| 私の養殖日記2003/10-12 | |||
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| ●12/27 ダリウス大王の都、ペルセポリスを見学した後、私は夜行バスでケルマンに向った。 ケルマンには午前10時頃着いた。当時、イランでのホテル探しは大変だった。高級ホテルはともかく、私が泊まるような安宿では、宿帳に信仰している宗教を書く欄があり、実際には口頭で尋ねられるのだが、イスラム教徒でないと泊めてくれない場合が多かった。 バスターミナルの周辺の宿をいくつか当たったが、全て断られた。仕方が無く次の町まで行ってみようと、乗ったバスが着いたのがBamという砂漠の中の小さな町だった。 ガイドブックも無ければ、地図にも載っていなかったので、どんなところなのか、まったく判らなかった。 仏教徒でも泊めてくれた宿のオヤジさんが、立派な遺跡がある、というので歩いて行ってみた。 街の外れに向って歩いて行くにしたがい、家は日干しレンガで造られた質素なものになっていき、住んでいる人々も見るからに貧しそうだった。 その泥で造られたような街の延長上に、美しい砦のような遺跡があり、その周辺に住居跡が広がる。 しかし、その遺跡と現在の住居の境が判らない。つまり、千数百年前と同じ造りの家に彼らは住んでいたのだ。 そこを地震が襲った。 私がイランを旅したのは、パーレビ国王の時代、いわゆるシャーの時代の最後に当たる。 オイルマネーのお陰で一見したところ、豊かな国に見えたし、物も豊富で物価も高かった。しかし、それは首都テヘランを始めとした大都市だけだった。バスから見える光景は貧富の差を激しく感じるものだった。 その直後、ホメイニ師を指導者とするイスラム原理主義革命、10年間に及んだイランイラク戦争、経済制裁・・・そして地震。 Bamは、もう一度、行ってみたい町のひとつだったので思い出を書いてみた。 ●12/25 年末になって、こんな話しをするのも何だが・・・2週間前に静岡県安全運転管理協会が1000万円以上の裏金を作り、飲食や旅行に使っていたことが、バレた・・・・って、いうか、そんなこと皆、知っていたので、大きな問題に発展する前に、充分に太った生贄を添えて表に出した・・・というのが正解だろう。 だから、責任は全て前会長にあるが、今後の仕事に差し支えるので告訴はしない・・?誰が?・・ということになったらしい。しかも、ずっとやってきたことだし、たいした金額ではない、と口を滑らした。 もちろん内輪のことなので、これ以上の問題追求は無いようだ。 2002年5月17日の釣り掘日記にも書いたが、ここの集金活動はすごい・・・ちょっと読んでみて。 まるで武○富士のようなヤツが金を取りに来て、ヤクザのように威す。払わないと、電話もばんばん掛かって来る。 自動車を5台以上、所有している事業所が対象なのだが、もちろん法律(道交法?)ではない。ただ、これを払わないと、事故や違反があった時に警察がうるさいぞ!と威す。この場合の警察がうるさいぞ!は、我々庶民にとってはヤクザが来るぞ!という威しに等しい。 そうして集めた金の1部を自分達の飲食代に廻していたというのだから、呆れるほど卑しい行為だ。 たかだか自動車にまつわる事例でも、こうなのだから、イラク派兵や高速道路民営化に関しては、どんな飲食??他もっと楽しい事??が行われているのだろう。 税関で露骨に、ロッドを欲しい、というのと何も変わらない・・・というか、そんなのの延長なんだろう。 大掃除をしていて2週間前の、そんな新聞記事を見つけてしまった。 ●12/24 クリスマスイブである。 今更、異教徒の祭り?に、なんで・・・・なーんてヤボなことは、もちろん言わない。 ただ、イスラム、仏教、ヒンドゥー等にも当然、預言者の誕生日があって、それぞれ祝いの日があるに違いない。 なぜ、イエスが生まれた日・・その前夜・・だけがっ世界中で信仰を超越して祝われるのだろう? それは、ズバリ、サンタクロースだ!! あの赤い服を着た、サンタクロース・・決してカーネルサンダースではない・・・がトナカイに引かれたソリに乗って、世界中の子供達にプレゼントを運んでくれるというのだ。 こんな楽しい話なら、異教徒だって反対はしない。 KFSのHPを見ているヒトの中には、今晩もサンタがルアーをプレゼントしてくれる、って期待している方も多いと思うので、本当のことを書いてしまうのは、少し気が退けるのだが、実は朝起きた時に靴下に入っているプレゼントは、お父さんや、お母さんが、そっと入れてくれてくれているらしいのだ。 そう、本当はデパートから買ってきているらしいのだ・・・ああ、夢を奪ってしまった。 それにしても、このシステム程、都合のいいことはない。子供はプレゼントはサンタクロースがしてくれるのだから、家計に影響は無い・・・と、一年で一番高い、おもちゃをおねだりする。悪いことに、ぜーんぶ知っていても、、これに関しては知らないフリをする。 イエスもサンタも親も子供も、みーんな知っているくせに知らないフリをするのが粋!! と思わされてしまっている。 この暗黙の了解が、膨大な消費を生む。 イエスもブッダもマホメットも信じていないのに、難しいことを言わないで夢だけを運ぶサンタは判り易い。 それが、今の消費経済と絶妙にマッチした。 馬小屋で生まれたとされるイエスを偲んで、クリスマスイブは断食をしよう・・・ということだったら、花祭りよりもマイナーなイベントになったはずだ。 ブータンやスリランカでも盛り上がっているに違いない。 ●12/22 冬至だ。 KFSでも16:30には水銀灯が点灯される。 ご存知のように釣り掘に放流されているトラウト類は、日照時間の長短に寄って季節を感じ、成熟、産卵する。 日照時間が短くなる秋冬に向って、成熟が進行していく訳だ。だから、冬至を過ぎて日照時間が少しでも長くなっていくことも敏感に捉える。 養殖池でも真冬に向って、この時期は成熟によってぼろぼろになって死んでいく個体が増えてくるので、冬至を過ぎると、何となく安心していまう。 もちろん、そうは言っても、米粒ほどでも水棲菌(カビ?)が付着した固体が回復することはないし、卵を持ったサカナも、やがては多くが死んでしまう。 ここでは、トラウトが成熟してしまい。釣り池や養殖池に大きな損害を出すことばかり書いてきたので、それが悪いことのように思われた方もいるかもしれない。 