| 私の養殖日記2004/04-06 | |||
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| ●6/30 昨夜からの断続的な雷雨は凄かった。こういう?仕事をしているからカミナリは、もちろん嫌いだ。 カミナリが施設に落ちて被害を受けることは、めったに無いが・・・過去に1度あった・・・停電が恐い。 昼過ぎまで、衰えることなくガラガラやってたから、12時間以上、緊張が続いた・・・といっても夜はしっかり寝ていたが。 3日ほど前から、今日はKFSの養魚場にいるアユの大小選別をすることになっていた。で、朝8時から養殖池の水位を下げ、フィッシュポンプ(サカナを生きたまま吸い上げる)をつかってアユを移動しようとしたのだが、急に雨が激しくなり、例によって隣を流れる境川が増水・・・養殖池からの排水が出来なくなってしまった。 こうなるとポンプの能力だけで養殖池の水を全て排水しなければならないので、通常の3倍くらいの時間が掛かってしまった。 電気を使って、増水している川に、更に水を送り込もうという非国民的な行為だ。 アユに限らず、養殖魚を選別等で移動する際には、前日(大きなサカナなら数日前)からエサを与えないでおく。体内にエサが残っているとサカナ自体もストレスに弱いし、ゲロ?して飼育水を汚してしまうからだ。 エサを与えない、ということは工場でいえば操業停止と同じことだ。しかも、工場と違って電気代や人件費の節約にはならない。 だから、サカナの移動や選別は余程のことがないと中止にはならない。 あの雷雨の中、ウエーダーにカッパを着て外で仕事をしてるんだから、世間様から見れば普通じゃない。 ●6/29 今日はヒマだったので伊〇〇郎さんのロードスターを試乗させてもらった。 箱根の中腹まで走って来たが、ひさしぶりでクルマを運転した気分になった。 私の世代はスポーティーなクルマに乗りたい年頃・・・すなわち社会人になってから結婚するまで?の間は・・・オイルショックや排ガス規制のため、スポーティなクルマから消滅していった。 私達のちょっと前なら、S800、ヨタ8、ベレG、コスモ、サバンナ、レビン・・・日本の自動車史を飾ったスポーツカーがあった。 1972年頃からの10年間はスポーツカー暗黒の時代だったのだ。 80年代に入り、ターボエンジンが実用化され、私は元祖ランサーターボを箱根で走らせて喜んでいた。 現在、ロードスターはスペック上では決して速いクルマでは無いのかもしれないが、低い着座位置と屋根が無いことがスピード感を盛り上げる。 6500回転でカムが切り替わるから楽しんできてね・・・と、言われて出てきたが、そこまで回すとコーナーではトルクが付き過ぎて恐い・・・直線じゃつまんないし。 結論・・・パワー不足と言われるロードスターでも、オヤジにはパワーあり過ぎ。 最近は箱根といえば、大型トラック(三菱だ!)サカナと水を満載して(積載オーバーではありません)、アクセルを床まで踏みっぱなし、時速30−50kmで登って行くことしか無かったので、 今回は低い視線とスピードで、自分がどの辺りを走っているのか見失いそうだった。 ●6/28 釣り人にとって防水カメラは便利だが、どうしても大きくなってしまうので、普通のカメラを使っている方が多い。 コンパクト化、多機能高性能化が盛んなデジカメ業界にあって、防水化は意外な程、遅れている。フィルムカメラと違って可動部が少ないデジカメは防水が簡単なはずだ。 なのに、この状況というのは消費者がデジカメの長所を理解せずに、単純に高性能、コンパクト、多機能、外観の良さ?を求めてしまうからだろう。 ズーム無しの広角短焦点レンズ、3点程度のマニュアルフォーカス、200万画素、単3電池使用、プラスティック外装・・・防水性能を高めると図体も大きくなりコストも嵩むから、先日程度?の降雨に耐えられれば良い。 これで1万円だ・・・! 単純で安いことこそ一番重要なのだ。壊れてもいいや・・・と、悪条件の中、被写体に近寄れる・・・こういうデジカメがあってもいいと思う。 フィルムカメラだとカメラが壊れてもいいとしても、フィルムに水が掛かってしまえば、お終いだ。 先日、XDカードを全自動洗濯機「愛妻号」で洗濯脱水してしまったがデータは消えなかったし、すぐに使えた。 これこそ、デジカメの最大の長所だ。フィルムがいらない、PCと相性が良い・・・なーんていうのは、ただ便利というだけのことだ。 デジカメこそ、単機能、使い捨てに適している。 もちろん、メーカーは気が付いているだろうが、消費者がそれを理解していないから、今年の夏も「簡単使い捨て防水デジカメ」は登場しないだろう。 ルアーの代わりに遠くにキャストして、リトリーブしている間に30枚撮れるデジカメ、滝から落として・・・犬の首に付けて・・・3号池のホーライに付けて・・・一回で壊れちゃうからこそ価値がある。 ●6/27 実は先日、防滴構造のデジカメを買った。320万画素のコンパクトタイプだが、同じシリーズで400万画素の新製品が出たためか近所のカメラ屋さんで25000円程で売られていた。 ネットで買えば、もっと安いんだろうけど、おじさんは、やはり何となく近所のお店・・・というのが心強い。 防滴であるから水に濡れる程度はOKだが、水中に入れることは出来ない。これは中途半端で実際に活躍する場面は少ない。 そこへ先日の集中豪雨だ。ここで、このカメラを使わずして、いつ使う! ウェーダーにカッパという重装備で豪雨の中を散歩した。猛烈な雨に打たれながら、ビショビショのカメラを構えるのは初めての経験だ・・・で、写したのが写真館の数枚である。 めったに無い大雨の中、「おお!!さすがに防滴カメラだぜ・・・」なーんて調子に乗っていたら、何だか動きが怪しくなって来た。 ん・・・止まった?? ヤバいかも。 家に帰って、タオルで良く拭き扇風機に当てて乾かしたが、液晶画面とファインダーは水滴が付いて曇ってしまい、電源スィッチのon,offにも反応しなくなってしまった。 雨には大丈夫でも豪雨には耐えられなかった・・・という訳か? ●6/25 今日の雨は凄かった。10時頃から本格的に降り始めたのだが、夕立の様な大粒の雨が叩きつけた。 KFSは窪地にある。周辺の市街地よりも5m位低い河川敷のような土地だ・・・だから湧水が多い訳だが。 周辺が整備され、コンクリートで固められていくと、雨が降ると、すぐに住宅街や道路の水が側溝に流れ込み、それらの一部が凹地であるKFS横の境川へ濁流となって押し寄せる。年々、その傾向が顕著となり、大雨が降ると10分もしないうちに境川が氾濫しそうな勢いの流れとなる。 それまでに道路周辺?に溜まっていたゴミが側溝を通って流れてくる。今日は何故か「宝焼酎」のプラスティックのカップが多かった。 こう書くとKFSも濁流が入り込んでしまうのでは?と、思う方も多いだろうが、今までそれによってサカナが外の逃げ出してしまった・・・というような被害は皆無だ。 KFSの直ぐ下で、川幅が一気に広がっているのが、被害が少ない理由と思われるが、KFS横で流速が急に落ちるので、流れてきたゴミが沈殿し易い。 かつては冷蔵庫、自転車、洗濯機・・・なんかもたくさん流れてきた。 余りに凄い雨だったので、先日、買った防滴カメラを持ち出して、はしゃいでいた。ここで予期せぬ問題が発生・・・何でしょうか?? 今日の雨の様子は写真館に。 ●6/23 昨夜はホタルを観に行ってきた。中伊豆の山奥の同業者がアユと一緒にホタルも養殖している。もともとホタルがいたところで、ホタルの幼虫のエサとなるカワニナも養殖していたのが幸いしたのか、この時代にあって年々天然?ホタルも増えている、という珍しい事例だ。 20時頃から飛び始めるのだが、暗くなってから行くとヘッドライトがヒンシュクものなので、判ってるヒトは19時30分までには現地入りする。 台風の後で風が少しあり、今イチの出現数だったのだが、それでもこれ程のホタルを観られるところはめったに無い。ちょうど当日はTVでも放映されたので、今後は一気に来場者が増えるだろう。 残念ながら、有名になれば悪いヤツもバカ者もやって来る。 今年をピークに、ホタルが減ってしまう予感がする。 ●6/17 2−3日前、お客さんとKFSの北側の旧東海道をクルマで走っているときに、私が「この道を昔、路面電車が走っていたんだよね」と言ったら、へー・・知らない、という答え。 え〜本当に知らないの、つい25−30年前まで走ってたぜ!・・と言ってみて、よくよく考えたら30年前としても私が20才の時ということになる・・・確かに、その頃は、とっくに路面電車は無かった。 私の路面電車の思い出は、友達とその電車に乗って沼津まで探検?に行ったことだ。料金は子供で10円だった。 今日KFSからの帰り道、偶然にも地元のFM局が、この路面電車のことを話していた。 廃線になったのは昭和38年とのこと、私が小学校4−5年生の時ということになる。そう何回も乗ったことが無いはずなのに、車窓の風景や車掌さん、降りる時に天井に張られていたヒモを引っ張る・・・そんなことを良く覚えている。 今の三島広小路から沼津駅までを24分間で走っていたとのこと。驚くことに日本で10番目に開通した路面電車だったんだそうだ。明治38年頃と言っていた。 東京から新幹線でJR三島駅、伊豆箱根鉄道に乗り換えて三島広小路、さらに沼津行きの路面電車で3つ目の千貫樋で降りれば、KFSまで500m。 路面電車が残っていれば、電車釣行が出来る釣り掘だった。 ●6/14 掲示板でカメラの話が出たら、好きそうな方が何人か出てきた。 男は、カメラみたいなメカメカしたモノが好きだ。しかも、あのレンズの怪しい光り具合には弱い。 写真が好き、というよりは、あの手の中でうごめく?