府も少しは関心があるようで、観光グループには必ずツーリストポリスを同行させることにはなっているようだ。 ●12/2 柿田郎のトリビアリビア訪問記、その5 私は余り熱心ではないのだが、最近は世界遺産というのが、観光で訪れる場所を判断する基準のひとつとなりつつある。現在、リビヤには5つの世界遺産がある・・・らしい。ローマ遺跡のサプラダ、レプティスマグナ。ギリシア遺跡のキュレーネ。南部アカクス山脈周辺に点在する先史時代の岩絵群。それに西部のガダミスの旧市街だ。私は子供の時から地図を見ているのが好きだったが、この「ガダミス」の町の名前を発見した時は「カッコいい名前・・・」 どんなところかは、まったく知らなかったが、ここが世界遺産に指定され、50才になって、そこに行くことが出来るなんて、ちょっと感動ものだ。今回はその5つの世界遺産、全てを訪ねるという、てんこ盛りツアーだ。 グループツアーとしては長い部類にはいる17日間。参加者は私が一番若く、平均年齢は60歳を軽く超えているだろう。しかも20人のうちの16人が女性だ。皆、歳を感じさせないパワーと好奇心だ。何だか日本の実態を見た感じだ。しかも海外旅行は何10回目という強者ばかりで、私は迷惑を掛けまいと、いつも小さくなっていた? 私も海外旅行はたくさんした方だが、彼女達の飛行機での過ごし方や、旅行に関する細かい知恵は、とても参考になった。 皆で揃って食事となれば「これ○○さんから、梅干・・・」「はい、△△さんからシソドレッシングが回ってきました・・・」バスの中でも、せんべいや飴が次々に回ってくる。残念ながら私は日本食やお菓子はまったく持って行かなかったので、食べる一方で少し気が引けた・・・ほんの、ちょっとだけだが。 リビヤではとにかく長時間クルマに乗ることが多かった。次の町への移動に、まる1日掛かる。600km、800kmは当たり前のように走る。ひとりだったら退屈だ。 ●11/28 柿田郎のトリビアリビア訪問記、その4 直径が4m肉厚が20cmなら内径は3,6mとなり、そのパイプの断面積は約10平方mとなる。そこを毎秒3mのスピードで水が流れるとしたら、毎分1800トン、日量では260万トンにもなる。これはKFSの近くにある日本一の湧水量を誇る柿田川の3倍近くの水量だ。確かにそうなれば数百万人の人口を新たに支えられることになるだろう。数字が大陸的だ。 私は一昨年、干上りつつあるアラル海を見に行ってきた。アムダリア、シルダリア、二つの大河が流入するアラル海は30年前までは世界で4番目の大きさを誇る湖で、漁や海水浴が盛んな美しいところだった。しかし周辺の開発や灌漑のために無計画な取水が続き、今では湖水の面積は半分以下にまで減少し、それによって周辺の乾燥化が進み、地下にあった塩分が地表に露出して、灌漑されるはずだった大地は塩害のために次々に放棄されている。港町ムイナクは海岸線が数10kmも後退してしまって、今では町のあちこちに当時の漁船が残る死の町になりつつある。町の博物館には海水浴で賑わった当時の写真が飾られているが、浮き輪やゴムボートで遊ぶ子供達やビーチの様子は日本と同じで楽しそうだ。今その場所は一面に貝殻が散っている砂漠だ。 カダフィ政権がこのまま続けば、石油の力を借りて「大河川計画」は遂行され、いつか完成するだろう。しかし何年後かには別の場所で悲劇が起こるに違いない。 何だか、某国の○○淡水化計画や○○川堰の拡大版を想像してしまう。 ●11/27 柿田郎のトリビアリビア訪問記、その3 リビヤは日本の4倍もの面積があるが、その90%は砂漠だ。人口は500万人、人口密度は1平方km当たり僅か3人となる。バスで走った限りでは、それほど農業や牧畜が盛んとは思えないが、優秀なガイドの話では食料の自給率は100%だという。確かに1平方km3人なら家庭菜園的農法や遊牧だけでも間に合ってしまいそうだが、それがにわかに信じられない理由は90%を占める余りにも過酷な環境の砂漠だ。 そこで我らがカダフィ大佐は考えた。 実はサハラの地下深くに大量の水が存在することは、けっこう昔から知られている。