しかし成熟するからこそ、産卵し、新しい命が育まれる。そして世代交代を繰り返してきた訳だ。 だから、トラウトの卵を生産販売している業者は、とっても忙しい時期に当たる。 KFSの養魚場でもレインボーの発眼卵を今月初めに購入したし、来月も2ロット入荷する予定だ。 その頃には、アユの稚魚も入ってきて、忙しい1年間が始まる。 ●12/21 釣り掘オヤジの、南インド、スリランカ一人旅・・・その5 今回も仕事柄タックルを持って行った。 と、言っても、いつでも誰かにプレゼントできるように、イシグロの1280円のパックロッドに安物リールだ。 スリランカは周りが海なので、本来、漁は盛んである。俗に言う、スポーツフィッシングをアレンジしてくれる旅行会社も多い。本気で海釣りを楽しもうと思えば、ダイナミックな釣りができそうだ。 私はとりあえず、小物1匹を狙った。 たまたま乗った3輪タクシーの運ちゃんに、それを告げると、彼も釣りをしたことがあり魚市場のすぐ近くの橋に行こう、ということになった。 この辺りは、ラグーンが形成され、潮の干満でラグーン内の水が入れ替わり、淡水と海水が混じって、魚影はかなり濃いらしい。 私がスプーンを投げ始めると、たちまち人々が集まってくる。 言葉は判らないが、あの日本人、あんなモノで釣れると思っているらしい、日本人は車やビデオカメラを作るのは得意らしいが釣りは知らないのか?・・と言っているに違いない。 しばらく、がまんして見ていたヤツらの一人が、生きた小エビを買って来た。私がバーブレスフックを使っていたので、どうもエビすぐに外れてしまうらしい・・・今度はフックも買って来た。オモリやより戻しも・・・・。 当然の成り行きで彼らが釣りを始めてしまう。タイを小さくしたようなサカナやボラ、ナマズがぽつぽつ釣れている。 この頃には、もう、すっかり私の存在は忘れられていた。 ヤシの林?を真っ赤の染めてインド洋に沈んでいく夕日を見ながら、今晩のヒコーキで日本に帰るんだよな・・・と感傷に浸っていた。 この調子なら、釣りに夢中になって飛行機に乗り遅れる心配はない。 ●12/19 釣り掘オヤジの、南インド、スリランカ一人旅・・・その4 12月7日に、スリランカからインドのトリバンドラムに飛行機で飛んだ、僅か30分だ。 私は若い頃、インドはけっこう旅行した。旅に興味がある方なら、インドは何だか凄いところ、汚い、怖い、病気、こじき等、困難な旅のイメージがあるかもしれない。 インド人は旅行が好きだ。だからインドは旅行のための施設?は、良く整っている。インドの中流階級の人達がする旅を参考にすれば、インド程、旅行し易い国は無い。 また、インド程、お金の価値を感じさせてくれるところも無いので、日本の若者も、もっとインドに出掛けるべきだと思っている。 もちろん、宗教、生命、差別、貧困・・・向こうから、ばんばん体当たりしてくる。 インドでは、1日500円から50,000円まで、好きな旅のスタイルが選べる。 今回、私は4泊5日で180us$約20,000円を使った。これだと節約という観念は、ほとんど持たなくていい。 ホテルはインドのビジネスマンが使うような町中の小奇麗なところ、1500円位だ。 面白いことに、このクラスのホテルは日本人はもちろん欧米人も泊まらない。バックパッカーは、もっと安いところ、観光客は、もっと高いところに泊まるからだろう。 だから、このクラスのホテルは、すごくインドっぽくて楽しい。 20代の頃はインドを旅すると毎日カリカリと頭に来ていたが、今回、10数年ぶりに一人で旅をしてみると、騒がしいインドに居ながらも、実に穏やかに時間が過ぎる。 道端の乞食を見ても、かわいそうだと思えるし、小銭を与える余裕?もあった。 日本にいると、毎日があわただしく過ぎて行くばかりで、自分が変わっていくことに気がつかなかったが、今回はそんな訳で良い体験をした。 ●12/17 釣り掘オヤジの、南インド、スリランカ一人旅・・・その3 その日は1日、お寺の参道の草むしりをやって、ボランティア気分を味わった。 翌朝、麓に降りて、そこからバスを3台乗り継いで、スリランカ中央の都市キャンディに着いた。 ここで乗った3輪タクシーの運ちゃんが、100km以上離れたシギリアまで往復して2500ルピー(2700円)でどうだ、と誘ってきた。KFSから東京往復に相当する距離だ。 この手の話しには注意が必要だ。ホテルまで走る間に人物チェックをしたところ、けっこう信用できそうなので、朝8時にホテルまで迎えに来るように伝えた。 こんな2サイクルのボロ3輪車でシギリアまで走れるのか・・・そっちの方が不安だった。 シギリアは巨大な岩(230m??位)の上に城を作り、美人を500人も住まわせていたところで、世界遺産にもなっている。 ところが現実は、こうなった。 スピードは出ないものの、オープンカーのようなものなので、スリランカとの距離が近いのだ。とっても楽しい。 運ちゃんの子供が私の3人の子供と、歳がほとんど同じだったことでも意気投合してしまった。 大雨の中、シギリアロックに登った後、私は運ちゃんに、このままキャンディに帰るよりも、国際空港のあるニゴンボまで走らないか? あと2500ルピー出す、と提案した。 ニゴンボまでは150km以上ある。 途中、2回食事をして、私も運転したりしながら280kmあまりを走ってニゴンボに着いたのは、夜8時を過ぎていた。 5000ルピーを払った後、ちょっと考えて、君の子供のためにと1000ルピーを手渡した。 アジアを旅すると、まず最初にダマされる、ボラれるのが、この3輪タクシー、トゥクトゥクだ。オートリキシャ、スリーウィラーとも呼ばれる。 上手く騙されながら、楽しく利用するのがアジアを快適に旅するコツだ。 ●12/16 ついにフセインが捕まった。 今後の動向やテロ、自衛隊の行方は、知識人達が言いたいことを言うだろうから、そちらに任せるにしても、あの繰り返し流される、惨めなフセインと勝ち誇ったブッシュの映像はどうだ。 人間は口を開いている姿はまったく、みっともなく映る。しかも口の中にヘラ?を突っ込まれてライトで照らされているのだから最悪だ。 それに比べ、久々に、せいせいとした顔で現れたブッシュは、これ以上、嬉しいことはないと、プレステ2を買って貰った子供のようだった。 一瞬、正義の味方が悪者をやっつけるアメリカ映画のラストシーンを想った。