メカと、天井の蛍光灯を青やミドリに映し出すレンズに弱いのだ・・・きっと。 男がメカっぽいモノが好きなのは本能だろう。これは原始の時代に、木の棒に鋭く割った石を縛り付けたことから始まっているに違いない。 現代で男心をくすぐるメカ物の代表がクルマやバイクだが・・・ここではロケットや軍事モノは外そう・・・ちょっと高いしガサばる。 そこで、お手軽で(安くはないが)超メカっぽいのが、時計、カメラだ。ここを見ているヒトには特別にリールも当てはまる。 夜な夜な時計を見つめたり、レンズを拭いたり、空シャッターを切ったり・・・リールをくるくる廻したり。 しかし、今のリールのデザインはつまらない。 釣り道具の中では、圧倒的にメカっぽいはずなのに、それを感じさせないモノばかりだ・・・機械としての美しさが無い、きらきら光っているばかりだ。 精密過ぎて、自分の道具なのに分解も出来ない。これでは何年使っても特別な愛着など湧かない。男の気持ちがメーカーには届いていないのだ。 リールのデジカメ化・・・だ。 デジタル文化やマクドナルドは、便利で面白いけど薄っぺらだ・・・と50才のオヤジは思う。 ●6/13 そうは言っても、私も24才の時に今の韮山のアユの養魚場を任せられ・・・押し付けられ?・・・1日中、池の中のアユの心配をする生活が始まった。 36才の時に、(有)綾部養魚場の社長に煽て上げられたのだが、それは平成3年、バブルがはじけ日本経済が急坂を転げ落ち始めた、まさにその時だった。 日本中がバブルに浮かれていた時にさえ、赤字体質から脱却出来ないでいた養魚場を、そんな時に任せられたのだから今思っても、ゾっとする。 すぐに成績の悪い分場を整理して、アユもマスも養殖販売方法をイチから見直した。数年で、何とか儲かる養魚場にすることが出来たが、その頃から一段と加速して来た水産輸入物の増加、サカナ離れによる価格の低下を予想して、一番儲かった平成8年に、今の方向に経営を転換する決心をした。もし、あの時、あのまま養殖業にがんばってしまっていたら、今頃は苦労話がいっぱい出来る親父になっていただろう。 50才というのは、やっぱり人生の大きな節目である。子供の頃は、50才て、もう何の楽しみもない年寄りか、って思っていたが自分が50才になっていまうと、気持ちだけは20代とは言わないまでも、30代・・?40才位の時と何も変わっていない・・・ような気がする。からだは重くなった、体重が、ということではなく、何だか動きが悪い。 50才になったら、二人乗りのスポーツカーを所有してみたいとか、思い出の町や山をもう一度訪れてみたいとか考えていたが、まさかルアーでマスを釣ったり、メールに写真を添付する仕方を覚えることになるとは思いもしなかった。 ●6/12 信じられない話ではあるが、私は今日で50才になるらしい。 親父が50才になった頃、私は20才だったのだが、その頃の親父や仕事を思い出すと、自分はいかに平穏な人生を送って来た・・・送らせてもらったのかと感謝せざるを得ない。 なんてったって、最近の私の苦労といえば、15分勝負でお客さんをいかにして凹ますか、くらいしかない。親父は55才で倒れてしまったので、私は社会人になってから・・・卒業後1年間、放浪していたこともあって・・・大人同士の話というのを、まったくしたことが無い。 結局は同じ仕事をするようになったのにサカナの話さえも、ほとんどしなかったのは残念だ。 親父は太平洋戦争の末期、軍隊にいたので一杯飲むと、その時の苦しかった話を繰り返しした。戦後、手探りの中で養殖業を始め、飼育、販売、資金繰り等の苦労話も毎日聞かされていたが、子供としては、そんな話は面白くなかった。 当時は仕事をするということは食いぶちを稼ぐこと、釣りをすることは食料を得ること、恐らく休日とか余暇という感覚さえも無かったに違いない。 生活するだけでも大変な時代を生きてきた親父の話は、それだけでも充分に重かったはずなのに、私がそういう話を理解出来るようになるまで生きていてくれなかった。 今50才になって、私は自分の子供に何の苦労話も出来ないし、子供も勉強やゲームが忙しくて聞かないだろう。 きっと、日本は平和になったに違いない・・・・と、思いたい。 ●6/11 ちょっと前に、柿田郎の写真館に「何処だ??」と掲載した写真は、wmouseさんが答えてくれた通り、トロイの遺跡だ。中央に木馬が見える。 ブラッドピットが主演する映画も話題だし、次女のミハルも先日、歴史の時間にシュリーマンの話と共に習った、というので昔のフィルムから捜した。 書くことが無いときには、旅の話でごまかす。 古代世界7不思議にも選ばれているエフェスのアルテミス神殿跡や、ベルガモンのアスクレピオンを見学した後、ボロバスでトロイに向った。といっても当時は訪れるヒトも少なく、バスは国道とトロイの分岐点で私を降ろした。