その一部はナイルの水源ともなっている。サハラは内陸に向って徐々に標高が高くなっている。だからサハラの地中深くにパイプを埋め、それを地中海に向って延ばして行けばサハラの大量の地下水は、自然の落差で首都であるトリポリまで流れてくるし、途中で汲み上げて灌漑すれば、乾燥している砂漠でも農業が出来る・・・はずだ。 これが「サハラ大河川計画」だ。具体的には直径4mのパイプをリビアの中央あたりから地中海まで、地下10mのところに埋める。現在、その一部は完成し、すでに地中海沿岸の都市では、その水資源の恩恵に授かっている・・・ということだ。途中、何回もその工事現場に出会ったが、何だか今イチ真剣さが見られなかった。直径4mのパイプを1000kmも埋める、というのがどの程度の工事なのか見当がつかないが4mのパイプといえば普通のトレーラーでは積めない、一般道路は走れない程の大きさだ。 うーん、カダフィさん、出来るのかな? っていうか、やる価値があるのかな? ●11/26 柿田郎のトリビアリビア訪問紀 その2 リビヤでは18歳になると誰でも3DKのアパートを貰えることになっている、基本的な光熱費や水道代も無料だ。もちろん一軒家を望めば土地を買って家を建てるのも自由だ。医療、教育費は無料、税金は無し。給料は欧米と比べ様も無いほど低いが、消費税の反対の仕組み?、つまりあらゆる商品に対して国が補助金を出しているので野菜、TV、クルマまで定価より安く抑えられている。試しに商店で主食のひとつのクスクス(小麦製品)の値段を調べたら、1kgで100円以下だった。クルマもベンツやプジョーがずいぶん安く買えるらしい。 大学である程度の成績を納めると、海外留学も国費で可能。25年間働くと、その後は、それまでの給料の3倍のレベルの年金が死ぬまで支払われる、という夢のような老後が待っている。だから生活に困っているヒトはリビヤにはいない。だから犯罪は少なく治安は日本より良いくらいだ。居心地が良いから他国へ出稼ぎに出るヒトもいない。 妻の体が弱かったりすれば2人目の妻をめとることも認められているが、結婚したら、いかなる理由があれども離婚の際は男がトランクひとつで家を出なければならない。もちろん養育費は払い続ける上に、妻は国から多大なる援助を受けられる。 以上は今回のリビヤのガイドの話だ。もちろん、私は本当だとは思わない。彼はアメリカに留学していたことがあるエリートだ。シボレーとキャデラックとベンツを持っていると自慢していた。いつか日本に来る事があったら、私のフェラーリで凹ましてやろう。 今回はパッケージツアーだったのでガラス越しのリビヤしか見ていない。ひとり旅だったら、まったく違うリビヤが見えたはずだ。 ただ、私達が西側の情報から、なんとなく抱いていたリビヤのイメージとは、ずいぶん違うことは確かだ。治安は信じられないくらい良いし、道路を渡ろうとすると笑顔でクルマを止めてくれることも珍しくない。 もちろん彼らは、我々よりも神を敬っている。 ●11/25 柿田郎のトリビアリビア訪問記 その1 私を乗せたランドクルーザー2号車は18時頃、赤く膨れ上がった太陽が砂丘に隠れる瞬間に、ムーズック砂漠のキャンプ予定地に着いた。荷物を降ろす前に近くの砂丘にカメラを持って登る。際どいタイミングで正面の大きな砂丘がオレンジに染まった。青い空とのコントラストは、これでもかというくらいに強烈なのに砂丘の稜線は、あくまでも滑らかだ。既にサハラの灼熱の太陽から逃れた足元からキャンプ地までの傾斜はモノトーンの世界で、オレンジに燃える砂丘を際立たせている。 数分後に、遅れていたランドクルーザーも次々に到着して、慌しくキャンプの設営が始まった。私は皆と離れた小高いところに一人用のテントを張って、サハラの静寂と星空を楽しむことにした。我々をサポートしてくれているトアレグ族の男達が火を囲んで夜遅くまで歌ったり談笑をしている・・・最高のBGMだ。 サハラでの4泊5日は私にとっては、とっても鮮烈で楽しい経験だったし、リビヤに関しては今までの、どの国よりも話たいコトがいっぱいある。 カダフィ大佐は悪いヤツなのか? 