ちょっと違うのが、正義のヒーローと勘違いしているブッシュなのだが、いずれにしても映画だったら超駄作だ。 共演の、ブレアもコイズミもカッコ悪い。もちろんフセインも・・・。 圧倒的に強い集団が、けっこう悪いヤツを生け捕りする、というあまりカッコ良くないストーリーを映像化して、世界の拍手を得ようとするのだから、ラストシーンでは、あれくらい強烈な対比が必要だったのだろう。 今回、一番カッコ良かったのは、ケガをして基地に逃れて来た女の子に、自分の包帯や薬を与えていた兵士かな? 捕虜になっていたところを救出された女性兵士の映像もヤラせだと言うし。もう都合よく作り変えられた映像や情報を押し付けられるのは、たくさんだ。 いつでも殺せたはずのフセインを生け捕りにしたアメリカは、どんなドラマを仕立てるのだろう。 荒野でブッシュと1対1の決闘もいいかもしれない。 もちろんフセインのピストルは空だ。 ●12/15 釣り掘オヤジの、南インド、スリランカ一人旅・・・その2 お寺に着くと、懐かしさが込み上げてきた。 次々と記憶が蘇る。もちろん当時の関係者には、一人として会うことは出来なかった。 大きな、お寺に、まったく英語の通じないスリランカのお坊さんと、ほとんど通じない手伝いのオジさんがいた。私は下の村の宿に泊まることを告げ、当時の写真を見せたところ、どうしても寺に泊まっていけ、と離さない。 で、一度、山を降りて夕食だけ食べて、宿をキャンセルすることにした。もちろんリッチな私は、宿代500円は払った。 真っ暗になった山道を再び、お寺に登った・・・良く歩く日だ。 言葉がまったく通じないので、お坊さんにお礼をして、手振りで明日3時に起きて、スリーパダに登ることを伝え、お寺の隅にある怪しい部屋に泊まった。 3時に心配した二人が起こしに来てくれた。お茶を1ぱい頂いて、登り始める。道は良く整備されていて充分とは言えないまでも照明もある。 標高差は1000mなので2時間もあれば充分だ。鋭く尖った頂上の真上に横たわる天の川を仰ぎながら順調に登って行くと、一番、急になった辺りで照明が消えていて、真っ暗になった。 そこで、昨日、いっしょになった若いイギリス人カップルが、のろのろと歩いている。トーチは持っていないし、女性の方は、かなりバテバテだ。 無視する訳にもいかないので、私が後ろから、足元を照らすかたちで、ゆっくりと登った。 夕飯だけを食べて、あわてて夜の山に飛び出していく、変な日本人のオヤジに助けられるとは、思ってもみなかったに違いない。 数日後、私が町のケンタッキーフライドチキンから出たところで彼らと再会したのは、スリーパダの神様のいたずらだろう。 結局、頂上まで2時間掛かった。素晴らしい天気で、雲海から登る朝陽と、反対側に映るスリーパダの巨大なピラミッドを見ることができた。 しかし、以前は7時間掛かって反対側から登ったことを思うと、ちょっと物足りなかった。 ●12/13 釣り掘オヤジの、南インド、スリランカ一人旅・・・その1 スリランカ航空のコロンボ直行便は、スリランカの上空を通り越して、モルジブ経由でニゴンボ国際空港に着く。 東京から大阪に行くのに一度、神戸まで言って戻ってくるようなものだ。だから12時間30分も掛かる。 当日の飛行機は70%の乗車率??といった感じで空席が目立った。なのにだ、7−8時間、乗ったところで、もう水が無くなったので、コーヒーやお茶のサービスはできない、トイレも水は出ない、というアナウンス・・・?? 確かにトイレに行ってみたが水は出なかった。 スリランカに着いたのは夜中の11:30頃。ところが私を始め10人位の荷物が、いくら待っても出てこない。どうも、間違えて経由地のモルジブで降ろしてしまったらしい、明日以降に泊まっているホテルに届ける、という説明。だったら、今からモルジブへ我々を連れて行って、1流ホテルにただで泊まらせろよ・・・と言いたい。何だか、判らないまま、1時間程、待ってると荷物が出てきた。 夜中の1時過ぎに、日本から予約してあったホテルに着くと、予約されていない、という。 まさしく、今回の旅の楽しさを予感させるスタートだった。 初日にダラけると後を引くので、初日は、がんばって移動することにした。 コロンボまで1時間30分、ハットンまで4時間、マスケリアまで1時間30分、ナラタニヤまで1時間。4台のバスを乗り継いで。暗くなる前にスリーパダの麓の村にたどり着いた。 お寺時代、ないしょで、この村の食堂まで降りてきたものだ。ここナラタニヤから、お寺までは30分ほど山道を登る。 ここで、先ずは1泊を決め込んだ。2食付きで500ルピー約550円だ。 巡礼者が泊まる村なので、それなりの宿しかない。日本人の感覚では相当の覚悟がいるかもしれないが、彼らができる範囲で充分に清潔で快適に保たれている。ボロくてもホコリやゴミは、まったく無い。 私は、こういう宿が大好きだ。他には若いイギリス人カップルが泊まっていただけだった。 ●11/26 もうちょっとスリランカの話。 当時はガイドブックといても交通公社のものしか無かった・・・もちろん、それさえも持っていなかったし。 インドから船でスリランカに渡った私は、とりあえず聖なる山、アダムスピーク(スリーパダ)を目指した。お釈迦様が降り立った時の足跡が残っているという。 不思議なことにキリスト教では聖トーマスが、イスラム教ではアダムが足跡を残した、と言われている。私も、当然、野次馬根性で登らなくてはならないと思ったのだ。 ラトナプラという町から登り始めたのだが、いきなりジャングル。聖山というのに道もはっきりしないし、ヒトも歩いていない。時々ある、スリーパダ → の看板?だけが頼りだ。途中10箇所以上もヒルに喰われながらジャングルが終わる高度に達すると、尖った山が見えた・・・スリーパダだ。今度は、ずっと階段だ。結局、7時間掛かって頂上に立った。頂上は富士山と同じように、売店やお寺があった。 ここで気が付いたのだが、ここに登るには二つの道があって、反対側からは中腹までバスが来ていて、頂上まで2時間で登れるということだ。しかも夜明けにかけて登るのだそうだ。 ここは北緯7度、熱帯だ、死ぬほど暑かったぞ。 頂上ではスリランカの、お坊さんがメシ食え、と野菜カレーセットを差し出してきた。食べ終わると、ここに寝ろとばかりに物置みたいなところに連れて行かれた。床はコンクリートだ。 ことの流れからして、ここに泊まるべきかな? と、私は寝袋を広げて寝た。