ここから5km位だと言って・・もちろんバスもタクシーも無い。 5km位なら、とリュックを背負って歩き出した・・でも、往復だと10kmだぞ・・しかもアテにならないし。まあ、別に急ぐ旅でもない。 しばらく歩いていると、後ろからトラクターが来た、冗談で親指を立てると、直ぐに乗せてくれた・・多分、頼まなくてもトロイまで乗せてくれたに違いない。 トロイを発掘したシュリーマンの話や、美女ヘレンをめぐるトロイ戦争は私も本を読んで知っていたので、トロイは楽しみにしていた。 もちろん繁栄を極めた当時の面影は、まったく無く、僅か石積みの城壁が残されているだけであったが、神殿があったとされる丘に登って見ると、遙かかなたにエーゲ海が見えた。 ギリシャ軍は、あの辺りから上陸してトロイに攻め込んだのだろう。 ●5/30 何回か書いたが、今年のアユは苦戦している。 先週、狩野川のアユ釣りが解禁したのに続き、明後日の6月1日には近隣の河川が一斉に解禁となる。なのに売るアユが無い、という前代未聞の事態だ。 サカナの状態は病気も無く、とっても良いのでエサを限界まで上げて早く大きくなるように、がんばっているのだが、機械でモノを作るように残業を続ければ、ある程度は納期を早めたり余分に作ったり出来るものではない。 もちろん、これはアユに限らず他の養殖魚でもそうだし、畜産や農業でも同じことだ。 ここに我々の仕事の泣き笑いがあり、運が良ければ、たまには儲かる・・・博打と言われる由縁だ。 特に、ビワ湖産のアユの状況が落ち込んでしまった現在、何処の養殖アユの産地の近くの海で海産稚アユが、たくさん獲れたかが、けっこう重要なファクターとなっている。 今年、駿河湾は壊滅だったが、もちろん、こんなことはめったに無い。 まだ商品サイズに育っていないアユを眺めては、来年は駿河湾の稚アユがたくさん獲れて欲しい、と願っている。 ●5/25 今年のアユは大失敗であった。まだ、まったく売っていない段階で、もう今年は儲からん、タダ働きだと判ってしまっても秋まで仕事をするのは辛いところだ。 その一番の原因は、駿河湾で稚アユが獲れなかったことだが、今年は獲れそうもないぞ、と判ったときに、すぐに他の稚魚の手当てが出来なかったのは人為的な失敗だ。 ただ、海産稚アユが不良だ、と決定した時点で、あわてて他の稚魚を買っても、病気に弱い稚魚を掴まされたりすると、忙しいばかりで、かえって損をしてしまうことも多い。 そういうことも過去に何回か経験してきたので、海産稚アユが獲れなかったら、今年はアユは休みにしようと覚悟していた。そこへ、1ヶ月以上遅れて海産稚アユが少しではあるが入池した。 もちろん、それは喜ばしいことなのだが、絶対数が少なかったのに、電気代や人件費などは例年並に掛かるので、どう考えても商売にはならない。 まあ、毎年、買ってく下さる固定客をつなぎ止めるため・・・と考えて、がんばるしかない。 養殖池のアユの放流密度は例年の2分の1以下なので、管理はまったく簡単、病気も無いので朝夕様子を見るだけで済んでしまう。 30年近くアユ養殖に携わっているが、こんなに手が掛からないのも初めてだろう。 それでいながら、全部が無事に育っても、儲からない、と判ってしまうのも初めてかもしれない。 親父の時代には、よく言われていた・・・アユは博打だ。 ●5/24 昨日は狩野川のアユ釣りの解禁だった。 綾部養魚場としては、戦争直後からアユとレインボーの養殖をやってきたのだが、私は親父の死後は、ずっとアユの養殖に携わり、KFSから15分程走った韮山町にある小さな養魚場にいた。500mほど西側を狩野川が流れている。 だから狩野川の解禁の前後は想像を絶する忙しさだった。川沿いのオトリ屋さん(知ってるかな?)にアユの配達をするのはもちろん、近所とヒトは直接オトリアユを買いに来るし、料理屋さんや旅館も解禁の頃からアユをメニューに取り入れるので、食用としてのアユの販売も重なって、毎日てんてこ舞いだった。 どういう訳か、年々そんな忙しさも無くなっている。もちろん、それは私がオトリアユの配達を止め、狩野川のアユ釣りと関係なくなってしまったのが一番の原因なんだろうが、それとは関係なく、旅館や料理屋での消費も年々確実に下がってきている。 首都圏から日帰りでアユ釣りができる狩野川は、釣り客が毎年たくさん来られることで知られている。 そのお陰で狩野川沿いにある、いくつかの小さな養魚場は、私のところも含め発展して来たのだが、最近、急にアユが減少してしまったために、訪れるお客さんも減ってしまい、何処も経営は大変になっている。 5/10 私は一年中、明るくなると起きるのだが、さすがにこれから2ヶ月程は起きた時点で充分に昼間になっている。 今の時期なら5時半くらいに、住まいの2階から外階段を降りてくると、まずネコのホイミがにゃーにゃーと鳴きながら腹を撫でてくれ!と足元にひっくり返る。 オーザックがオリの中で、出してくれとじたばた。