独裁なのか、リビヤ国民は虐げられているのか? 酒は本当に飲めないのか? 不思議の国リビヤ・・・釣り掘日記と平行して書いていきます。 ●11/4 今日は子持ちアユの冷凍作業をした。子持ちアユは、そうでないものの5−7割増しくらいで売れる。しかし、メスが子持ちになるまで飼っておくと、オスは成熟して真っ黒になり痩せてしまい商品価値は、まったく無くなる。 だから、アユが若いうちにオスメスの選別をして、オスは電照して成熟を遅らせる。ところが若いアユのオスメスの判断は難しく、私はともかく慣れないスタッフにやらせると70%くらいの精度でしかなく、ほとんど意味が無いようなこともある。で、少し成熟し始めた頃になれば、体系や触った感じでも判別できる(本当は尻ビレで判断)ので、秋口になってから選別をすることが多い。しかし、これだと選別のストレスで、オスは一気に成熟が進んで黒っぽくなってしまう。 更にメスだけを集めて養殖を続けても、特に海産アユの場合は特にそうなのだが、一斉に卵が成熟することは無く、若いまま?成長を続ける固体も多い。となると更に冷凍する「子持ちアユ」と、「まだ子持ちになっていないアユ」を選別しなくてはならない。まったく手間が掛かる。 5割増しは、まさしく手間賃だ。 冷凍ものですが子持ちアユも小売しています。1kg10−20匹が箱に入って2500円です。入用の方は16時頃までに受付に申し出て下さい。 ●11/1 私は酒が好きだ。と言ってもたくさん飲む訳ではない。日本酒なら1,5合、ビールなら大瓶1本と少し、ワインは2日で1本が丁度良い。ただ、年間364日は飲んでしまうのが問題かな・・・とは思っている。付き合い酒はしないし、外へ飲み行くのも好きではない。ましてや「オレの酒が飲めねーか」と言われると、「飲めねーや、バカ」と言ってしまうので、接待はするのもされるのも嫌いだ。 18時から晩酌をやりながら夕飯を食べて、ほろ酔いでTVを観たりゲームをやったり、子供と遊んだりするのが常であったが、最近はそこにPCが割り込んできた。まあ最近は子供も遊んでくれないし、TVもゲームで占領されているので丁度良いのだが・・・・HPだってシラふじゃ更新できないし。 イスラムの国は基本的には禁酒だ。それは充分に判っているのだが、多くの場合、旅行者はそれなりのホテルやレストランでなら飲む事が出来る。ところが今回行くリビアはマジでダメらしいのだ。まあ、何時もの1人旅なら隠して持っていくのだが、同行者の迷惑になっても恥ずかしいので、とりあえず?は大人しく従う。15日には帰国するので、すぐに病院に行って血液検査をして貰うつもりだ。いつもγGTPが高い、と医者が脅かすので今回はビックリさせてやろう。 昔、パキスタンのカラチ空港で酒を取り上げられたことがある。同じくカシミールのフンザでは、私がワインを飲みたいと言ったら、夜中に近所の子供が怪しげな酒を届けてくれた。リビアと同じ社会主義のシリアの田舎町のレストランで、「飲み物は・・・?」って聞かれたので反射的に「ビール!」ってデカい声で言ったら、辺りが静まり返ってしまった・・・な、なんだ、皆なビールって知ってるじゃんと思った。 しばらくしてウェイターが、布に包んでラベルも貼ってないビンに入った液体を持ってきた・・・アルコール度数は低かったが、値段は高かった。 ●10/29 ということで?今回の行き先は地中海沿岸の国「リビア」だ。 団体旅行で行くなら、ひとりじゃ行き難い国ということでリビアを選んだ。遠い昔、23才のときにモロッコ、アルジェリを経てチュニジアからリビア、エジプトを目指していたら、リビアだけは、どうにも特別な国らしく素人では入国出来ないことが判り、チュニジアから船でシチリア島に渡ったことがある。そのときの旅は、とっても面白かった。若かったということもあったが、素朴な人々の優しさのお陰で、本当の旅に楽しさを知った。だから私は今でもイスラムの国を旅するのが好きだ。当時の写真があったので2日間限定で柿田郎の写真館にアップしておく。 