熱帯とはいえ標高2300mだから、ぐんぐん冷えてくる。 今回もヒザの調子が良かったら、スリーパダに登ってみるつもりだ。 もちろん、今回は楽な方から登る。 12月1日に出発、13日に帰ってきます。 ●11/25 テロやSARSの影響で、海外旅行に関連した売り上げは、例年に比べて38%下がった、というデータがある・・・そうだ。 旅行会社、航空会社も大打撃だが、観光地も金払いのいい日本人が来なくて困っているはずだ。 で、私は考えた。 日本のため、アジアのために、もう一度、旅行に行って来よう・・・と。 今年はアユが早く片付き、私が直接、手を掛けなくてはならない養殖の仕事が始まるまで、まだ1ヶ月間ある。で、苦しんでいる旅行業界のために、私がひと肌、脱ごうという訳だ。 で、今回はスリランカを選んだ。ブータンよりは知名度が高いスリランカに、私は思い出がある。 スリランカのアダムスピーク(スリーパーダ)という山の中腹で、お寺の建設の手伝いを1ヶ月間したことがあるのだ・・・修行のマネもした。 数年間に渡って、そのお寺は人力で建設が続いていたのだが、私は完成1ヶ月前になって、その前を偶然、通った。 ハロー!ニホン人、お茶でも飲んでいかないか! と声を掛けてきたのは日本のお坊さん。お言葉に甘えて、お茶を飲んでいると、人手が足りない、手伝ってくれ。寝るところとメシはタダだ・・・ 信じられないかも知れないが、私は簡単にOKしてしまった・・・きっと、ここまでの旅に疲れていたのかもしれない。 その日から一ヶ月間、10数人のお坊さんと寝食、修行、土方を共にする生活が始まった。 5時起床、7時までお勤め。昼間は炎天下での建設作業、菜食、断食。寺は完成して大統領まで参加するセレモニーも行われた。私はその日のうちに寺を出て、再びインドに向った。 私が23才、1978年のことだ。それ以来、一度もその地へ行ったことが無いまま26年が経とうとしている。 一年に一度の貴重な休みを使ってまで、行ってみる気は無かったが、今年のようなチャンスは2度と無いかな、と思って決心をした。 ここらで行っておかないと、一生行けない様な気もした。 ●11/20 ボジョレーヌーボーを30分前に飲んだ。 何時の頃からか、ヌーボー、ヌーボーと騒ぐようになった。初めて飲んだ時、何だこれは?・・気の抜けたファンタか?みたいな感じで美味くなかった・・・高いのに。 で、自分で買って飲むことはないのだが、3年に1度は、どこかから回って来て飲むチャンスがある、といっても解禁後1ヶ月過ぎていたりするのだが。 私はワイン通ではないがワインは好きだ。500−800円位のワインを買ってきては晩酌とするのだが、どれを飲んでも、それなりに美味しいので、なかなか講釈をたれることができない・・・っていうか名前が覚えられないし。本当は1本飲みたいところだが健康や経済性を考えて2日で1本としている。 その中で、気の抜けたファンタに3000円も出すのが、いくらお祭りとは言え不思議だった。 今年は・・・今日は母が無理やり?買わされたボジョレーヌーボーを一本分けて貰ったが、これが、けっこう美味かった。気の抜けたファンタから、メルシャンくらいにはなっている。 報道によれば、今年のフランスの夏は、まさしく死ぬほど暑く、ブドウの収穫量は少なかったものの、採れたものは最高の品質だったと聞く。だとしたら、他のワインも相当期待できるのか・・・うーん、買いだめしておいた方がいいのかな? しかし、そうなると心配なのは、10年ぶりの冷夏だった日本の米から作られる新酒だ・・・あー・・・心配だ、心配だ。 ●11/19 KFSの養魚場は10年前までレインボーの市場出荷を、主な仕事としていたことは以前にも書いたと思う。スーパーでパックされて並んでいるアレだ。 100−170g(20−25cm)のレインボーを4kgづつスチロールの箱に並べ、トラック便で東京や名古屋、その周辺の魚市場に出荷するのだが、多い日には1500kg1万匹以上も出荷することも珍しくなかった。 先日、一番たくさん買って頂いていた市場の、お偉いさんが突然やって来られた。ここ数年、1匹も出荷していないので、どんな状況になっているのか心配して来てくれたらしい。きっと養殖が上手く行かずに潰れてしまったか、土地を売り飛ばして宅地にでもなってしまっているのかと思ったに違いない。 意外にも私が、へらへらと元気にしていたので、安心して帰られた。 最近、彼らもサカナが売れなくて困るとグチをこぼしていた。 何だか私の方が、不景気で大変な時代になってしまいましたが、がんばって下さい・・・なーんて励まして三島駅まで送った。 ●11/18 私が初めて、石を砕くヒト?を見たのは、1978年にネパールを旅した時だ。 当時は私も、まだ若かったので単純に遅れた国だ、と思うだけだった。しかも、これは、すぐに機械化され滅び行く産業??であって、私が見たのは、たまたま残っていた伝統文化の一端を垣間見ただけのことだろうと考えていた。 ところが、その後、10回近くネパールに行ったが、毎回この光景を見るのだ。 トラックで運ばれて来た大きな石をハンマーだけで砕く毎日・・・カースト制度の影響が残る、この地域では一生を石を砕いて終わるのかもしれない、と思うと彼女達の後ろに大量に積まれた石が、人間に与えられたカルマの様にも見えてくる。 砕いても、砕いても、石は後から後から運ばれてくる。単純労働、低賃金とかいう以前に、今回はこういう運命に生まれてしまったのだから、それを受け入れよう・・・という輪廻転生を感じさせる。 彼女達の前をゴアテックスの上着を着て、1000ドルもするカメラを首から下げて通り過ぎる。 彼女達が粗末な部屋で身を寄せ合って寝ている時に、私はウォーターベッドでぬくぬくしている。 じゃ、機械を導入するのか? そうしたら、仕事が無くなって、もっと貧乏になるかもしれない。 ただ、ブータンの石割り人達は、明るかったのでカメラを向ける気になった。 いずれにしても日本人は幸せ・・・・なんだろうな、と思う。 ●11/10 柿田郎の写真管に、ブータンの女の子がハンマーで石を割っている写真がある。 さて、彼女は何をしているのかというのが問題であった。 まったく見ての通り、彼女は石を細かく砕いている、だけのことであり他に何もない。答えは、とっても簡単なはずだったのだが、その目的が日本的ではなかったので、見識者の集まりでもある、KFSファンでも正解が出なかったようだ。 