頭上の電線にはカラスのゴンザレスが「カー!」と、ひと声・・・これが、朝の正しい始まり方だった。 ところがご存知のようにオーザックは行方不明。ゴンザレスは今年も顔を出してはいるが、なんだか、とってもよそよそしいし見かけない日もある。エサの貰い方も他人行儀だ。 カラスのゴンザレスは、10年位前、近所の獣医さんが巣から落ちたカラスを拾って来て、私に託したヤツ・・・ということになっている。2ヶ月間程、飼って放したのだが、毎年4月末頃になると私のところにやって来てエサをねだる。ゴンザレスが偉いところは、絶対に仲間を連れてこないこと、エサも、ひとかけらやれば満足して?帰っていくことだ。 もし、あの時のゴンザレスが、ずっと来ているとしたら、もう10歳に近い。カラスの寿命が、どのくらいか知らないが、今年の白々しい様子を見ていると、もしかしたらゴンザレスの子供かな?なんて思ってしまう。 写真館に載せたが、その頃ホイミは既に2−3歳になっていたはずだ。写真で見ると確かに若い。 裏切り犬のオーザックは一番最後に、この朝の儀式に参加して、一番最初に出て来なくなった。 近頃の若いもんは、これだから困る?? ●5/9 休憩室の写真を替えた。私は釣り掘経営以外に、あまり趣味(釣り掘が趣味か?)が無いが旅先で写真を撮ったりするのは好きなので、なんちゃって渓流の隣の休憩室に、今まで撮った写真の中から一枚づつ飾っている。 今回はミラノのドーモ(聖堂)の写真にしてみた。 ちょうど10年前、70歳近かった母を連れて、スイス、イタリアを旅行した時に立ち寄った。 ドーモがある広場の片隅に地下鉄の出入り口があって、薄暗い地下からイタリアの太陽の下に出ると、その巨大な聖堂が頭上を圧倒する。 ここを訪れるのが2回目だった私は、母に同じ感動を味わって貰おうと、スイスからの列車でミラノに着いた後、地下鉄でドーモ広場に行った。 左右対称で写真になり難くかったので、手前の街灯をアクセントに入れてみた。 今日は書くことが無かったし、母の日だったので、そんな思い出話しでゴマかした。 ●5/1 で、1年ぶりで配達に行ってみたら、その養魚場以外は、なーんにも無かったところにオートキャンプ場が出来ていた。 とは言っても大きなものではなく、10家族も来れば満員になってしまいそうな規模だ。2家族がテントを張ってキャンピングをしていた。 養魚場は、何処も何だか暗い??特に山奥にある養魚場は、世捨て人状態におかれている事も珍しくない。特にヒトが訪れないようなところは、どうしても雑然と汚らしくなってしまう。 それとは対照的にオートキャンプ場は華やかだ。カラフルなテントにアルミのイスやテーブル。クルマだってカローラや軽自動車ってことはない。私のような養魚場の親父からみれば、ビーパルから飛び出して来たような親子の笑い声に、訳も無くアメリカを感じてしまう。 ここにはドッグランなる施設もあって・・といっても10mx20m位をフェンスで囲ってあるだけだが・・・シャンプーの香がしそうな、お犬様がご主人様を振り返り振り返り、走り回ってる。 偶然なのか、その2家族とも、お犬様を同行させていて、きっと、お犬様の自慢話だろうけど盛り上がっていた。 誰でもイヌを飼うと旅行に行く時は、どうしようかと考えてしまう。イヌと一緒に泊まれるホテルは人気があるというのだから、イヌと一緒に遊べる施設は時代のニーズにマッチしている。 イヌは、そんなに高度な遊びを期待していないだろうから、ちょっとフェンスで囲むだけ・・・の、ドッグランは、いろんなところに併設されるだろう。 まあ、油断して愛犬に逃げられないようにすることだ。 ●4/30 今日は13−15cmくらいのアユを中伊豆の同業者のところに配達に行って来た。ここは河川水を使用しているので、低水温に弱いアユは今頃にならないと飼育できない。で毎年、ゴールデンウィークの前後に、このサイズのアユを買って貰っているわけだ。 こことの付き合いは長い、25年以上になるだろうか。初めて、そこに配達に行った時の話しだ。幹線道路を外れて、どんどん細くなっていく畑の中の一本道を数キロ走って、もう絶対にUターンできないもんね、というところから、あぜ道に降り、少し走る。砂防ダムの真下に、その養魚場はあるのだが当時は電気も電話も無かった。 小アユの配達ともなると、北池の向こう側に停めてある2トンの活魚トラックでも一度に100万円近い金額となる。 そこに着いて小アユを養殖池に降ろすと、傍の掘っ立て小屋で、おばあさんが囲炉裏で沸かしたお湯で、お茶を入れてくれた。はい、サカナ代、と言って1万円札の束をよこす。私は札の勘定の仕方がヘタだ・・・いつもは、ほら、秘書が何でもやってくれるんで。 1万円札を10枚ずつ数えて囲炉裏の周りに積んでいく。 あの頃は養魚場も、日本人も私も、そしてアユもみんな元気だった。 ●4/23 まったく信じられないことだが、私はもうすぐ50歳になるらしい。 50歳をケジメにチャレンジしておきたいことが幾つかあった。 @ あのオヤジ似合わねー!と横目で見られながら、ポルシェに乗る快感を味わう。 A アマゾンでドラードを釣る。 B エベレストBCへトレッキングに行く。 C 娘と、もう一度モンゴルの草原を馬で駆け抜ける。 D コンタクトレンズにする。 ・・・だ。 もちろん誰が考えても、一番困難に思われるのがDのコンタクトレンズだろう!! 目に異物を入れるんだぜ・・・そんな野蛮なこと、絶対に出来にゃーら・・?? しかし、ここでやらなければ、もう一生無理だろうと、近くの眼科に行った。 目の検査をして、じゃあ、このコンタクトレンズを入れてみて・・・えー・・ちょっと、まだ心の準備が・・・。 ・・・何だ、簡単じゃん。 バンジージャンプもこんなモノか? しかし、何だね。メガネのヒトは良く判ると思うが、メガネを外した時の自分の顔って、鏡を見ても良く見えない・・・コンタクトレンズを入れて、視力1,0で見た自分の顔に驚いた。 しっかり、50歳になってるじゃん、シワとかタルみとか。 タレックスとかいうサングラスを買ってみようかと思う。 ●4/21 昨年の今頃、あれ?何だか右膝が痛いぞ・・・と意識するようになった。その1ヶ月前位から、ちょっと違和感があったので、それまで毎日のように登っていた日守山に通うのを止めた。 それなのに昨年のゴールデンウィークには、ありゃ、こりゃ完全にヒザに来ちまったぜ状態になってしまい、これって、もしかして変形性ヒザ関節症、ってヤツ?・・・お年寄がなる。 で、病院へ行ってはマッサージ、牽引。家では温灸、腰湯、サウナ、マッサージ。勧められるままにコンドロイチン、グルコサミンなどの健康補助食品。 仕事の時にはサポーターも欠かせなくなった。 私は10数年前、腰痛で酷い目にあっている、最近ちょっと調子がいい、と思ったら今度はヒザかよ。ヒザは治り難い、っていうし。 ヒザが悪くなっても歩き続ける事は大切だそうだ。日守山には登れなくなってしまったが、毎朝30−40分、近所を散歩することは続けた。 昨年の12月から週に1回は、今は亡き??オーザックの散歩ついでに日守山に登り始めた。標高差180m、階段1000段。登りは何てこと無いが下りは辛い。 それでも、だましだまし登り続けたところ、お、調子がいいじゃん。3月には15回、今月はすでに13回登ったが、ヒザは小康状態を保っている。 登りは寄り道ばかり、下りは猛ダッシュするオーザックがいないので、マイペースで歩ける。 13分で登って、7分間で下って来られる。時間的には4−5年前と変わらない。 このまま治ってしまえば、うれしい。 痛くなれば放流にも差し支える。 ●4/16 人質事件は良い形?で解決?した。後は彼ら3人が帰国してから、もう一度行くんだ!なんてことを言わなければ半年で皆、忘れてしまうだろう。 最近、忘れそうになっていた(私だけか?)この戦争の意義や自衛隊派遣の問題を、再び考えさせられることになったのが、今回の日本人拉致事件の唯一の収穫か。 なんだか、アルカイダの思う壺になていないか? アルカイダが直接、手を下さなくてもテロはがんがん発生するし、イスラエル、パレスチナ問題はさらに加熱している。ブッシュ、アメリカの信用は一気に崩壊しつつある。 今や、アメリカは正しい!と思っているヒトが何人いるだろう。コイズミさんだって本当は、違うぞ!って思っているだろう。 アメリカの圧力で、なし崩し的に今の現状があるのだが、このまま日本も泥沼にハマッてしまっていいのだろうか。 いくら我々日本人が、自衛隊は現地で平和的復興活動を!と唱えても、簡単には真意(本当の真意?は、どんなモノなのか知らないが)が通じないことが判った。 ●4/15 3月27日と30日に入池した海産稚アユだが、わずか2週間ちょっとの間に2回、大小の選別をして大きさを3段階に分けた。 一番大きいロットが12−15g位(タバコくらい)、中間が7−8g、細かいのが3−5gといったところだ。 今年は入池した稚アユの絶対量が少ないので、結果的に飼育条件が良くなり育ちが早い。もちろん、そうは言っても全体的に1ヶ月遅れているので、商品として出荷できるのは史上一番遅くなりそうではある。 180kgほど入池した稚アユが現在は750kgくらいになっている。わずか17−18日間で4倍に成長するというのはサカナの調子が良い証拠なのだが、このままの飼い方(エサの与え方)をしていけば必ず何処かでつまづく。今の状態はエサを食べ終わった後は、アユが金魚に見える程だ。 それでも今年は少しでも早く育てなくてはならない。機械でモノを作るのと違って、夜中まで残業したからといって、早く製品が出来るというものではないのがもどかしい。 で、危険の分散という意味で、今まで通り限界までエサを与え続ける池と、安全を考えて腹8分養殖する池とに分けて管理する。 ●4/10 今はどうなっているのか知らないが、当時はイスラエルに入国した者は、その後アラブ諸国には入国出来ないことになっていた。 それ程、アラブとイスラエルは対立を深めていたのだ。 イスラエルは日本人に対してヴィザを要求していなかったが、紛争地帯を通過するので、ヨルダン政府のパレスチナ自治区通過の許可証が必要だった。 アンマンでお役所巡りをし、それを手にして1日1本の国境行きのバスに乗った。 ぼろバスに客は5−6人。運ちゃんに途中停まっても絶対にバスから降りないこと、写真は撮るな・・・と注意されて、2時間ほどでヨルダン川に架かるアレンビー橋を渡った。ヨルダン川はKFSの隣を流れる境川くらいの川だが、これがアラブとイスラエルを分けている。 国境事務所で全員降ろされ、バスはヨルダンに帰って行った。 当たり前だが入国検査は厳しい。 イスラエルは徴兵制度があるので若い兵士が多い。キャピキャピの10代の女の子が小銃を背負ったまま、私のリュックを開けて持ち物をひとつひとつ調べる。 アンマンで買った食糧やアラビア文字が書かれた品物は没収だ。 実は、ここで私の軽率な行動から事件が起こったのだが長くなるので、またいつか書こう。 平穏?な時でも紛争地域の国境は厳しい。 今回の誘拐事件だが、一般人?が簡単?にイラクに入国出来たこと自体がワナだったのかもしれない。 ●4/9 大変な事になったものだ。 ニュースは一日中、3人の人質事件のことばかりだ。今さら私が彼らの行動や、ましてや自衛隊の派遣撤退に関して、ここに意見を書いてもしょうがない。 新聞記事を見ていて、お?っと目にとまったのが、そのカメラマンが泊まっていたという、アンマンのクリフホテルだ。 私は泊まったホテルの名前なんかみんな忘れてしまうが、このクリフホテルは印象に残っている。アンマンの旧市街のメインストリートからちょっと奥まった、車も入れない路地、アラビア語の看板に埋もれた中にCLIFF HOTELはあった。 不思議な雰囲気に写真にまで撮ってあった。1泊1000円までしない安ホテルだが、ヨルダンでは中級、って感じだった。 ヨルダンの首都アンマンは、中東を旅するには行動の中心となる都市だ。というか、周りは変?な国ばかりで、その中ではヨルダンは、けっこう常識が通用する国だから。 現在、バクダッドまで陸路で行くとしたら、アンマンでビザを取り、砂漠をクルマで越えるしかない。交通の要所であるから、平和な時は相当の往来があった。 トルコ、シリアを南下して、ヨルダンまで南下してくると、その先は、サウジアラビアは一般の旅行者は歓迎しないので北へ戻るか、イラクかイスラエルに抜けるしかない。 当時から両方とも、ちょっとヤバそうな国だった。 私は朝早く、クリフホテルを後にして、3−4人のバックパッカーと共にウエストバンク、パレスチナ自治区と呼ばれていたイスラエルとの国境に向った。 この辺りは地図上の赤い点線の存在を強烈に感じさせるところだ。 その赤い点線を一歩越えれば、状況はまったく変わる。 彼らにも相当ヤバい状況が伝わっていたはずだ。 ●4/5 で、若い女性記者を何時ものように場内を案内して、これまた、何時もと同じような説明をする。 かつては設備、生産量などの自慢話が出来たのだが、今や生産量はピーク時の3分の1以下、売り上げも半分以下に落ちているので、数値の上では、まったく自慢話しは出来ない。今や、我々業界では従業員に給料を払って、かつ自分達が食べていければ充分、優秀と言える。 オヤジから引き継いだ養魚場の3分の2近くが釣り掘となってしまったので、釣り池の(KFSの)施設も見て頂かないと、まさしく落ちぶれていく養魚場の記事になってしまう。 で、釣り池も、ひと回りしてもらったが、どうも彼女達は釣りというものをしたことが無いらしい。KFSの養魚場の記事を書くなら、釣り掘施設も合わせて書いて貰いたい。それなら釣りも楽しんで貰わなくては、正確な記事が書けないではないか・・・本気で遠慮する(マジ、いやがってる?)二人に無理やりロッドを持たせて1号池へ・・・TOMツチノコチビを付けておいた事は言うまでも無い。 リールの使い方から教える結果となったが、けっこう釣れたので楽しそうだった・・・ということにしておこう。 きっと、これで正確な記事が書けるに違いない。 ●4/3 レインボーの消費は、主に100−150g(20cm前後)の俗に言う塩焼きサイズとして、スーパーで売られたり料理屋さんで使われるモノと、それより大きなサイズ、釣り掘用の活魚に分けられる。 ただし、キロいくらでの買い取り制のエサ釣り掘で使われるレインボーは120g前後なので、前者に含まれる。 絶不調なのが前者、要するに食用としてのレインボーだ。 KFSの養魚場は10年前までは、この食用の120gサイズを大量に養殖しては築地や名古屋の市場、活魚でエサ釣り掘に降ろしていた。