さて、リビアだが私のような旅オタクは、実はリビアがローマ遺跡の宝庫だったり、サハラ砂漠が草原や森林だったころに住んでいた古代人の岩絵が残っていることを知っているが、普通はやっぱり、あのカダフィ大佐のイメージが強いだろう。しかし、そのカダフィも先日ブッシュに「ごめんなさい、もう悪いことはしません」と誤ってしまったのは、不謹慎ではあるがちょっと残念な気もする。レーガンが奇襲爆撃でカダフィを狙い、娘や側近など100人以上を殺した。カダフィ大佐が下手に出なければ、確かにブッシュの次の標的は彼だったかもしれない。 もちろん現在でもカダフィ大佐の独裁は続いているが、本当は「カダフィばんざい!」状態のリビアを見たかった。やがてはカダフィの力も弱まり、リビアも変わっていくだろう。私としては社会主義国であるリビアを見ておきたい。意外なことに治安はすこぶる良い・・・とのことだ。 ただ、私にとって、ひとつの深刻な問題がある。今回のツアーに参加するのを一番躊躇した原因がこれだ。さて、それは何でしょう?? 答えは集会所へ。 ●10/28 日本中が祈りながら見守る中、ひとりの男の子だけが助かった。 TVに映し出された、あの崖崩れの現場を見たら、まさか生存者がいるとは思えなかった。お母さんは即死だっただろう・・という。あの男の子はお母さんの遺体と一緒に4日間を過ごしたのだ。なんて惨い話だろうか、まだ2歳だった男の子に、その記憶が残らなければいいな、と思う反面、母親の思い出が無いまま過ごす一生を思うと辛い。 母子がたまたま、この道路を走っていた瞬間に、百数十年に一度の地震が襲い、さらに運悪く山が崩れた下を通りかかったのだ。時間や場所が、ちょっとでもずれていたなら幸せな日々が続いていたに違いない。当日、その道が崩れるポイントに向って走っていた・・・神様は何を基準にヒトの死を決めるのだろうか。 同じ頃、無謀にもイラクに向った若者がいた。 そんなに命が不要なら、この男の子のお母さんに上げて欲しい。 ●10/26 最近の便利な言葉に「リフレッシュ休暇」というのがある。どさくさに紛れて長期休暇を取りやすいシステムで歓迎だ。私としては独身時代から秋の数週間は休むことになっている。新年早々、アユの稚魚が入ると、その年の10月末までは、まったく休めないという特殊業務?の反動なわけだ。しかし、HPを開設してからというもの、ちょっと留守をするにしても、ここに報告しなければならなくなってしまった。こういうことはマネージャーが適当に、ごまかして欲しいものだ。 今年は8月に息子と富士山に登り、その後、次女とモンゴルで4日間、馬に乗りまくったのが効いてしまって、それから膝と腰の痛みが取れない・・・まあ老化現象ってヤツなんだろうけど。しかし、ここで休まないと、また来年の今頃まで休めなくなってしまう。休んでも家にいれば何かと仕事が出来てしまうし、嫌いなダイドーカップにも付き合わなければならない。で、今年は足腰にあまり負担が掛からないような旅行を選んだ。なーんと行き先は地中海沿岸、暖かいところ、しかも団体旅行だ。 11月9日出発、約2週間。さて私が選んだ国はどこでしょうか? ばかばかしいけど、判った、っていう方は集会所へ・・・・一部情報が漏れています。知っている方はご遠慮下さい。 当たった方には何かお土産を買って来ます。 ●10/25 とにかく一番不足しているのが水だという。ヒトが生きていくには一番重要でありながら、何時もは当たり前の様にある水だが、いざ災害となると真っ先に困ってしまうのも水だろう。水は腐り易いので一般家庭では、いつ来るか判らない災害に備えて備蓄しておくのは難しい・・・っていうか水くらいは何とかなるだろうと思ってしまう。しかし清流や井戸が近くにあっても、それを汲み上げるためのポンプや電気燃料が無かったら、スムースな分配は困難だ。 今回の地震の救援活動を見ていると(もちろんTVでだが・・)何で食料や水がどんどん届かないのか不思議になってしまう・・・そう思った方も多いはずだ。イラクまで水の浄化に向った自衛隊の力を考えれば、もうちょっと何とかなりそうなものだ、それともJUNはマキコが嫌いなのか?? 巨大地震に一番近い?