そう、彼女は単に大きな石を砕いて、道路に敷いたり、コンクリートに混ぜるための砕石を作っていたのだ。 ある程度、溜まると他の人間がバケツや一輪車で運んで行く。 あの写真は、トンサという町の、寺と城がいっしょになったような建物の修復工事現場で撮った。 大きな石を砕いて砕石を作る、というのはネパールの田舎では毎日見る。道路が無いので、セメントは町から何日も掛けて担いでくるが、砕石は現地で調達しようという訳だ。 ヒマラヤの村と村をつなぐ道は、思いのほか、しっかりしている。 雨で崩れていると悲しくなってしまう。 そうそう、昔海の底だったヒマラヤには、アンモナイトの化石がいっぱい落ちているところもある。 確かに、そこでは河原の石を割っているヒトを見掛ける。 ●11/9 サカナの病気、特にウイルス性のものに関しては、良く判っていないものが多く、私がいい加減なことを書くわけにはいかない。 今回だけでなく、養殖日記に書いている、このようなことは、田舎の養魚場のオーナーが私見として書いていることで、決して真に受けないようにして欲しい。 ただ、試験場などの公共機関では数百匹くらいのサンプルを相手にしているが、私達は10年前、作れば売れた良き時代には、1ロット30万匹を年間25ロット以上も扱った経験があることは事実だし、なんてったて生活が掛かっているから必死であった。 過去にも書いたがレインボーの養殖は、ウイルスとの戦いである。そのウイルスのひとつに、伝染性造血器壊死症を引き起こす、IHNというウイルスがいる。 今でも、この病気は日本のレインボーの死因の半分近くを占めるはずだ。 このIHNウイルスは、40年前には日本には、いなかったと言われる。昭和48年にアメリカから輸入されてきたベニザケの発眼卵が、そのウイルスに汚染されていて、それが、あっという間に全国に広まったという学説もあるが、ちょっと怪しい。 しかし、確かに昭和30年代には、レインボーは孵化さえすれば稚魚は、いくらでも出来た、と聞く。当時は稚魚用のエサは勿論、衛生的な配合飼料も無い時代だ。飼う人間も魚病の知識が無いので、設備も用水も、まったく消毒もしなかったという。 レインボーは、このIHNで大打撃を受け、40年経っても未だに、その打撃から立ち直れないでいる。 ●11/8 私が決め付けるわけにはいかないので、こんな事実を話しておこう。 スーパーに切り身で出ている、銀ザケの切り身。日本では主に東北の海で養殖されている。しかし、卵から稚魚・・といっても200g25cm位・・までは淡水で養殖されている。レインボーを養殖できる施設なら、どこでも養殖できる。というより、銀ザケの方が病気に強いので、レインボーが病気で生産性が落ちていた業者の多くが銀ザケの稚魚養殖に転向した。 サケ類は、もともとウイルス性の病気が多い。銀ザケも例外ではない。海の養殖業者も毎年、大きな被害を受けていた。ところが養殖を続けていくうちに、河川水で養殖された稚魚は海に行ってからも、病気になり難いことが経験的に判ってきた。 これは河川水で養殖した場合、夏場に高水温を経験するからではないか、と考えられるようになった。 河川水は夏には20℃を超えることが珍しくない、雨が降れば水質が悪化して、その後、エラ病や水カビ病が発生して、いつでも綺麗で安定した水温を維持している湧水使用の養魚場と比べると、歩留まりは、まったく悪い。 しかし、その悪条件の中でウイルスに対する免疫ができるのではないか、と言われている。今や、湧水で、銀ザケの稚魚養殖をやっている業者は稀だ。 いくら冷夏といっても、霞ヶ浦の水温が3℃も下がるとは思えないが、何年も前から少しずつ勢力を増していったウイルスが、ここで一気に拡大したとしても、おかしくはない。 ●11/7 霞ヶ浦の養殖コイが大量斃死して、毎日新聞を賑わせている。 原因はコイヘルペスということだが勉強不足の私は、その病気に関しては、まったく知識を持たない。 そもそも、養殖魚の中でもコイは養殖の歴史も長く、病気にも強い。だからこそ霞ヶ浦の網生簀で養殖できるのだが・・・その養殖コイが、これほどたくさん斃死するのだから、普通でないことは誰にも判る。 どこかからヘルペスウイルスが持ち込まれたことは事実なはずだ。しかし、それは今年、去年のことではなく、何年も前から汚染は始まっていたと想像される。その兆候は、数年前から、どこかで見られていたはずだと私は思う。 サカナを死に至らしめるウイルスのほとんどが、高水温・・といっても20-25℃位で死んだり不活性となる。 河川水を使用したレインボーの養魚場は夏場に水温が20℃を超えることが多い。昔から夏を通り越したレインボーは強い!と言われる。この強い、というのはウイルスに感染した固体が夏の高水温を経験することでウイルスに感染していても、発病、もしくは重態に陥ることなく回復して免疫を勝ち取ったから・・・ではないか、と言われる。私も、そう思う。 KFSの養魚場の根幹をなす、健康な稚魚作りに用いられている高温養殖は、ここにヒントがあった。 だとしたら、霞ヶ浦の養殖コイに、今年の夏、10年ぶりの冷夏の影響が無かったとは言えないだろう。 ●11/6 ブータンと釣り掘 確かに良いお客さんだけを呼ぶことが出来れば・・・この場合、良いお客というのは、お金持ちで行儀が良い、ということだが・・・商売は、とってもやり易い。商売と、いっしょにしては悪いかもしれないが、ブータン政府は、これを実行している訳だ。 長い間、鎖国状態にあって独自の文化が発達したと言うか、世間の進歩に取り残されて、結果として伝統文化が保存された、というのか・・・確かにブータンは、大国、インド中国に挟まれた小国でありながら、古いチベット仏教の伝統が色濃く残されていて興味深い。 ただ、それはチベット仏教に興味が無ければ、改めて大金を使って訪れる程、魅力があるものとも思えない。 ヒマラヤや開発されずに残されている大自然も素晴らしいが、観光客の立場からすれば、隣国のネパールの方が見応えがあるし、道路もそれなりに完備されていて(自然破壊の結果なのだが)奥地までのアプローチも簡単だ。 ブータンが鎖国状態にあった間にも、ネパールは積極的に観光客、外国資本、製品を受け入れ、宗教にしても仏教ヒンドゥー教がごちゃ混ぜ状態だ。ブータンとは逆に、来る者拒まず、だ。