レインボーは安い。しかし効率良く作って、順調に売れていた時は、これ程、安定した養殖魚は他には無かった。1kg当たり100円の利益であっても300トン売れば相当な儲けが期待できた。 なぜ急速にレインボー離れが進んだのかの推測は、またいつか考えるとして、とにかく1998年頃からの「売れなさ」は景気の後退を遙かに上回る威力?があった。 ここでレインボーの養殖業者は選択を迫られた。つまり、いつか又、市場が回復するだろう派、と新たなる活路を模索する派、だ。 結果はともかく、世間は食用としてのレインボーには厳しい答えを出した。売れない・・・生産量を落とす・・なのに価格は下がる。 食用としては冴えない結果のレインボーだが、淡水の釣りの対象としては、これ程、適したサカナも無いだろう。 とにかく養殖の歴史が長く、技術面でも完成されているので安定供給ができる。しかも必要以上!!に安い。 ちゃんとした?レインボーなら素晴らしいファイターでもあるし、釣り池に放たれてからも病気に強く長生きする。 見慣れてしまったから評価は低いが、よくよく見れば美しいサカナである。 そして一番重要な長所は・・・ そう、決して美味い! とは思われていないことだ。 だからキャッチ&リリースなるものが成り立つ。もし釣れる対象がウナギやタイだったら、釣り掘はもっと熾烈な環境となるはずだ。 UFOキャッチャーが現金つかみ取りだったところを想像してみよう。 ここらにレインボー養殖の、もしかしたら少しは明るいかも知れない?未来があるような気がする。 ●4/2 現在のトラウト業界は今までに無い経営危機に陥っている。 かろうじて利益を計上できるのは、管理釣り場を直営しているところか、管理釣り場にサカナを卸しているところだろう。 10年前に今の事態を予想できなかった養魚場は、回復の見込みがない厳しい状況に置かれている。 昨日、取材に来られたのは意外にも若い二人の美人記者だった。特に、その1人は、この取材が初めての仕事という、この春からの新入社員だ。 最初の取材が私のところという、それは運が良い新人だ・・・今後の活躍が期待できる。 で、何処の養魚場の取材に行っても、最近は暗い話しばかりで辛い、という先輩記者の話しが印象深かった。 私もレインボー養殖に明るい未来は、まったく無いと思っている。 自然環境の悪化・・・水量の減少、汚染等。それが原因の一つにもなっている病気の蔓延。サカナ離れ、ニジマス離れによる販売低下、それらが原因で収益の低下となり結果的に、長時間しかもキツい家族労働を強いられる。追い討ちを掛ける排水問題。 海外からの無秩序なニジマス?の輸入に文句を言う元気も無いのが、我々の業界のぜい弱さを物語っている。 日本におけるレインボーの生産量は、ピーク時に比べて半分にまで落ちてしまうのも、そんなに先の事ではないだろう。 そんな中で、ニジマス業界の展望について話して・・・って言われても、・・・・もう、やめるっきゃ無いんじゃないの!! それじゃあ、記事にならないだろうから、彼女達のために明るいニジマス養殖を考えた・・・続く。 ●4/1 養殖、特に内水面(淡水)はとっても小さな業界で、その中でもニジマスは業界誌と言えるものさえ存在しない・・・私が知っている限りでは、だが。 海での養殖までを含めた養殖関係の本として、その名も「養殖」という月刊誌がある。創刊されたのが何時だったかは知らないが、私が子供の頃からあったので、相当な歴史がある事は確かだ。 内容のひとつに全国の養殖業者の紹介記事がある。先にも書いたように狭い業界なので毎月2−3の業者を記事として紹介していくと、3−4年でひと回りして、また順番が来てしまう。 私がKFSの養魚場の経営をするようになってからも何回か取材を受けた。覚えているものを上げてみよう。 ○ アユの養殖で韮山分場が紹介された。 ○ ニジマスの高温養殖とキレイなサカナ作り、のこと。 ○ 新しい試みとして、養魚場内に釣り池を併設したこと。 上記以外にも養殖に関する作文?を何回か頼まれた。 そして今回だ。 その度に私は、アユが儲かるね、これからは絶対アユだね。レインボーの高温飼育でサカナがどんどん出来ていた時は、もう恐いモノは無いね、ニジマスだって儲かるさ。やっぱね、養魚場の中に釣り掘を作るのが正解かもしれないな・・・ で、今回は、もう養殖なんて、ぜーんぜんダメ! 作ったサカナを自分で消費できる施設を持つことが一番重要かな・・・だ。 自分でも言っている事に、まったく一貫性がないと思った。 でもね、これは私のせいでは無い・・・世の中に一貫性が無いのだ。 3年ひと昔、10年大昔、と言われる時代だ。「養殖」に紹介される度に変化しているくらいの順応性が無かったら、大昔の養魚場になってしまう。 |
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