静岡県民としては地震でライフラインが寸断されてしまっても、1−2日の内には食べ物や寝るところくらいは何とかしてくれるだろう・・・高い税金を払ってるし。と、思っていたが、どうも今回の様子を観ていると、この何十倍もの被害が予想される東海沖地震の時には、各自が生き延びるための準備をしておかなければ、飢え死にしかねないと思った。 明日にも備蓄品のチェックをしなければ・・・ ●10/24 四角いアパートが将棋倒しになり、うねった道路からマンホールが飛び出し、石油タンクが炎を上げて燃え盛る映像が日本中を驚かせた「新潟地震」が発生してから、今年で40周年とのことだ。私は小学生だったが、地震の恐ろしさをリアルタイムで見たのは、その時が初めてだった。 今回の地震は震度こそ「6強」だが、それが数回に渡って連続で襲ったというのだから、その恐怖は想像以上だったろう。夕飯の支度をしている時間帯であったのに火災が少なかったのは幸いだった。いつ来てもおかしくない東海地震が騒がれるようになって20年以上が過ぎようとしているが、TVで悲惨な映像を観る度に、自分達のところも今に映される側になるんだろうな・・・豊中市の洪水の被害映像が、いきなり地震被害映像になってしまったのを観て思った。 それにしても今年の日本は、これも新潟の集中豪雨に始まり、記録破りの暑い夏、10個の台風上陸・・・異常なのは空だけかと思ったら浅間山の噴火、今回の地震。バブル崩壊のツケから、やや脱し始めたとされる日本経済に水をさしている。毎年、今年は異常な年だったと簡単に言うが、今年こそは絶対に異常な年だ・・・?? ●10/20 10日前の22号で今年は打ち止めだと思っていたら、23号がまったく同じ様なコースを辿ってKFSに迫っている。 これで今年は10個目の上陸となる・・・もちろん新記録だろう。しかも今年は6月の初めから台風騒ぎをしているので、5ヶ月間近くも台風に怯えている日本列島だ。 台風22号では、伊豆半島は狩野川台風以来の被害を受けたと思われる。JR三島駅から私が住む韮山を通って修善寺に至る伊豆箱根鉄道は、一部区間で数日間に渡って不通となった。修善寺の有名旅館では文化遺産にもなっている建物に濁流が押し寄せ、ボランティアも出ての復旧作業が続く。私の取引先の養魚場でも大きな被害が出たところがある。沼津の海の養殖業者は河川から濁流で30万匹以上のサカナを失った。それらの傷が癒えないままに、台風23号は確実に被災地を再び襲いそうだ。 少しでも被害が少ないことを願う。 ●10/17 さて、そのアユだが流石に季節的にもう売れない。売れ残ったアユは1匹づつビニール袋(おしぼりが入ってるような)に入れて、それを1kgづつ箱に並べて冷凍する。これは大変手間が掛かる作業だし儲からない。つまりシーズン中に、思いのほか売れなかったり、育ちが悪くて売れ残ったりすると、この「儲からないのに手間の掛かる仕事」が増えることになる。しかも、この冷凍されたアユは翌年の春にならないと売れないので資金的にも苦しくなる。 悪いことは重なるもので最近では中国でアユの養殖が始まり、それが同じ形態で冷凍製品となって輸入されてくる・・・これは相当マズい。何時かはやってくる事態だとは覚悟していたが、ここまで日本のアユ養殖が弱体化したところへやって来られると、ウナギ業界の二の舞になり兼ねない。 まあ、それはともかく、私のところでも子持ちアユにするために、メスだけを選別して飼っている一池だけを除いて全て冷凍し終わった。これで来年の1月末にアユの稚魚が入池するまでアユ養殖の仕事は、まったく無くなる・・・だから私は秋が好きだ。 そうそう、甘露煮や干物を作るのにアユの冷凍モノが入用な方は、ご相談下さい。 大きさ、購入量、子持ち等の関係で1500円ー2500円/kgです。 ●10/16 また、今年のアユは不思議だった。 通常アユは水温が高い程・・・といっても23−24℃位までだろうが・・・エサをたくさん食べて成長が早い。特に私が扱うことが多い海産稚アユの場合は、その差が著しい。で、私のところでは、アユに関しては水温が21℃以上ある韮山分場で主に養殖している。 