人々は物質文明に目覚め、観光客に金を使わせることに、躍起になっている。 文化的にも地理的にも似通った、この二国が将来、どのような道を歩むのか、世界情勢には何の影響も無いのだろうが、私は興味がある。 どっちかと言うと、ブータンが今のままマイペースで進んでいけたら嬉しい。 ブータンには国民総生産という指標の代わりに、国民総幸福度というのがあると聞く。 ●11/3 忘れた頃の、ブータンレポート 日本から見ればブータンもネパールも、同じような国に感じる。 ネパールは物価が安く、その割りに治安も人間?も良いので、日本から若い女の子達もけっこう来ている。で、トレッキングなんかに行くと、彼らのたくましさ優しさに、惚れてしまってガイドと結婚、なんていうことも珍しくない、というよりは多い。 で、ブータンで私のガイドを務めた、27歳独身のウッタムに、ブータンもビザ代を安くすれば、日本から若い娘がたくさん来るぞ! と言ってやったら、ビザ代が安くなれば、ネパールと同じで世界中から、ヒッピー(おいおい死語だぞ)が、たくさん来てしまう、そんなのはイヤだ、と言う。 確かに、今回、短い期間ではあったがブータンを旅して思ったのは、旅人にまつわる人々を悪く(スレさせて)しまうのは旅人自身なのだ、ということだ。 ブータンのように1日200ドル以上ものビザ代を要求すれば、ブータンを訪れることができる人間は限られる。彼らの言う、ヒッピーや貧乏旅行者は来られない。 ブータンを旅する外国人は、私のような上品な紳士だけに限られるので、マナーも気前も良く、ブータン人とツーリストの関係は、とっても良い状態に保たれている。 かつて、私が駅や公園で野宿したり、ニセの学生証でヒコーキに半額で乗ったり、免税で買った酒を高く売りつけたり、カメラや寝袋を売りながら旅をしていたことは、内緒にしておいた。 ウッタムの回答は模範的ではあったが、教科書通りであったことが私には、ちょっと面白くなかったし、本気でそう思っているとしたら、ちょっと恐い、と感じた。 ●10/29 何やら、太陽で大爆発が起こったそうな。 過去30年間で最大の爆発とかで、29,30日辺りには地球にも、その影響が現れて大規模な停電や電波障害が心配される、ってさっきニュースで聞いた。 東電の原発不祥事で、夏には停電するかもしれない騒ぎ、に続いて今年は珍しい原因の、停電するかもしれない症候群、が続く。 今までも何回も書いたが、停電は養魚場にとっては天敵みたいなものだ。 太陽まで1億5000万kmだったっけ? そんな遠くで起こった爆発にまで怖じなくてはならない。 もっともコンピューターをたくさん使っている会社なんかも、緊張しているに違いない。 太陽で爆発が起きると、どういう理由で地球が停電するのかは判らないが、磁気嵐(どんな嵐かは知らない)や、デリンジャー現象という言葉は何回か聞いたことがある。恐らく、それによって発電、送電を制御しているシステムにダメージを被る、ということだろう。 サカナ、特にサケ科のサカナは磁気の変化には敏感なはずだ。 養殖池、釣り池のトラウトが果たして、どんな反応をするか興味がある。 極北に、オーロラを観に行っているヒト達は、凄い体験をするかもしれない。 ●10/28 実は5月初めからヒザが痛い。 3月頃から、ちょっと違和感があったが、だんだん痛みとして自覚されるようになってきて、歩くとボキボキ鳴る様になってしまった。当然、それまで週に4回は登っていた日守山は、やめた。しばらく、楽をしていれば治るだろうと軽く考えていたが、悪化はしないものの治らない。 平成3年頃、腰をひどく患い、人生真っ暗になったが治療に真剣に取り組んだのが良かったのか、最近は調子が良い、と喜んでいた矢先だ。 ヒザもゆっくり治そうと考えているが、ヒザは治り難い、とも聞く。病院で電気刺激?牽引をしてもらいながら、ヒマさえあれば、遠赤外線、シャワー、フロ、ヘアドライアーなどで暖めては、マッサージをしている。起きている時はなるべくサポーターをしている。 それらが功を奏したのか、最近、少し楽だ。筋肉が落ちないように、毎日、散歩をしてるが、今日、半年ぶりで日守山に登ってみた・・・と言っても、念のために3分の1で降りた。結果は、なかなか良い。 完全には治らないのかもしれないが、大切にしないと、放流ができなくなってしまう。 ●10/26 超音速旅客機のコンコルドが最後の飛行を終え引退となった。 一度、乗ってみたいものだと漠然と思ってはいたが、とうとう乗るチャンスには恵まれなかった。今回、引退報道の新聞記事で、ロンドンーニューヨーク間の往復運賃が、167万円もしていた、ということを知って、あと20年間コンコルドが飛んでいたとしても乗られることはなかっただろうと思った。 20何年か前になると思うが、コンコルドが実用化された時には、これからは旅客機は皆マッハ2で飛ぶようになるのか、と簡単に考えていたが、それが技術的にも、環境、採算的にも、どんなに難しいことかは、コンコルド引退の後に、音速を超える旅客機が存在しないことが証明している。 私が中学生の頃、そう大阪万博の頃だ、科学雑誌やマンガにボーイング747・・通称ジャンボの記事がよく出ていて、世界最大にして最高速ということで航空の世界を変えてしまう飛行機だと言われた。あれから30数年が経つのに大きさでジャンボを超える旅客機は無いし、速度で勝っていたコンコルドは引退だ。 同じ交通機関でも列車や自動車は、大型化、高速化を続け、まだまだ進歩し続けている。一番最後に登場してきた航空機が、技術的にはともかく、現実的には旅客数、速度の拡大において限界が来ているだろうことが興味深い。 毎年と言うか、毎月ごとに進化を遂げている、PCやケータイ等、デジタルな世界も、高性能化は、もう充分という時代が来るのだろうか。 養魚場の仕事に関しては、もっと合理化されるべきだし、それを望んでいるのだが、メーカーがそのための機器を開発するにも、我々がその機器を導入するためにも採算性という大命題が立ちはだかる。 フランス、イギリスの威信を賭けて開発されたコンコルドでさえ、採算性の元にはスクラップになる。 養魚場の仕事が楽になる機械?なんて絶対開発されない。 ●10/23 なんで柿田郎が写っている写真がないんだ、ブラウンを釣ったって? 怪しいぞ、って思っている方もいるかもしれない。 私は写真が好きだから、旅行には、ケッコウいいカメラを持っていく。