私の自宅がある韮山分場は水温が21℃もあるというものの、それは地下水を大きな水中ポンプで汲み上げているからであって、やたら電気代がかかる。それでも先に書いたように高水温のメリットを活かして、効率良く育てれば充分に採算は取れていた。それが今年は、まったく育ちが悪かった。 こりゃ高い電気代を払って飼う価値が無い、どうせダメなら電気代が、あまり掛からないKFSの養魚場で飼ったほうがいい・・・今年はマスも少ないし。そう考えて6月中旬からKFSへアユを運んだ。するとどうだろう、例年なら冷たくて育ちが悪いはずなのに韮山分場にいた時よりも、がんがんエサを食べて、ぐんぐん大きくなるではないか。しかも、病気はまったく発生しない。 ここを読んでいる多くの方にとっては、何にも不思議では無いかもしれないが、27−28年間、アユの養殖に携わっている私にとっては初めて経験することである。放流しない方が釣れるじゃん・・・的な出来事だった。 この傾向が来年も続くとしたら、アユ養殖を根本的に見直さなければならない。 ●10/15 6月頃の日記にも書いたが、今年のアユ養殖は悲惨だった。海産稚アユは獲れないし、人工孵化アユの導入は遅れてしまった。しかもエサをあまり食べずに育ちが異常に悪い・・・おまけに売れない。 史上最悪の状況に陥った。アユの旬? 量的には一番売れる8月になっても販売可能なサイズに育ったのは、全体の30%くらい。このまま販売時期を逃がして、冷凍されてしまうのか。それよりも大きく育たないまま成熟して死んでしまうかも。今年のアユの市場相場は史上最低なんていう声も聞こえてきた。こりゃ大赤字だぞ、寝てりゃ良かったかな? と思える程だった。 ところがアユの季節も終わりに近づいた8月中頃から急に「アユない・・? 健康なヤツ」という電話が立て続けにあった。多くの地域で冷水病の発生が激しく、アユ釣りも後半に入ったもののオトリアユに使える元気なアユが居なくなってしまったとのことだった。私のところでは育ちは悪かったが、なぜか冷水病はもちろん、他の病気も一切発生せずに、こんなことも初めてだねー・・・的な状況だった。 で、諦めていた頃になってアユが良く売れた。9月になってもそれは続き、しかも真夏よりも相場が上がった。もちろん、そんなことがあってもトータルでは、ひどい結果となったが神様は最後に、ちょっとだけ微笑んでくれたようだ。 ●10/14 かくして、いきなり日帰り温泉にハマってしまった。人生は何処に落とし穴があるか判らない・・から楽しいこともある。 自宅の東側には箱根連山があるのだが、その登り口に古い温泉がある。そこに日帰り温泉があることは何十年も前から知っていたのだが、入ったのは今日が初めてだ。ここも自宅からクルマで10分と掛からない・・・渋滞しないし。 今日もKFSを早々と切り上げた。現場に着いて、とりあえず「カラスの行水券」なる40分間300円也の入浴券を買う。KFSでいうところの2時間1900円券みたいなものか。割高だが延長も出来るし、せっかちな私には丁度いい時間だ。ところで、この「カラスの行水券」のネーミングは気に入った。KFSでも1時間券を作って、ユニークな名前を付けたいと思った程だ。ちなみに子供は200円で「スズメの行水券」となるようだ。 古い設備で昔ながらの小さなタイルを貼り詰めた浴槽で、なんだか銭湯といった感じ。周辺に民家は無く、山の中に入っての湯治という感じがするのは嬉しい。一応、露天風呂、打たせ湯もあるが、新しい温泉会館?とくらべると、いかにも地味というのは免れない。その分、効きそうな感じはするが・・・。 大型の温泉会館よりも決定的に素晴らしいのは、お湯がカルキ臭くないことだ。湯船の容積に比べて、源泉の量が多いので循環ろ過することなくオーバーフローした分を排水してしまっているのかもしれない。釣り池面積に対して注水量が圧倒的に多いKFSと似ている? 風呂上りのビールよりは、コーヒー牛乳が合いそうな雰囲気だった。 ●10/13 さて、その温泉だが、3時間で700円。安いのか高いのか判らないが私としては、へえ、それで元が取れるの?って感じはする。 露天風呂、ジャグジー、サウナ、うたせ湯、水風呂、水中歩行用のプールと一通り揃っているし、畳の休憩室で簡単な飲食も出来るし、有料のマッサージもある。まあ、最近の日帰り温泉施設の設備は整っているということだ。 設備は巨大で新しいからぴかぴかだ。これで700円というのは町営だからこそだろう。 長引く不景気で伊豆の温泉街も集客に躍起になっている。最後の手段として日帰り温泉を始めた有名旅館も少なくない。日帰りのお客を集めれば、当然、客単価は安くなるので、流行ったとしても両刃の剣であることは承知の上だ。 我々にとっては安くて設備が良いことは大歓迎なのだが、町営の施設がライバルとして出現してしまったのでは民間の温泉は、たまらないだろうと同情する。KFS前の用水池と隣を流れる境川が町営の釣り掘になって、1日2500円でポンドタイプとストリームが楽しめます・・・なーんてなったら相当ヤバい。 そうなったら私は町指定の制服を着て、死魚回収をしているかもしれない。まあ、釣れる釣れないは私の責任ではないので楽なことは確かだ。 ただ、町の職員となってしまったら、お客さんとダイドーカップをやると懲戒免職になる可能性はある。 そうそう、今日はKFSを早めに切り上げて、帰り道、例の温泉に浸かってって来た。 ●10/12 お騒がせの台風22号でフロの給湯器が壊れてしまい、フロが使えなかったので隣り町に出来た温泉会館?に行って来た。自宅がある韮山町周辺は長岡、大仁、修善寺、古奈、畑毛・・と温泉が豊富だ。もちろん日帰り温泉も多い。2年ほど前にクルマで10分も掛からないところに温泉が出て、立派な温泉施設が完成した。そういう意味では私は大変に恵まれていいる。 なのに、私は温泉には余り興味がないというか家のフロで充分なのだ。この歳になっても温泉旅行とか、まったく行かない・・・腰痛持ちのくせに。だから近所に幾つかある、クルマで10分で行ける日帰り温泉にも、行ったことが無かった。最近では神奈川県に、アユの配達に行った帰りに足柄SAの温泉に入ったくらいのものだ。もちろん温泉は好きだ。のんびり温泉に浸かっていると日本人に生まれて良かった、と思う。普段、仕事柄、なかなか休みが取れないので、まとまった休みには海外旅行になってしまう、というのが温泉離れ?の一番の原因ではある。 しかし、KFSから自宅への帰り道に、ちょっと回り道をすれば、この立派な設備の温泉を利用出来るのだから話は変わる。 ファンになってしまいそうな予感・・・台風のお陰・・・なのかな?? ●10/8 今年は既に8個もの台風が上陸したのに、KFS周辺では実質的な被害は無かった。しかし今回の台風22号はどうだろうか。920ヘクトパスカルのままKFSに真っ直ぐに向ってきている。もう避けようが無い感じだ。 10月に来た大きな台風といえば、ずいぶん以前の話になるが確か1979年10月20日(多分)に来たヤツは忘れられない。私が今でも日にちを覚えているくらいだから、その凄さが想像出来るだろう。 その日、私はKFSの養魚場から、どうしてもサカナを韮山分場に運ばなくてはならなかった。で、2トンの活魚トラックで運んだのだが、途中、冠水している道路を走って、なんとか池に着いた。暴風雨の中ビショビショになりながらサカナを養殖池におろした直後、停電となった。 その停電は翌日の明け方まで14時間に渡って続いた。当時の発電機は、やたら音が喧しく、とっても眠れない。翌日になって、やっと電気が復旧して発電機を止めた瞬間、世の中も止まってしまったような静寂が訪れたことを覚えている。 明日の午後には静岡県に上陸する公算が高いという。釣りのお客さんが来ないと嘆くよりも、この場合、何とか被害が無く終わって欲しい・・・と祈るほうが正解だろう。 ●10/7 新幹線が開業して40年になるという。東京オリンピックに間に合わせるように建設を急いだのだから、確かに1964年には完成していたことになる。私が小学4年生の頃だったと記憶している。東名高速も工事は始まっていたが、完成には程遠く、一足先に名神高速は完成していて、いよいよ日本も高速交通の時代へ突入と言われ始めていた。 