今回はクールピックス5000だったが、デジカメは日本以外のアジア諸国では、まだまだ一般的ではなく、ちょっと撮って、と頼んでも、上手く撮ってもらえない。最近の私の旅は、リッチなのでガイドが付く。で、最初にフィルム使用のコンパクトカメラをガイドに預けて、これで旅行中、適当に私を撮ってくれ。と頼んでしまう。 私が行くようなところは、まだ個人でカメラを持っているヒトは少ないので、それで友達や家族を撮ってもいいよ、って言うと喜んでくれる。もちろん町に戻って現像したり、日本に帰ってからプリントして送ってあげるのだが。 こうすると私が知らないような意外な写真が撮れて楽しい。また視点が日本人と違うので興味深い。 で、今回もカメラとフィルム5本を預けておいたのだが、帰りに返してもらうのを忘れてしまった。 もちろん、ガイドに悪気があったのではなく、しかもブータンなので必ず返って来る、と信じている。 その時には、ブータンのブラウンや、ゴを着た私の勇士?もアップできるかもしれない。 ●10/22 2002年度にブータンを訪れた観光客は世界中から2600人ということだ。今年はSARSの影響で、更に少いらしい。 もしかしたら私は、ケッコウ貴重な体験をしたことになるかもしれないので、もうちょっとブータンの話をしよう。 一番簡単にブータンのことを伝えようとするなら、それは国内に交通信号機が、ひとつも無い、ということだろう。 ブータンは九州くらいの面積に60万人が住んでいる。首都、ティンプーは人口35000人、それでも首都というだけはあって、1km程のメインストリートには、けっこうクルマが走っていて、渡る時には、ちょっとだけ注意をしなければならない。 私が泊まったホテルの前が、ブータンで一番、交通量が多い交差点で、一日中おまわりさんが交通整理をしていた。 ブータン唯一の空港は、ブータンの西の端のパロという町にある。ボロボロではあるが、一応、簡易舗装されている国道は、そこから東に延びているだけで、その1号線を外れると、ランドクルーザーやハイラックス4WDでなくては、走れない。したがって、普通の観光客は、飛行場に降りたら、そこから東に何処まで行くのか、というのが旅の基本となる。しかも、以前書いたようにビザ代が異常に高いので、行動できる範囲は限られている。 普通の日本人は、休みが1週間以上取り難いので、飛行場のあるパロとティンプーだけの観光となることが多いようだ。 私は、そこから、更にクルマで10時間ほど離れた、中央ブーータンにまで足を伸ばすことができた。 ●10/17 クズザンポー ブータン その5 かくして私はブータンが好きになった これ程、釣りを続けたい衝動に駆られたことは無い。しかし、約束だから引き上げることにした。 クルマまで帰る森の中で、おっちゃんはマッシュルームを採っている・・・今夜のおかずか? チョムコルは日本人の感覚で言うと、かなりの田舎で村には食堂が無く、昼食のために3kmほど離れたゲストハウスに帰らなくてはならない。もちろんメニューは、お任せだ。 腹を減らして、昼食ができるのを待っていたら、なーんとブラウンのカラ揚げが2匹出た。もちろん、あのおっちゃんが釣ったヤツだ・・・話が出来すぎていると思わないか?こうして私は自ら殺生することなく、 ブータンのブラウンを食べることが出来た。もちろん、マッシュルームもだ。 あの、おっちゃんが最初から、そういうつもりだったとしたら、あの野郎、日本人をダシにサカナ釣りをしやがって・・・と思っていたのが恥ずかしい。 翌日、村を出る時に、偶然だろうが村の出口で、おっちゃんが停めたハイラックスサーフの窓から手を振ってくれた。初めてニコニコしていた。 おっちゃん、大切にしていたスピナーを根掛かりさせて、その回収のためにほとんどの時間を費やしていた。結局はロストしてしまったのだが、ブータンには釣具屋が無いので購入は困難だ。 スピナーを日本から送ってやろうかな・・・とも思ったが、未来兵器を送ると乱獲になってしまうかも。 住所を聞かなかったけど、チョムコルのハイラックスサーフの男、で届くかな? ●10/16 クズザンポー ブータン その4 漁場調査 そうか、判ったぞ。急流では、ハイスピードでリトリーブするのと同じ結果になって、普段私が使っているようなスプーンでは浮いてしまう、ということか。しかし、判ったところで、どうにもならない。出発前に誰も教えてくれないから、ALFとKFSスプーンしか持って来てないぞ。ハイテク兵器の電池を忘れたようなものかな。 移動しても良いという限界点から、さらに10mくらい上流に大きな岩があり、その下が、よどみ?となっている。私がサカナなら、ヒマな時は、あそこで楽をする。最近、上達してきたコントロールで岩にALFを当て、真下に落とす。ラインが流れに引っ張られるが、数秒間は丁度良いスピードでリトリーブされる。この数秒間に、まぐれを期待するしかない・・・なーんと、2投目でヒット! ヒットしたらぐんぐん巻くしか能がない私にあったサカナは、下流に頭を向けたまま引っ張られているのか、あれよあれよと感動している間もなく足元に。 私が渓流で初めて釣ったのは、これまた今まで見た事もない程、美しいブラウンだった。おーい、おっちゃん、釣ったぞ!! と視線を送りながら、正直な日本人は優しくリリースした。 その後、同じポイントで3匹ヒット。2匹はバラ・・・いや、オートリリース。他に流れの中から1匹。実質40分位で、3キャッチ、2バラしだった。アタリらしきものは、もっとあったがサカナなのか石なのか判らない。ほとんど同じポイントで連続ヒットする、っていうのも不思議な気がするし、釣れたブラウンが全て20−22cmで揃っていたのも妙だ・・・おっちゃんが釣って、地面にころがしてあるブラウンも同じ大きさだ。日本のプロの漁場調査とあって、誰か放流したか? ブータンでの釣りの規制が厳しいのは、自然保護の意味はもちろんだが、ブータンは敬けんなる仏教国、殺生をとがめていることも理由のひとつだと、このおっちゃんも言ってた。そういえば、ブータンでは肉を食べるのは構わないが、殺生は禁じられているので、家畜を殺すのは異教徒の仕事となっている、なんてコトを読んだことがある。 おっちゃん、あのブラウン、食うのかなあ? ●10/15 クズザンポー ブータン その3 スピニングリール? ここチャムルは、ブータンにおいて歴史上重要なお寺が、いくつもある聖地で、ブータン人が一度は住んでみたい所の一番人気だという。 