KFSまでタクシーで1000円の新幹線三島駅だが、新幹線の開業当時は新幹線の駅は無く、当然止まらなかった。だから沼津や三島のヒト達は東海道線で熱海まで出て東京行きの新幹線に乗り継いだ。その後、地元の強い要望で三島に新幹線の駅が出来たのだが、なぜ、もっと大都市の沼津ではなかっといえば、たまたま三島駅の延長上に新幹線の車両を洗う設備があって、新たに駅を造るにしても簡単だった・・・から、と聞いているが真意は定かでない。 しかし、その新幹線の駅が出来たお陰で、三島は発展しなっかったにしても沈没しなかったと思われる。三島駅からKFSまで歩いたことがある方なら思ったかもしれないが、三島の市内には何もない。デパートもなければ気の効いたレストランさえ無い。駅の北側は工場と学校しか無いし。 しかし、1時間に1本ある「新幹線ひかり」に乗れば品川駅まで、僅か35分だ。完全に通勤圏、東京のベッドタウンとなり得る。会社が、アナタの能力を認めてくれて新幹線の定期代を出してくれれば、富士山が見えるマンションに引っ越して、週末には歩いてKFSに通うことが出来るのだ。三島の美味しいウナギも食べられる。 なんて偉大なんだろう、新幹線! ●10/6 その「交通事故は恐いぞ!」ビデオの内容はこうだ。 中学3年生の長男、小学校6年生の長女、それに幼稚園へ通う次男がいる家庭。奥さんが買い物の帰りに酔っ払い運転のクルマにはねられて死んでしまうところから話は始まる。お父さんが仕事と家事にがんばるが、やっぱり限界に来てしまい、家庭が壊れていく話だ。単純であるだけに、どこの家庭にもあり得る。 例えば私の家でも妻が突然、交通事故の犠牲になれば、3日でギブアップだろう。病気でも同じ事態に陥る可能性は高いが、交通事故だと突然その時が訪れるし加害者への憎しみもあるので、なおさら衝撃は大きい。放流なんてしているヒマは無くなってしまうだろう。 1年くらい前まで、KFSに遠くから毎月来られている方がいた。掲示板にも時々書き込みをしていてくれたのだが、ここ1年程はまったく姿を見なくなってしまった。どうしちゃったのかな?と心配はしていたのだが、先日、ちょこっと顔を出してくれた。奥様が交通事故にあって車椅子の生活になってしまったので釣りどころではなくなってしまった・・とのことだった。武器ということではなく人間が発明実用化した道具の中で、自動車は年間何万人もの(世界中で)人間を殺してしまう不思議な道具だ。 11月1日から走行中にケータイ電話を使うと(見つかると)6000円の反則金、1点の減点となる。 ●10/5 クルマを5台以上所有している事業所は安全運転管理者をおいて、年に1回6時間の講習を受けなければならない。 で、今日はその講習を受けてきた。毎年これに出ると、また1年が経ったか・・・と、時の流れを感じる。この講習に絡んで金を集める団体があり、脅迫じみた集金をするのだが昨年、案の定、裏金を1000万円作り飲食に使っていたことが暴露された。我々から集めた金をそんな風に使っているだろうことは誰だって想像がついていたのだが、今回はその件に関して一言くらい謝罪があるかな?と期待したが、会長さんは相変わらずフン反りかえっていたし知らん顔だった。 講習の内容は毎年同じだが、それは喋る方も聞く方も惰性だからしょうがない。それでも昨年から交通事故にあったり起こしたヒトの悲惨な生活を扱ったビデオが上映される。これが意外といい!! 内容は単純だが俳優や子役が一生懸命なのがいい! 警察OBが講習費稼ぎに、同じことを何度も、のろのろと話し続ける講習よりも、よっぽど判り易く、素直に安全運転を心掛けよう、という気持ちにしてくれる。 毎年、静岡県内だけでも13000人が講習費4200円、弁当1000円、協会費20000円も払って居眠りをしている。この3億円で、ユジンとヨン様に交通事故のドラマを作って貰った方が効果的なことは明らかだ。 |
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