美しい白鳥城なんていうのもある。まあ、そんな見学は早く切り上げて監視人の案内で川に向かう。この監視人が昨夜の、おっちゃんだから、ちょっと怪しい。相変わらずニコリともしない。 道路にクルマを停めて河原に降りると、そこから10m以上移動してはイカンとクギを刺される。何だか激流渦巻くといった感じ、しかも氷河からの水なので白く濁り、水草はもちろん、コケも見当たらない。 と、いきなり、このおっちゃんがバッグから空き缶を取り出した・・?・・よく見ればその空き缶には、5号くらいのラインが巻いてあり、6−7gもありそうなスピナーが付けられている。私がパックロッドを用意している間に、おっちゃん、早くも左手に空き缶を持ち、右手で思いっきりスピナーを投げる!! ラインが空き缶から綺麗に出て行く・・・おお!これが元祖スピニングリールか! 空き缶にラインを巻いていく・・・え?・・アワセをくれてるぞ! がんがんラインを巻き始めた・・・もう釣れたのか? ギア比が1対1なので見ていても、もどかしい。 一気に岸まで上げて、サカナをワシ掴みだ! 乱暴にトリプルフックを外して、地面にポイ・・・? おいおい、C&Rじゃなかったのか? 見たことも無いような美しいブラウントラウトは泥だらけになって、地面でバタバタしている。 まあ、いずれにしてもサカナがいることは判った。 あの空き缶タックルで釣れるのなら、先日買って、すぐ試し釣で3号池のでかホーライを釣った、このロッドなら・・・わくわく! リールはエンブレム、ラインはナイロンカーボンの4ポンド、ルアーはALFの金・・・ブータンでは未来兵器と言える。 しかーし・・・私は流れがある所での釣は、管理釣り場でもやったことがない・・・まあ、なんちゃって渓流での体験を活かそう。 で、とりあえず流心に向かってキャスト!・・・・えー・・・??・・ALF、って浮くの? KFSだと沈むぞ! ●10/14 クズザンポー ブータン その2 ハイラックスサーフの男 ウッタムがあちらこちらに電話しているが手応えは無い様子。 ブータンでの3泊目は中央ブータンのブムタン県のチョムコルのゲストハウス。そこによく遊びに来ているらしい、自称政府の仕事もしている村の実力者、という日本でだったら、ちょっと遠慮したいタイプのおっちゃんに会った。しかも河川の管理にも一役買っていると言う。話によってはオレに出来ないことは無い、という可能性を感じさせる・・・やな感じだけど。 際どい??ホラ話なら私も負けない。私は日本で釣り関係のビジネスをしていて、毎日の漁場調査も大切な仕事だし、サカナの養殖もしているのでトラウトの生態に関しても詳しい。禁漁であることは判っているが、ブータンのトラウトフィッシングについて、その可能性と将来を私は実体験をもって知りたい・・・ウッタムがどう通訳したのか、彼はしばらく考えて、どこかに電話をして大声で威張っている。おお、これは期待が持てるぞ!! 私は部屋に戻り、舟口一番搾りのアルミ缶と好物のアーモンドタルトを3個を持って来て、まだ電話中の彼にプレゼントだ、と申し出た。 彼はハイラックスサーフに乗っている、国王でさえランドクルーザーなんだから、お金持ちであることは確かだ。現金では、かえって失礼になると思った。 それが幸いした訳ではないだろうが、話は決まった。 翌日の11時から12時までの1時間、指定した場所で監視人と共に釣りをして良い、とう許可が下りた。C&Rも条件だ。 政府の正式な許可ではないだろうが、おらさ村に日本からプロの釣師が来ただに、ちょっくら釣りをさせてやるべ・・・みたいなことだろう。 正々堂々ということで村のすぐ近くの開けた河原で、釣をすることになった。 うれしかったが、ここまで騒ぎを大きくしてしまって、釣れなかったらカッコ悪い・・・だいたいサカナがいるの?? ●10/13 クズザンポー ブータン!! その1、密漁はイカン ブータンに出掛ける前日に旅行会社から電話があった。現在、ブータンでは釣りの許可は出ない・・・。私は既に、数日前イシグ○で6000円で買ったパックロッドを入れたスーツケースを成田に送ってあった。 バンコックで乗り換えたブータン航空の小さな飛行機は、ダッカ経由で4時間半、山々をかすめるようににして、僅かに開けたパロの谷に降りた。飛行場には他に小型機やヘリコプターの影もなく、まさしく我々が乗った飛行機だけが、飛行場の隅に駐機した。ジェットエンジンが止まると、物音は何もしない、不思議な飛行場だ。建前は撮影禁止らしく、兵士が制止する場面もあったが、当然、みんな記念撮影で、いきなり盛り上がっている。 パロは充分に田舎であるとともにブータン随一の観光地でもある。パロに2−3日滞在するだけでも、たっぷりとブータンを味わうことができるはずだ。 ここで紹介された私のガイド、ウッタムという青年は27歳。ヒンディー語、ネパール語、英語、ゾンカ語(ブータン)と片言の日本語を話す、片言と言っても、私の英語よりマシかもしれない。私はネパール語の単語はかなり知っているので、この後は、日本語、英語、ネパール語での旅となる。神の思し召し?を感じたのは次の瞬間だった。 彼が何年か前に、ヨーロッパ人をガイドした時に釣りを習ったことがあり、ルアーフィッシングに非常に興味を持っていたことだ。私とウッタムは、いきなり意気投合してしまった。 ブータンでトラウトを釣るぞ!! しかし、先輩のガイドに密漁は絶対にダメだぞ! とクギを刺されてしまった。 もちろん私も密漁なんかで捕まったら、KFSの営業にも差し支えるし、ウッタムもガイドの仕事ができなくなってしまうだろうから、当然そんな気はない。最近、インド、ネパールでは昆虫を捕まえて逮捕される日本人が後を絶たないというし。ブータンでは密漁の罪は重いと聞く。 ブータン到着と同時に、いかにサカナを釣るか、ではなく、いかに許可をもらうかが勝負となった。私が目指すのは、ブータンの川で正々堂々と釣りをすることだ。 正式な手続きでは間に合わない・・・なんてったって、お役所は祭りで連休だ。 ちなみに、ブータンの川で釣りができれば、その日こそ・・・ 柿田郎、渓流デビューの記念日、となるのだ。 何を隠そう、私は日本で渓流釣りをしたことがない。 そうそう、クズザンポー はハローの意味。 |
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